言葉の意味の源
ことばの意味の源を逍遙する…
といっても
学術的に というよりも
感覚的に
じぶんの楽しみのために
という、
〈私の体験〉〈考えたこと〉のシェアなので
リラックスして楽しんでいただければ
と思います。
*****
イタリア語は ラテン語起源。
英語はゲルマン語起源らしいけど
ラテン語や その他の
言語の言葉も混ざってる。
言語の歴史が
おそらくラテン語のほうが古いし、
ラテン語を使っていたローマ帝国は
中部イギリスまで支配下に置いていた時代も
あるからだろうね。
そのせいか
イタリア語と英語では、
スペルもそうだし
言葉の〈構成〉みたいなものが、
とても似通っている単語も けっこうある。
たとえば
どちらの言葉でも共通して、単語の頭に
In- とか
Un- とか
Co- や Con-
Re- で始まる単語には、
「こんなニュアンスの意味が付帯される」
ってことが 推測できたりする。
漢字でも 偏や つくりで
〈病だれ〉は
病気や疾患に関する言葉だとか、
〈さんずい〉は水に関する言葉だとか、
古代中国で
貝が通貨代わりに使われていたから
売買に関する漢字には「貝」が入っている、
といったものと 似ているかも。
In-や Un-は
その後に続く言葉を 否定する意味でつく。
漢字で言うと 「非」や「不」。
たとえば infinity は
inで最初に否定から入って、
finishしない、終わらない = 永遠
incredibleも同じように、
credit(信用)+ able(可能性)の逆 = 信じられない
unhappy はそのまんま、
ハッピーじゃない、の意味でしょ。
今の電子辞書や ネットのWeb辞書は
収蔵量の大きさを考えても、
もはや 調べて載っていない単語なんか
一つも無いのかもしれないけど、
昔の、紙の分厚い辞書を使っていた時代は
調べたい単語が
ドンピシャで載っていないこともよくあって、
そういうとき
もしその単語の頭に
こういう接頭語がついていたら、
先ずはそれを抜いた言葉で調べてみて
それを否定する意味だろう… と
推測したりしてた。
(結果的に大抵あってたりする)
In- は、否定の他にも
「あいだ・中(へ)」の意味があって、
その場合
In- だけじゃなくて
Inter- という接頭語になることもある。
international(国際間の)とか
interval(あいだ・合間)とか。
Co- や Con- には、
自分以外の誰かと一緒に何かを為すような、
とにかく単独ではなく
その行為には「相手がいるニュアンス」が含まれる。
congress(会議)
cooperation(協力)
contribute(寄付する、貢献する)……
イタリア語で、英語の with にあたる言葉は、
まんま con だしね。
日本でもよく知られているイタリア語の歌
『Con Te Partirò』は、
この語順のままで 英語に対応させると
『With / You / I’ll depart』になります。
でも Con- にはその他にも、
握りこぶしにキュッとちからを入れるような
なにかを集約する感じのイメージもあって、
そういったニュアンスは
concentrate(集中)
concrete(コンクリート)
concept(基本概念)
conclusion(結論)……
などの言葉に、表れている気がする。
Re- は再び繰り返す、戻る(回帰する)
という意味でつく。
return(戻る)
replay(再生する)
response(回答する)……
中学生の頃かなぁ、
初めて知って
「なんて不思議な響きの言葉なんだろう」
と思った言葉があった。
生まれ変わり、転生、という意味の
「 reincarnation 」
イタリア語でも「 reincarnazione 」
というのだけど、
中学生のときに魅了された言葉の意味が
イタリアで
ある日 いきなり、
すとん、と意味がわかった。
イタリア語で「肉」のことは「carne」という。
豚肉とか 牛肉とか 鶏肉とか
そういう単語はまた別にあるんだけど、
一般的に「肉」と言うときは、カルネ。
謝肉祭と訳される carnevale にも、この言葉が入ってる。
ある日いきなり、わかったの。
Re(再び)
In(中へ)
Carne(肉)………
肉(体)の中へ、
ふたたび(魂が)入る……
その状態のことを 示した言葉だったんだ…
って。
無意味に一人で感動した。
実感を伴って 言葉の意味がわかったときは、
いつも身体の奥から 深い感動を感じる。
