死にかけたからこそ分かること
こんにちは。ハッピーロータスです。
自分が何を大切にしているのか、
どんなことを思って生きているのかを
クリアな言葉にしたくて、色んな思いをここで
綴らせてもらっています。
今日は、一部の人からは「え~!?」って思われてしまうかもなあ、
って話を綴りたいと思います。
病気の話です。「死」にも関係します。
そういう話苦手だなあって方は、避けて頂ければと思います。
どこにでもいる大学生
大学生の頃、何のために生きているのか
どうやって生きていったらいいのか分からず
ふらふらとさまようような毎日を送っていました。
とはいっても、体育会系の部活で週5日はトレーニング。
友達と飲みに行ったり、若者の集まる場所で遊んだり、
ちょっとアルバイトしてみたり。
外見上は、どこにでもいるような大学生だったんじゃないかなと
思います。
適当な毎日
そんな普通の大学生をしていましたが、
今振り返ると、
「自分を大事にする」ってことはできてなかったなあと思います。
気ままな一人暮らし。
授業には出たりで出なかったり(30年位前はそんなもんでした)。
体育会系の部活だけは休めないので、その時間は
大学の体育館で過ごし。
料理が苦手だった私は、自炊してたかどうかも
あまり覚えてません。
一人暮らしのために仕送りしてもらっていましたが、
できるだけ節約しないと!と思って、
それまで嫌いだったモヤシが好きになり(無理やり?(笑))
なるべく食費を抑えるために、
貧困な食生活を送っていました。
大学の食堂でもケチって、毎日のようにわかめうどんを注文。
特に不満もなく過ごしていました。栄養不足~!
(食いしん坊なくせに、そんな生活でも苦になりませんでした)
自分の体をメンテナンスするなんて発想もなかったんですよね。
死にかけた
大学4年生となった私は、大学院受験に向けて
昼も夜も勉強する生活を送っていました。
大学の図書館が開いている時間は図書館で。
図書館が閉館したら、近所のミスドに移動して
夜中まで淡々と勉強する毎日。
ある時、何だかだるいな~と思って熱を測ると微熱。
そのうち吐き気もしてきました。
吐き気が収まらず、普段から通っている内科に行くと、
(何の診断だったかも忘れましたが)抗生物質を出されました。
それを飲んで安静にしていても、吐き気はさらに強まって、
これはおかしいと思った私は、別の内科に再度受診しました。
そこでの診断も忘れてしまったんですが(汗)、
「診療時間外でも、もっとしんどくなったら電話して下さい」
と言われて帰宅。
自分で言うのもアレですが、普段我慢強い私が、
「これはおかしい。もう耐えられない」と思って、
夜遅くに内科に電話しました。
すると、「明日の朝すぐ〇〇病院を受診して下さい」と
大きな病院を手配してくれました。
ドクターも、私の病状を見て、何かおかしい、
と思ってくれてたんですかね。
次の朝。
歩くのも難しく、タクシーで病院に何とかたどりつくと、
車椅子に乗せられ、色々な検査に回されました。
そして下された診断は、ウイルス性の劇症肝炎。
ガンマGPT、GOTの値が4000を超えており、
あと一日遅かったら、死んでたよ!と怒られました。
(ちなみに、GPT、GOTの正常値は30以下)
即入院。安静にしていると、数値が
4000→2000→1000→500・・・と毎日半減、半減。
1~2週間もすると、普通の数値に戻りました。
若かったから、回復も早かったんですね~。
(とはいえ、その後半年間は、肝臓に負担をかけないために
禁酒、禁揚げ物でしたが。)
死にかけて気づいたこと
おかしいかもしれませんが、死の恐怖は全くありませんでした。
私がこの時感じていたことは、
「私って生きてたんだ」
「私の肝臓って、しっかり働いてくれてたんだ」
ってこと。
変ですよね。変な感想、って自分でも分かってるんですけど
この時思ったのは、そんな変な内容だったんです。
肝臓は、健康な人でも毎日少しずつ壊れていってます。
それが毎日しっかり再生されて、解毒機能を果たしてくれています。
劇症肝炎というのは、肝臓が急速に壊死していく状態です。
私の不摂生な生活、体を大事にしようとは微塵も思わない生活は、
ガソリンも入れてないのに動け、動け、と自分を酷使している
状態だったんでしょう。そんな酷い状態だったことに、
全く自覚もありませんでした。
あと一日遅かったら死んでたのか。
ってところまでいって初めて、
ああ、自分の体に申し訳ないことしてたんだな。
体(自分)を大切にして、ちゃんと生きないとダメだな。
って思ったんです。
意識的に体(自分)を大切にしてる人からしたら、
は?今さら、何言ってんの?っ話ですよね(汗)
私の無自覚さに、これを読んでイライラしている方も
おられるかなって思います。すみません。
当たり前のことが尊い
この劇症肝炎以外にも紆余曲折ありましたが、
その後私は、「生きてるってすごいこと」「当たり前のことが尊い」
と心の底から実感するようになりました。
あの経験がなければ、「生きていること」「当たり前のこと」を、
そこまでくっきりと焦点づけて感じられなかったんじゃないかと思います。
以前の私は、積極的に「生きたい」とは思っていなかったと思います。
(そんな風に思っている自覚すらありませんでしたが)
死にたい、とは思っていなくても、もう生きるのはいいかな、とか
もう消えちゃってもいいか、とは思っていたかもしれません。
そんな「もういいかな」って気持ちが、
今でも湧かないわけではないですが。
それよりも、
子どもたちと何でもない日常を過ごしている時間や、
育てている野菜に実がついたなんていう、ちょっとした出来事や、
空に綺麗な月が浮かんでいるのを見た瞬間なんかに、
「ああ、いいなあ」って気持ちが湧いて、しみじみとします。
そんな、日々の当たり前のことが嬉しくて仕方ないんです。
だから、毎日「わ~、嬉しい」「いいな~」ってことが起こります。
それがあるから、まだ消えずに生きていようって
思えるのかなって思います。
私が「いいな~」と感じる風景は、
他の人から見たら、当たり前の日常過ぎて、
「そんな小さなことで喜んでるの?」
「もっと、楽しいことやすごくワクワクすることがいっぱいあるのに」
って思われるかもしれません。
でも、一瞬一瞬の当たり前の出来事、自分や大切な人たちが
生きてること自体がほんと尊いことだと、今の私は感じています。
今回、こんな話をわざわざ書いたのは、
この背景を抜きにして、
「生きてること」「当たり前のこと」が尊いって話が
私には語れないから。
逆に、こんな死にかけた経験をしていなくても
それを尊いことだって元から分かっている人って、
凄いなと思います。
どうやって、それを分かったんだろう。
そんなの、当然のことですか?
分かってる人にとっては、生きてることや当たり前のことが尊いのは
当然だって話かもしれませんが、
紆余曲折を経てやっとそう思えるようになった私にとって、
実は、「そう思えていること自体が財産なんだよ」って思います。
今日は、変な話を書いちゃいました。
こんな話を最後まで読んで下さって、ありがとうございました!
皆さんに、今日も良きことがありますように!
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