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完璧主義という呪い
※この記事は、読書感想文です。
また、大変長い記事になっております。
海と月社から出版されている、
レシュマ•シャウジャニさん著、岩田佳代子さん訳の「完璧じゃなくていい、勇気ある女になろう」を読んだ。
SNSで、オススメされていたのを見て、
どんな本か気になって読んでみたのだ。
男性には、男性特有の呪いというか、呪縛みたいなものはあると思うのだが、この本は、女性が育つ過程や社会から期待される役割等によって、かけられた呪いについて気がつかせるために書かれた本であるように思った。
外国の方が書いた本だし、この本が、全ての女性に当てはまるとは思わないけれど、少なくとも私には、新しい気付きを与えてくれた。
著者によると、女性は、失敗しないように育てられるために、完璧主義になりがちだという。
女の子は、危ないこと、汚いことはしないように、
冒険しないように育てられるため、だんだんと失敗を恐れるようになり、失敗の経験が少ないため、他人から少しでも否定されると、人格を全否定されたように感じて、深く落ち込んでしまう傾向があるという。
そうして、失敗できない人=完璧主義は作られていく。
一方、男の子は、失敗してなんぼ、挑戦と冒険を促されて育つため、失敗に抵抗がない傾向があるという。
私は、結構自由に育ててもらったし、泥遊びも木登りもして、ケガもしたし、汚れたりもして育った。
それでも、何となく、「女の子なんだから」っていう無意識の圧力は、親や、友人、友人の親や親戚、
学校や社会の中での雰囲気から感じることはあったような気がする。
女の子は、無茶はしない。バカもしない。
多分、性別に関係なく性格の面もあるし、個人差はあるだろうけれど、私も他人からの否定に弱い。
また、職場等でも、女性に注意するのには勇気がいるが、男性には割りと軽い気持ちで注意出来たりする。人によるとは思うのだが、何となく、注意した時の反応に違いがある気がする。
同性から注意されるのと、異性から注意されるのとでは、心象が違うのかもしれないけれど。
本書の中に、砂糖の変わりに塩を入れたレモネードを男女に飲ませた時の違いについて記載された部分がある。
男の子たちは口をつけたとたんに「ウッヘー‥劇マズ!」と言った。ところが女の子たちは揃いも揃って笑顔を崩さず、しっかりと飲みさえした。どうしてまずいと言わなかったのか?実験者が何度も尋ねてようやく教えてもらった答えは「実験者の気分を害したくなかったから」だった。
女の子は、こんなふうに、人を喜ばせるために「正しい」答えを探しがちだ。
女の子の「人を喜ばせたい」という思いがいかに強いかを示した実験だったという。
また、この文章も、何となくあるなあと、思った。
女の子は、何か頼みごとをされると、男の子よりかなり高い確率でイエスという。本当は、ノーと言いたいとき(さらには言うべきとき)でも。女の子にとって、"協調性"はものすごく大事。
男性の世界についてあまり分からないけれど、
女性の世界では、「協調性」というものは、確かに重視されているように感じる。
少なくとも、私が見てきた世界では。
でも、何かに「イエス」ということは、そのために潰された時間があり、その代わりできた何かに対して、「ノー」と言っているのと同じだ。
自分にとって、本当に大切なものは何か。
それを優先するために、何に「イエス」と言って、何に「ノー」というのか。
読み進めていくと、後半には、そういうことも考えさせてくれる言葉も書かれている。
また、SNSによっても、完璧主義によって女性たちは苦しんでいると記載がある。
この本に出てくる、額に湿疹のある17歳の少女は、その額の湿疹を隠すために、
1時間かけて自撮り写真を加工し、湿疹が絶対分からないように長い前髪で隠しているという。
さらに、最近、加工の対極をいく「フィルターなし」投稿が流行り出したために、フィルターなしで納得いく自撮りをしなければならないという、新たな苦しみまで生まれているという。
また、日本でも、裏垢などという言葉があるが、
作り上げられたオンライン上の自分と、親しい人にだけ見せる現実の自分の複数のアカウントを持っている女性も多いと著者は言う。
みんな、複数の顔をもつなんて健全じゃないとわかっているけれど、仕方ないと思っている。
前向きでかわいくーそれが求められていることで、できなければ炎上する。
ある大学院生の女の子は、彼氏と別れて落ち込んでいた時に、落ち込んだ気持ちを正直に投稿したら、励ましの言葉どころか、「超うざい」というコメントがつき、その投稿は1時間で削除したという。
こういう感覚も、何となく、分かる気がする。
気持ちの良いものだけ、明るいものだけ、そういう部分しか見せてはいけないという、無言のプレッシャーみたいなものを感じる瞬間は、ある気がする。
女性は(女性だけではないかもしれないし、女性全員ではないと思うけれど、本書が女性についての本なので、ここでは敢えて女性と記載します)自分が自分に完璧さを強いるが故に、他人の不完全さを許せないのかもしれない。
自分の正直な気持ちを、表に出しにくい現実。
本当にやりたいことではなくて、(自覚のあるなしにかかわらず)ひたすら他の人の夢を追い続けたり、他の人の顔色をうかがったり、人生はこうあるべきというレールの上を走ったりしていると、自分の願いや目標はかすんでしまう。
この文章も刺さった。
人を喜ばせようとしたり、人の顔色を伺ったり、世間の価値観に合わせようとしたり、そういうものは、私達を不自由にさせる。
私は、結婚も出産もしていないが、
仕事と家庭の両立を完璧にしようとして、
苦しんでいる女性たちについての記述もあった。
また、仕事においては、男性は60%くらいいけると思ったら引き受けるが、女性は100%いける確信がないと、引き受けることはせず、そういった差が、ポストや、給料にも現れている、と著者は述べている。
著者は、こういった女性にかけられている完璧主義の呪いを解くものは、勇気だという。
勇気があれば、自分をいたわることもできる。仕事や家族(あるいは週に6回も人間性関係のアドバイスを求めてくる友人や、PTA関係や、留守中に犬の散歩してくれと頼んでくる隣人)のために尽くせ、と頭の中の声が言っても、「ノー」と返せる。
目立つこと、大胆なこと、つらいことをするのだけが勇気じゃない。期待されていることをせず、自分に正直でいることも立派な勇気だ。
これらの言葉は、私にも深く刺さった。
分かっていることといえば、分かっていることだし、よく言われていることではあるけれど、
なかなか実行できないことだったので、
改めて、ちゃんと背中を押してもらったような、
肯定してもらえたような気持ちになった。
もし、この記事に引用した文章が深く心に刺さったのなら、本書を読んでみても悪くはないかもしれません。
本の後半には、「失敗したって大丈夫!」「嫌われたって大丈夫!」と思わせてくれる文章が、具体的な事例と共に沢山載っていて、私にように、HSPの人は特に勇気づけられるんじゃないかな、と思った。
事例が外国であり、著者も外国人であるので、若干日本と感覚が異なる部分もあるかもしれないが、概して人間が抱えている問題というのは、似通っているものではないだろうか。
敢えて「女性」に特化した本を読むことも、悪くないかもしれない、と思った。
是非男性の方でも、新しい気付きや共感があるかもしれないので、ご興味のある方にはオススメです。