「会社がフィクションである」と知った日
先日、とても面白い本を読みました。
タイトルは、『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』です。
(著者:しんめいP、サンクチュアリ出版、2024年)
この本を読んで、書いた感想はこちらです。
本書の3章で、印象的な言葉をみつけました。
筆者によると、タオイストは、「戦い」がただのフィクションだと知っている。タオイストは「道(タオ)」の使い手。とのこと。
私の説明だけだと、「道(タオ)」「タオイスト」って何ぞや?って感じかもしれませんね。
本書では、「道(タオ)」についても身近に分かりやすく説明してあるので、ぜひ本書も読んでみてください。
話は戻りますが、本書の中の、
「会社はフィクションである」という一文を読んで、「ギクリ」としました。
「会社はフィクション・・かあ~。」
思い当たる節があったので、思い出してみました。
*
私は、新卒で百貨店に6年間勤務しました。だんだんと店舗が閉店ラッシュとなり・・実家から通勤圏内にあった店舗は、当初3店舗あったものが、現在は0店舗です。
私は入社6年で辞めましたが、もしこの会社を続けていたとしても、通勤圏内の店舗は無くなったので、どこかで辞める運命にあったでしょう。
遠くに店舗もありますが、100キロ以上離れているので、通勤するには現実的ではありません。
新卒から5年間お世話になった店舗は、広島市内の一等地にありました。その店舗は、家電量販店になりました。
家電量販店になった後、そのお店に行ってみました。
外観は、あまり変わっていませんでした。
店内に入ると・・
一階のきらびやかなスポットライト。化粧品売り場の香水のいい香り。GUCCIのショーウインドウ・・。百貨店の、ワクワクするような高揚感。
たしかに、在ったんです。
「以前は。」
その景色をさがすように、店内に入りました。
すると、店内の天井ははがされて、配線がむき出し。(何故でしょうね?家電の雰囲気を出したいのか?)
家電が並べられて、ワイワイPOPが貼られて・・店内音楽は「〇〇ー〇でんきっ♪」
私も家電や家電量販店はすきなので、店内を散策するのは楽しかったです。だから、元職場が家電店のレイアウトになっていやだ、とかそういうのではありません。
でも、何だか辛いというか切なくなりました。
百貨店として「在った」景色をさがしていました。家電店の店内に居ながら、どことなく百貨店の景色が蘇り、また消えていく。不思議な感覚がしました。
「当時は在った職場。会社って何なのだろう・・」と思いました。
会社で働いていたとき、メリットもたくさんありました。
雇用が安定していて、お給料もいただける。仕事をしながらたくさんの学びもあった。上司や同僚、お客様にも恵まれて、楽しい日々。
一方で、職場の人間関係で苦しんだ時期もあって、感情に蓋をして出勤していた時期もありました。
正社員で雇用してもらったんだ、手放すまいと必死な時期もありました。
でも、「在った」ものが、今は・・
*
世の中は会社で支えられてますし、雇用の創出になりますし、経済の安定にもつながります。そんな中で、「会社ってフィクション・・」なんて言ってすみません。
しかもキャリアコンサルタントなのにこんな事言って・・書いてよいものかと少し葛藤しました☺
会社で勤務することがどう、とかフリーランスで働くことがどう、とかどっちの働き方のほうが良い、とか言う意図ではありません。
ただ、もし「今の会社が全てだ」と思っている方で、本当に色々とうまく行っているのならよいのですが・・
「今の会社が全てだから、無理をしてでも頑張り続けよう」と疲弊している方がいらっしゃったら、「フィクション、という面もあるかもしれないよ」という視点をお伝えしたいと思い、書いてみました。