鏡像反転の謎にいどむ!/加地大介著『なぜ鏡は左右だけ反転させるのか』試し読み
2024年5月16日に加地大介著『なぜ鏡は左右だけ反転させるのか』が配本になります。
*本書は2003年に哲学書房から出版された『なぜ私たちは過去へ行けないのか―ほんとうの哲学入門』に加筆修正を加えて改題をしたものです。
カント生誕300年の年の新版発刊を記念し、カントの空間論についてより踏み込んだ内容の論考を追加するとともに、脚注の付記や図版を新しいものにするなど大幅な改訂をほどこしています。
鏡像反転とタイムトラベル映画。
私たちの日常にありふれた事象を、哲学的に問うてみるとどのような答が導き出されるか。
数学や物理学、回転座標や宿命論、
デカルト、カント、ガードナー、ブロック、ダメット、テイラー……など
あらゆる手段を駆使して論理的な答えを追求していきます。
本記事では、本書の第一章の前半部分を公開します。
ぜひ、ご一読ください!
1.鏡像反転の謎
私には、鏡を見ると独り言を言ってしまう妙な癖があります。目の前に映っている自分の像に対して知らずと「馬鹿だねえ」とか「情けないなあ」などと語りかけてしまうのです。鏡に映った自分を攻撃する鳥や昆虫の類と頭の作りが大して変わらないのでしょう。妻は、そんな私を見ては「ああ、またやってる」という感じの冷たい視線を浴びせるのですが、ほとんど条件反射のようなものなので、どうしようもありません。
でも、『白雪姫』に登場する魔女だって「ロンパールーム」のお姉さんだって鏡に語りかけていたし、鏡はどことなく謎めいた力を感じさせるのではないでしょうか。平安時代には、鏡の曇りは恋人が心離れしたことを意味したそうです。今でも、割れた鏡は不吉な出来事の予兆だと言われます。先日、私もふとしたきっかけで鏡に関する一つの謎に思い当たり、それが頭から離れなくなってしまいました。その謎とは、鏡が上下は反転させないで左右だけを反転させるという「鏡像反転の謎」のことです。
ご存じのように(たまに「ええっ、知らなかったー」と言う人がいますが)、私と私の鏡像は、まったく同じようでありながら実は同じではありません。たとえば、私の顔の右側にはほくろがありますが、私の鏡像のほくろは顔の左側にあります。私は髪を左で分けていますが、鏡像は右で分けています。つまり、私と私の鏡像を重ね合わせたとしても、ぴったりとは一致しないのです。そして私が左を向けば、鏡像は右を向きます。私が右目でウィンクすると左目でウィンクを返してきます。でも、私が上を向けば鏡像が下を向くとか、頭を揺らせば足を揺らして返すなどということは決してありません。
えっ、そんなの当たり前だって? 私もそう思っていたのですが、最近それがどうも当たり前とは思えなくなってしまったのです。考えてみれば、鏡が像を映すのは、光の反射という物理現象の結果です。そして物理現象である以上、鏡(平面鏡)の反射面に対してどの方向から光が当たったとしてもまったく同様の結果をもたらすはずです。つまり、光がどの方向から当たっているかにかかわりなく、入射角と同じ角度で光が反射するという同一の現象が鏡面で起きているはずです。にもかかわらず、なぜか左右方向では像を反転させ、上下方向では反転させないという、異質の現象を生じさせているのです。
これは、やっぱり不思議なことだと思いませんか? 仮に、垂直に立てた鏡の反射面に対して左右方向つまり水平方向に光を当て続けると鏡面の温度が上昇するけれど、上下方向つまり垂直方向に当て続けても温度は上昇しないというようなことが起こったとしたら、これは驚くべき自然現象だということになると思うのですが、それとまったく同様のことが鏡像反転という現象には起きているといえないでしょうか。
鏡像反転という現象をしっかり理解するために、たとえば図1のようなプラカードについて考えてみましょう。
このプラカードは、縦の方向にも横の方向にも「山本」と読めるようになっています。では、これを鏡に映してみましょう。すると図2のようになります。
そう、縦読みの「山本」は「山本」のままなのに、横読みの「山本」は「本山」に変わっていますね。つまり、上下は反転しないで左右だけが反転しています。
また、自分の鏡像を、柔らかく薄い塩化ビニルでできた自分のぬいぐるみのようなものだと考えてみましょう。つまり、すっぽりとその中に自分が入れるような空洞をもち、私の姿が表面に描かれた塩化ビニル製の薄皮だけから成っているようなものとして像を解釈するのです。その上で、自分が鏡の向こうのぬいぐるみの中に入っていくことを想像してみましょう。その際、右袖の方が左袖よりも太い、左右アンバランスな服を着ているとします。すると、自分の頭はぬいぐるみの頭へ、自分の足はぬいぐるみの足へと納まるのに対し、私の右袖は太いのにぬいぐるみの右袖は細いため、うまく納まりません。そして私の左袖はぬいぐるみの中でダブついてしまいます、つまり、左右の方向でだけ形が入れ替わっているのです(図3) 。
私は最初、私たちの目が二つ水平に並んでいるから、横方向だけが反転するのではないか、と考えました。それで、首を横にかしげて鏡を見てみました。しかし通常の場合となにも変わりませんでした。さらに、片目をつぶって鏡を見てみました。やはり、なにも変化しませんでした。
次に考えたのは、「上下」と「左右」という方向分けがまずいんじゃないかということです。上下方向は空と地面の方向だから、私の向きや姿勢に関係なく決まる方向だけれど、左右方向は、私の向きや姿勢によって変わってしまう方向です。つまり、絶対的な方向基準と相対的な方向基準をごた混ぜにしているから問題が生じているのではないのでしょうか。
でも、よく考えてみるとこれも間違いでした。実は私がこの鏡像反転の不思議をあらためて認識したのは、夏の暑い日、畳の上でごろ寝をしていたときでした。そのとき私は、右手で頭を支えて横向きに寝そべりながら、蚊に刺された左腿を左手でポリポリと掻いていました。そしてたまたま、目の前のガラスに映った自分のだらしない姿が目に入りました。その像は、やはり左手ではなく右手で右腿を掻いていました……。
しかしそのとき私はふと思いました。
あれ? 今私の鏡像で反転していないのは上下方向じゃないぞ。だって、今私は寝そべっているのだから、反転しないのは天地方向つまり垂直方向ではなく、水平方向だから。どういうことだろう?
しばらく考えた後に、私は次のような結論に達しました。
〈鏡像が反転させないのは、上下方向というよりも、むしろ頭足方向というべきだ〉。
つまり、人間に限らず、だいたいどんなものにも、その頭部と脚部に当たる部分があります。木のてっぺんと根っこ、家の屋根と基礎、机の天板と脚、「山」という字の真ん中の縦線の頂点と下の横線等々。通常の状態で空の方向を向いている部分が頭部とされ、地面を向いている方向が脚部だとされると考えてよいでしょう。重要なのは、当のものが横たえられたり、逆さにされたりしても、いつもと同じ部分が頭部、脚部と見なされるということです。その結果、頭足方向と一致する絶対的な方向は、その対象がどのような姿勢・状態におかれているかによって変わることになります。私たちが寝そべれば、その頭足方向は水平方向であることになり、逆立ちすれば、頭足方向は、天地方向ではなく「地天」方向になります。
したがって、やはり鏡像反転の問題は、上下と左右という方向付けの方法の相違によって説明できてしまうような単純な問題ではなかったのです。それは次のように、より正確に言い表すことができます。
(本文19頁につづく)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?