母国語では何回か味わってきたけど、
外国語でも
そんな感動を感じられたことが、嬉しかった。
そしてあらためて
きれいな響きの言葉だな って思った。
どこか神秘的な、不思議な響き。
澄んだ鈴の音色みたいな……
日本語での そんな
「言葉の意味がわかって感動した瞬間」は
これはちょっとうちの環境が
特殊だったかもしれないけど、
うちのおばあちゃんは
〈霊気〉を使える人だったので
私たち(きょうだい)は 小さい頃から
少し具合が悪いときや、
お腹が痛いときなんかには 先ず
「おばあちゃんに霊気当ててもらいなさい」
と言われて
おばあちゃんの やわらかくて厚ぼったい手で
霊気を当ててもらって、
しばらく経ったら
「もう痛くなくなった、おばあちゃんありがとう」
という事も しょっちゅうだったから
『手当て』する
という言葉について、
それまでは
まるで意識していなかったんだけど
ある日 その言葉は
「大昔の人たちは お互いに 誰かを癒す時に、
患部に手を当てて治していた」から
そう言うようになった という話を聞いて、
すぐに 幼い日の記憶の中の
おばあちゃんの手のことを思い出して、
「そうか、手当てって、ああいう意味なんだ!」
と実感を伴って理解したこととか、
これはもっと大人になってからだけど
遠い古代の 古い日本語では
「ひ」という音は
『霊』を意味している と聞いて、
(火、お日さまも同じ音)
あぁ、じゃあ「ひとだま」って
「人魂」なのだろうけど、もともとは
「霊(と)魂」とか?
(↑このあと霊と魂の違いを考えたけど、今回は割愛)
更に もしかして
「ひ」を持つ、あるいは
「ひ」が宿るところ(命を持つ場所)を
「ひと」と呼んで、
だから
男なら 「ひこ」(霊・子)
女なら 「ひめ」(霊・女)
と呼ぶようになって(呼び名に入れるようになって)
「こ」が男で
「め」が女を示すことは
知っていたから、
そこから連想が広がり
一対の男女が 互いに結ばれて
新しく生まれてきた命が
男の子なら むすこ(産す・子)
女の子なら むすめ(産す・女)
そんな呼び名が、
「共に為す、共に産す、新しい命」
をあらわすことばとして
はるか昔から 使われてきた……?
そういえば
おむすびも 両の手で
「産す」ばれて出来るから、そう呼んだのかな?
「産す」 は 「結び」につながる。
結ぶことは、何かを 何かに 繋げること。
縁や 何らかの理由をもって、 因果を継いで、繋げていく。
だから
「継ぎ」のものを「次」って
言うんじゃない?……
私の思考は時々 きまぐれに
頭の中で こんなふうに遊ぶ時がある。
頭の中で 気ままに 気が向いた方へと散歩する。
そんなふうに 思いがけず
〈ことばの意味の源〉に 思い至った時には
それらの言葉の
「意味を理解出来た!」という実感に
心の底から感動したりする。
時には 身体が震えるほど。
もちろん 学術的、言語学的に
これが正しいのかどうかはわからない。
(デモ「学者ノ意見ハ常ニ正シイ」トモ思エナイ)
こんな 素人の連想と見解は、
もしかしたら
その道の専門家とか 本当の言語学者の人達からは
「何を言っているんだ、全然違う」
と言われるかもしれないけど
私は
自分の体験、
心に受けた感動は、
素直に大切にしたいと思うので
他の
「なるほどぉ!」と納得できる説を耳にするまでは
自分の感覚から出てきたこの説を
信じておくことにします✨
(レインカルナツィオーネの説ともども)
この国は 『言霊の咲き和う国』
これもほんとうは
「幸はう」と書いて、
「さきわう」と読むのだけど (*)
敢えてこの書き方をしたのは
この言葉を 目で読んで
自分の声で 小さく発音した時に
目を閉じると見えるスクリーンに
人々の口から たくさんの言霊たちが
まるで
花がひらくように
次々と咲いて、きらきらと広がって行って
それらがみな
笑いさざめき合うように 楽し気に
相和しているイメージが浮かんできたから…
ちなみに
「和う」と書いて、
「わう」とは発音しない。
けれど「和う」
「和ふ」
と読む言葉はある。
料理する時の「和える」など。
「あまなう」という言葉は
初めて聞いたので、知れて嬉しい♪
(意味を知りたい人は調べてみてください)
もっともっと これからも
自分の霊や魂が
目にしても耳にしても 喜びを感じる
すてきな言葉たちを
きちんと 深く 意味を知って、
使っていきたいな…… と思う。
みなさんにも
言葉そのものの意味だったり
その意味するところが
「わかった!」…と感動した経験、ありますか?
