展覧会レビュー:もうひとつの19世紀 ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち(国立西洋美術館)
──酎 愛零が展覧会「もうひとつの19世紀 ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち」を鑑賞してレビューする話──
ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中の私です。
今回は、東京都は台東区、上野恩賜公園内にある国立西洋美術館におもむき、小企画展「もうひとつの19世紀 ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち」を鑑賞してまいりました。
19世紀のフランス、およびイギリスの美術といえば、モネら印象派や、ゴッホやシニャックなどのポスト印象派、ロセッティらのラファエル前派や、ビアズリーやモローたちの唯美主義(耽美主義)などを思い浮かべる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、次代を担ったそれらの芸術家とは別に、この時代には語られるべき勢力──古典を重んじ、その芸術様式、歴史的な価値観を守る勢力がございました。
それこそが、アカデミー。
アカデミーとは、教育機関、研究機関の意。一般的には、専門的な知識を教える大学、専門学校などの意味で使われる語ですわ。この時代のこの文脈では「美術学校」の意味で用います。フランスなら「エコール・ナシオナル・シュペリウール・デ・ボザール(国立高等美術学校、通称エコール・デ・ボザール)」、イギリスなら「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)」などがそれに該当いたしますわ。
これらアカデミーが守り、固執し続けていた古典主義の権威と伝統はしかし、社会の急速な近代化によってその価値は揺らいでいき、ついには衰退の危機を迎えます。その時、彼らの採った戦略とは。
今展覧会では、アカデミー派の代表的な画家、ウィリアム・アドルフ・ブーグローの作品を中心にレビューしていきたいと思います。
絵に描いたような当時のフランスの画家の出世コースをたどり、アカデミーの重鎮としての地位を確固たるものにしておりますわね。
ここでのキーワードは「ローマ賞」そして「イタリアに公費で数年間留学」の二点ですわ。
当時のイタリア、とりわけローマは、ギリシャとならぶ古典芸術発祥の地としてヨーロッパ中に知られていました。古典芸術=グレコローマンな時代だったのです。ローマ賞とは、学内のグランプリであるとともに、イタリア留学の切符でもあったのですね。
天上の世界、神々の世界。いわゆる「神話画」ですわね。女性たちに人間味、温もりのようなものはあまり感じられず、彫刻が動いているような印象すら受けます。対してクピドには多少の現実感があり、とっ捕まえられた悪童の雰囲気や、『おねがいだからかえしておくれよう!』と言っているようなポーズに微笑ましいものがございますわ。
神話画は、歴史画と並び、アカデミスムの画題では最も格の高いものとされていました。それは、単に絵描きの技量が優れているだけでは描けず、歴史や神話、そこに登場する自然や人工物の知識が必要不可決だったからです。描くために広範な、しかも深い知識が必要になる──それが、神話画、歴史画が絵画ヒエラルキーの最上位に位置した理由ですわ。
この作品は官展に出品されたものではなく、個人宅の装飾として制作されたそう。ということは、こういう画題を好む人間はまだ存在していて、制作を依頼し、ブーグローはそれを描くのにふさわしい技量と教養を持っていたということになりましょうか。
眠る幼子と白い子羊をを胸にかき抱く、うら若き乙女の姿。
犠牲の象徴である子羊と幼子を同じ腕の中に抱き、タイトルには「純潔(Innocence)」とあることから聖母子像を想像しますけれども、衣服は白系統で統一され(聖母マリアの衣服は赤い衣と青いベール)、周囲に彼女の持物たる白百合の花も見当たらず、何より聖人の記号である頭の後ろのハロー(光輪。ヘイローとも)がありませんわ。つまり、宗教画にお約束の記号を消した、宗教画みたいな人物画なのです。
ここでのキーワードは「変容」。主題や様式、媒体などを少しずつ変容していくことにより、アカデミスムの雰囲気と宗教画の立ち位置を維持しつつ消滅をまぬかれることへの工夫を感じます。
