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【H】いまの日本に必要なのは「財政再建」でも「財務省解体」でもなく…

清水真人著『財務省と政治』(2015)を読んでいたところ、冒頭近くに以下の記述を見つけた。

高層化が進む東京・霞ヶ関の官庁街。際立って古めかしく、地下一階・地上五階という重心の低さも相まって独特のどっしりした印象を醸し出すのが財務省の庁舎だ。戦時中の一九四三年に大蔵省庁舎として完成した財政再建を唱える立場から、建て替えは後回しだ。

『財務省と政治』p3

これはなかなかに健気ではないだろうか。財政再建を主張する以上は、自分たちの仕事場も質素にという心意気。

こんな健気な財務省だが、最近は風当たりが急速に強くなってきている。産経新聞の記事を引用してみよう。

財務省に向けた投稿のうち、93%にあたる約1万8600件が反論や批判、誹謗中傷などネガティブな内容だった。(…)11月16日午後7時からの24時間の間に、財務省アカウントに返信またはメンション付き投稿された783件の内容を分析すると、「財務省」の次に多く使用された言葉は「解体」だった。全体の34%にあたる270件に含まれ、うち180件では「財務省解体」として使われていた。財政規律に厳格な姿勢を揶揄する「ザイム真理教」は18回登場した。

以下のリンクを参照のこと

もちろん、身から出た錆といわれれば、それまでだろう。「【H】ネットでバカにされないための「積極財政」入門」の記事で論じたように、私は財務省の進める財政再建路線、均衡財政・緊縮財政は、国を滅ぼす過ちであると思っているし、その点でそれは平成・令和の大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)と位置付けうると思っている。

戦後に「昔陸軍、いま大蔵省」と言われた時期があったが、軌道修正の苦手な「行政」官僚組織に権力が集中した先にこそ、破滅がやってくるのである。「行政」に対置される「政治」はそこに変化をもたらす仕組みに他ならない。

しかるに、民主主義のもとでの「政治」的な変化の前提は、健全なメディア環境である。だからメディアがおさえられてしまうことは極めて危険なのだ。戦中の大本営発表が象徴的な例だろう。現在の日本の文脈で考えると、オールドメディアと呼ばれるテレビと新聞がクロスオーナーシップで一体化したうえで、新聞への消費税の軽減税率8%適用というエサでもって、財政に関しては財務省のプロパガンダメディアと化してしまっているような現状がある。

そのようなメディアがさんざん財政危機論を煽ってきたことが、昨今のネット世論の盛り上がり、マスメディアに対するカウンター世論の勃興でひっくり返された結果が、この財務省への「財務省解体」という批判の殺到に他ならない。

それは言祝がれるべきことであり、確かに、財務省に改革は必要である。赤字国債を原則禁じる財政法の改正、健全財政という目標を設定する財務省設置法の改正、徴税権力を持つ国税庁の切り離し…こういった財務省改革は是非とも実施されるべきである。

ただ、上の新聞記事で識者が「ネットの議論が過剰になったり、極論化したりすると、中身のある議論がしづらくなる」と指摘していることにも一理ある。私が懸念するのはネット世論のあまりの過激さや過剰な攻撃性によって、より大きな世論全体がついてこれなくなってしまうことだ。それこそ、あさま山荘事件で新左翼運動が大衆の支持を失ったように。

だとすると、積極財政派は、少し血の気を抑えて、ユーモアを持って政局に対処するという局面があっても良いだろう。

そこで、財政再建のためにボロ庁舎に甘んじる財務省に関して私が提案したいのは、「財政再建」でも「財務省解体」でもなく、「ボロくなった財務省庁舎の解体」と「財務省庁舎の超豪華再建」である。東京駅周辺の大規模再開発を向こうに回すような財務省のピカピカ豪華新庁舎で「積極財政」への転換を象徴的に表現するわけだ。これなら財務官僚もニッコリなのではなかろうか。

以下はCanvaで生成したイメージ画像である。

財務省豪華新庁舎例


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