あと、
とくに和語とか やまと言葉で
好きな言葉ってありますか?
もしよろしかったら
教えてくださいね☺️
(*)
「しきしまの やまとの国は
言霊の幸はふ国ぞ 真幸くありこそ」
柿本人麻呂 〈万葉集〉
こういう記事も書きました。
みんなでしっかり歴史や文化を守っていきましょう ↓
言葉についての関連記事:
うちのおばあちゃんのご紹介♡
🌟
ちなみに サムネイルの写真は
イタリアから帰ってきて間もないころ
こんな「書きもの」を
書いている人がいて、
何だかわからないのに
妙に心が惹かれ、
一枚五百円? 買えるんですか?
じゃあ… これをひとつください
と、家に連れて帰ったもの。
その人(初老の男性だった)は
さまざまな年代(?と話されていた)の草文字で
『あわうた』を書いている と話された。
私は あわうた?それは何ですか? と尋ねた……
こうして私は この国の
知られざる古代の文化と歴史を深く知る
最初のキーワードをもらった。
私がまだ
阿比留草文字(*)という言葉も知らず
ヲシテにも カタカムナにも
出会っていなかった頃。
でも私は
こんな出来事への伏線のように
学生時代からすでに
この国に
「漢字以前の文字が全くないわけない」と
なぜかほぼ 確信していた。
だって〈記録大好き日本人〉だよ?
縄文時代、一万年もあったんだよ?
何か書いてるはずだよ、しかもたくさん。
だって あんな
世界一カッコイイ土器土偶を作ってたんだもの、
九千年前にはもう
漆も使っていたんだもの。
ぜったい、文字あったよ。
「漆塗りたて さわるな」って、
縄文文字で書いてたはずでしょ。(←半分冗談🤭)
単に 見つかっていないだけだよ。(←こっちは本気✨)
…って確信してた。
だからなのかもしれない。
その後も 似たような
新たなキーワードを得る機会に恵まれて、
少しずつ 知識が増えていった。
まぁ、すごく興味を持ったから
自分から引き寄せたのもあるのでしょうけど。
神代の時代の日本の文化、文字のこと……
言葉、音、振動にまつわる、生命体への影響のこと……
いま いちばん知りたいのは、
日本語の五七調、七五調のことばのリズムが
いったい いつから、何処から、始まったのか
ということ……
(私は縄文時代なのではと思っているのだけど…)
単純に、「知ること」は楽しい。
歴史好きなら 古代史って、
どこの国のものでも
すっごく! 惹かれちゃうよね。
こういった話題に関しても、
もしなにか 信憑性のあるお話を
ご存知の方がいらしたら、
ぜひお聞きしたいです☺️
(*)
阿比留文字は
おそらく縄文時代から白村江の敗戦で完全撤退するまで
ずっとその地域にあった、
〈任那〉に代表される
日本人のクニ(あるいは文化圏)があった事実にも
関連すると思う。
関連キーワード:鬼界カルデラ噴火
それと 最後に
日本の これ系のものをすべて
ニセモノ扱いしたい人たち。
言いたいことはもう解ってるから、
そういう方はわざわざ
コメント欄へのご足労には及びませんので、
どうぞお気遣いなく…