今までの宗教画の権威は守りたい、しかし安易に時代の流れに迎合するわけにもいかない。そこで編み出したのが、このようなスタイルだったのではないでしょうか。
暗い森と道を背景にしているため、白を基調とした人物がより明るく輝いて見えます。宗教的な聖像というくくりから解放されたせいなのか、乙女の表情も、眠る幼児の表情も、安心してくつろいでいるように見えますわ。過酷な運命など背負わずに、自分の思うように生きてほしい──そんな気にさせられます。
日本近代洋画の礎を築いた黒田清輝や久米桂一郎らの師として知られるラファエル・コランはブーグローに師事し、彼の直系のアカデミスムだけでなく、印象派のような外光主義を取り入れた淡い色彩、やわらかな色調の絵画を残しています。これらの作品もまた、アカデミックな神話の雰囲気(芸術の擬人化)と外光主義(自然の光を取り入れた印象派寄り)の折衷のような感じになっておりますわね。
でもですねえ、私はこれはやりすぎだと思いますの。ぼやぼやしすぎですわ。画像だと多少はっきり写っているかもしれませんけども、これ、現地で本物を見ますと、照明の当たり方もあって、すごくぼやけて見えますの。一瞬で老眼になったのかと思いましたわ。やろうとしていることはわかる、でも見づらいという、視覚芸術として大きなハンデを背負っている気がいたします。
エコール・デ・ボザールの校長も務めたレオン・ボナは肖像画の名手。これはその絶頂期、13世紀以来の旧家である名門ド・ラ・パヌーズ家の夫人、オリアーヌ・マリー・ブランシュを描いた肖像画です。
歴史画、神話画に次ぐ地位を得ていた肖像画は、収入源として多くの画家が携わった分野でした。かつては貴族や王族など権力者たちが好んで描かせた肖像画は、19世紀に入ると豪商などの資産家──いわゆるブルジョワ階級がその権力を誇示・喧伝するために利用し始めます。 ゆえに肖像画は、写実よりも美化、抽象よりも具象が好まれます。欠点もそのまま描写してしまう写実主義や、何が描かれているかわからないキュビスムには任せられないジャンルですわ。その点、アカデミスムの画家たちの古典的な技量は、そのニーズにどんぴしゃで応えられるものであったでしょう。社会的地位のある人間からの覚えがめでたくなれば、市場における人気と、画壇における地位の両方を確立することができるのです。
ここでのキーワードは「公的」と「私的」。肖像画は、資産家や権力者から依頼される「公的」なものと、家族や友人などを描いた「私的」なものとに大別されますの。これを頭に入れて鑑賞すると、これはどちらの意味合いで描かれたものかなんとなくわかりますので、面白いですわよ!
お話の本筋からはそれますけども、ここで美術館での撮影について、少しだけ……
常設展なら撮影可、としている美術館は多く、たくさんの人がお気に入りの作品を撮影して個人で楽しんでおられることと思います。しかし、実は平面の絵画を上手に撮影するのって彫刻などの三次元芸術を撮るより難しいんですの。
理由はふたつ。
ひとつは、カメラのレンズを被写体の正面に持ってくるのが難しいこと。鑑賞者の目の高さ=展示された画面の中心というわけではございませんので、自分の目の高さでカメラを構えると、撮影した画面には歪みが生じることになりますわ。傾き程度なら後でトリミングもできましょうけども、奥行きの歪みが生じると修正するのは難しくなります。
いまひとつは、照明の問題。図録みたいに撮れない最大の原因は、この照明にあると言ってもいいでしょう。どこからどのような当て方をしても、大なり小なり必ず反射が生じます。下手をすると、人物の顔など、いちばん大事な所が反射で見えなくなることがございます。
これを防ぐためにはどうしたらよいのか?
私がいつも使うテクニックは、「ズーム機能を使う」です。近寄って撮れる場所、チャンスであっても、2倍ズームくらいにして少し離れた所から撮るのです。しかし、ズームして撮ると自動補正がきつくなったり画素数が落ちたりするので、人間の見ている色とは異なる色で撮れてしまうこともままあります。例として、
こちらがズームせずに撮った画像。実際の色に近く、高い画素数で撮れるためきれいに仕上がる反面、画面上部から反射するスポットライトの光がだいぶ邪魔になっています。
こちらが2倍ズームで撮ったもの。反射は抑えられているものの、画面の色合いは実際のそれとは大きく異なり、画素数も少ないため、細部の画質が落ちています。難しい!
いずれにしましても、撮影の際は、他の鑑賞者のお邪魔にならないことが鉄則ですわ。鑑賞する方が撮影画面に見切れないように遠慮している様子なら、すぐにカメラを下げましょう。美術館は撮影会場ではなく、鑑賞するための場所なのですから。
今展覧会の最後は、子供の肖像で締めくくられます。ブーグローの作品はやはりクピドや聖母子からアプローチし、宗教的・神話的な土台から、時代の要求するところに寄せていった気がいたします。
この「姉弟」もその印象を受ける作品のひとつ。宗教画の雰囲気を残した聖母子っぽいポージングであり、子供の背格好は幼子イエスというよりはクピドの方に近い──という、印象の幅を広く持たせる工夫を感じますわ。
ただ、言ってしまいますと、私はそもそもブーグローがあまり好きではないんですね。理由は、権威をたてにして印象派など新進の画家たちを門前払いにし続けたこともそうですけど、それでいながら市場の好みを分析して、商業的に「売れる作品」を量産していたことにあります。いい作品だから売れるのではなく、売れる作品だからいいという論理を実践しているところに、感嘆しつつ嫌悪感を抱くのですわ。
この「小川のほとり」にも同じ印象を受けます。ぱっと見、農村の少女をモデルに田舎の風景を描いているように見えますけども、手足の滑らかな肌や、髪の整えられ具合を見ると、明らかに農村の女の子ではないことがわかります。農民のコスプレをした都会の少女といったほうが正しいかもしれません。
絵画としてはとても美しい、トップレベルの技量であることは疑う余地もない、しかしその背後の意図にはアーティストとしての共感は無い──というのが私の率直な感想ですわ。印象派のルノワールが描く女の子と比べてみるとよく分かると思います。
ブーグローの考えていたことが如実に分かるのがこの一枚。この絵を初めて観た友人は一言、『邪悪な意図を感じる』と言い捨てました。そこまでではないにせよ、私も初見時には背筋がぞぞわとする感覚を覚えましたわ。
ブーグローは子供の純粋さ、無垢さといったものを、ここでは描こうとしていないのでしょう。この年齢の女児から匂い立つ、不自然なまでの色気、ある種の妖艶さからは、ブーグローの『お前らこういうの好きだろ?』という意図が透けて見える気がしてならないのです。事実、国立西洋美術館の売店にある絵はがきコーナーで最も売れているのは、在庫の数で判断するにたぶんこの子です(それか「悲しみの聖母」かもしれませんけど)。
現代の人間にさえ、ブーグローの目論見『お前らこういうの好きだろ?』は作用するのです。誰が見てもわかりやすく美しいもの。かわいいもの。色気のあるもの──それを狙って創れるブーグローの力量は、やはり尋常ではないと言えるでしょう。
ラファエル前派のひとりとして知られているジョン・エヴァレット・ミレイは、「オフィーリア」で名声を得た後、紆余曲折を経て1850年代後半よりラファエル前派主義から徐々に距離を置き、アカデミスムに回帰しました。
ミレイの描く子供の肖像と、ブーグローの描く子供の肖像とで決定的に違うのは、そこに現実味があるかどうかだと思います。理想化された子供の姿ではなく、作者の観察眼と動きや場面の切り取り方にそれは表れ、そこには前後の様子を想像する余地が生まれます。実際に子供はこういう動きをする、こういう表情をする、そういった「子供あるある」の共感がミレイの描く子供の肖像にはございますし、それゆえに前後の物語を想起しやすいと言えますの。
こちらの作品「あひるの子」に描かれている女の子の表情……緊張した、どこか不安を抱えている子は、実際にこういう顔をします。あるいは、自分の境遇をある程度理解し、あてがあるのか無いのかわからないなりに力強く前を向く、そんな風に解釈してもいいかもしれませんわね。薄汚れた服にぼさぼさの髪、両手に握りしめているのはハンカチでしょうか、それとも貴重な食料であるパンでしょうか。暗い背景、「あひるの子」というタイトルもあって、この子の幸せな未来を祈らずにはいられません。
そしてここにも、教養が必要とされる歴史画や神話画とは違う、ブーグローと共通する要素が認められます。
それは「誰が見てもわかりやすい」ということですわ。
「あひるの子」とは、言うまでもなくアンデルセン童話の「醜いあひるの子」のこと。知らない者がいないほどの有名なお話をタイトルにつければ、その意図するところは瞬時に伝わります。感情移入しやすいとも言えますわね。これは現代でも通用するテクニックですわ。
こちらの作品では、ミレイ自身の子供のうち四人をモデルにして描いています。狼の巣穴とは、つまり狼ごっこをしている子供たちのいる場所を巣穴になぞらえてつけたタイトルですね。
ここでは子供たちの思い思いのポーズと表情に注目です。狼っぽいしぐさを見せているのは中央の長男エヴァレットだけで、あとは好きなように、好きなことをしています。白い毛皮をかぶってぼんやりしている次男ジョージ、何をする遊びなのかもわからないのか、とりあえず毛皮にくるまってこちらを見ている次女メアリー、すでに飽きてお花をいじいじしながら寝転がっている長女エフィー。特に笑顔らしきものはありませんわね。
でも、これでいいのだと思います。子供って、こういうものです。もし全員が全員、遊びに熱中して笑顔であってもそれはそれで構わないとは思いますけども、通勤途中にある保育園や小学校に通う子供たちの行動や表情を見ていると、実に千差万別ですわ。子供の群像は、大人とは違って何をやるか予測がつかない面白さを内包していると思いますの。
いかがだったでしょうか?
最初は(ほとんどブーグローばかり……展覧会タイトルにミレイって要りますの?)と思っておりましたけど、要りましたね……!最終的に子供の描き方で対比するために、ミレイにはいてもらわなければなりませんでしたわ。
新たな表現が次々と生まれていった19世紀、その嵐のような改革の息吹は、権威の牙城たるアカデミーにまで及びました。叩いても否定しても気勢を上げる新興勢力と、それを支持し始める世論のただ中で、古典主義が採った生存戦略は、マーケティングとも呼べるようなものでした。それはいつの時代にも通じる、売買の基本と言えます。ブーグローもミレイも、それぞれの方法で、その生存戦略をたぐり寄せたのではないでしょうか。
では、最後に一枚、ご紹介いたしましょう。
ガブリエル・コットは、「春」「嵐」「オフィーリア」などで有名なアカデミーの画家、ピエール・オーギュスト・コットの娘です。
46歳という若さで亡くなったコットの師匠であり友人でもあったブーグローは彼の死に衝撃を受け、遺された家族に何度となく手紙を書き送り、娘ガブリエルの結婚の際には肖像画を制作して未亡人となったコットの妻ジュリエットに贈っています。
嫁いだ娘が、いつでもそこにいるような、そんな気にもさせてくれる肖像画がそこにある──夫人はきっと、嬉しかったでしょう。そしてこれこそ、誰もが好む画題を追い求め、人口に膾炙することを目的としたブーグローの技量が、ただひと家族のため、癒やしと救いをもたらすために発揮された、輝かしい作品ではないでしょうか。本レビューで悪役寄りの扱いをしてきたブーグローの、意外な一面でした。
おや、ブーグローが苦い顔でこちらを見ていますわね……
何か、ご不満でも?
『わかった風なクチを聞くな、若造が……』『お前が悪役扱いしたワシの姿こそ、お前の未来の姿かもしれんのだぞ?』『出来上がったものを見てああだこうだ言うことなど誰にでもできる。それを言うだけの土台があるか?他を黙らせられるだけの技量を示したか?』『己の作品を持たぬままでは、お前は永遠の青二才よ。ワシが手ずから潰すまでもあるまいて……』
はい、その通りでございます!あなたのような頭の回る権威主義者を打ち倒すために、可及的速やかに自分の作品を制作いたしますわ!(;^ω^)
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。