【H】BTCとMMTから考える貨幣論—ビットコインvs.現代貨幣理論
本記事では、BTC(ビットコイン)とMMT(現代貨幣理論)の間にある一種の対立関係を通じて、貨幣の本質の一側面について考察する。
この対立において、BTCとMMT(が語る主権通貨)は、それぞれ強みと弱みを持っており、おそらく真実は両者の対立の中間にある。それは主流派経済学の貨幣観の再評価にもつながるだろう。
1、松田康生氏のMMT批判(?)とランダル・レイのBTC批判
楽天ウォレット所属で、日本屈指のビットコインアナリストである松田康生氏が、Xに以下のようなポストをしている。
他方で、MMTの代表的な理論家であるランダル・レイは、その『MMT現代貨幣理論入門』で、MMTのいわゆる「租税貨幣論」の文脈において、BTCについて以下のように論じている。
2、MMTの貨幣論を復習する
さて、この対立関係について考察していきたいのだが、その前にまずはMMTの基本的な立場を確認しておこう。私は、「ネットでバカにされないための「積極財政」入門」の記事において、それを以下のように要約した。
詳しくは、上記の記事の前半部分を参照願いたいが、簡単に要約すれば、MMTの貨幣論は以下のように主張する。
例えば、「円」といった通貨は、畑に生えていたり、海で泳いでいたりはしない。円は自然物ではないから、日本国政府が円を通貨として定め、円をいくらか発行して初めて存在する。この意味で政府は通貨発行権を持つし、円が存在するためには政府は通貨発行権をもっていなければならない(貨幣国定説・主権通貨論)。
ただ、政府が通貨を発行するのは勝手だが、それだけでは、人々がその通貨を受け取り、対価として労働や物品を供与するかどうかは定かではない。これを確実にするのが税である。政府はあらかじめ円での納税義務を課しておくことで、人々に円を受け取る動機を与え、円を対価として人々を動員する。このように人々が円を受け取るようになっているから、その人々から財やサービスを購入したい人々も、その支払いのためにと円を受け取るようになる。こうして通貨が流通していく。すなわち、税が貨幣を動かす(租税貨幣論)。
こういうわけで、政府は通貨発行権を持っているが、現実の通貨発行のほとんどは政府ではなく民間の銀行が行なっている。銀行からの融資が行われる際に「信用創造」という仕組みによってお金が増える。より正確にいえば、Aさんに100万円の融資が行われる際に、Aさんには銀行預金100万円と、負債100万円が同時に帰せられる。つまり、信用創造においては、0が、例えば、プラス100万とマイナス100万に分裂して、プラスの部分に着目すれば、お金が増えたことになる。現代の貨幣システムは、借金(債務)を通じてお金が増え、借金の総量とお金の総量が一致する「債務貨幣システム」であり、現代の貨幣は銀行預金として生み出される「信用貨幣」なのである(信用貨幣論)。通貨発行権を持つ政府は、これに付き合う必要はないが、現代では成り行き上、この仕組みに付き合って、国債発行という借金の形をとって通貨を発行している。
この理論構築において、MMTはいわゆる「主流派経済学」に何を付け加えたのか。いくつもあるのだが、ここでは租税貨幣論だけ扱おう。
MMTが主張するところでは、主流派経済学は、先のレイの引用にも出てきた言葉だが、貨幣に関して「間抜け比べ理論」を採用していた。それは「貨幣は、他の人に受け取られると想定されるので、受け取られる」というものだ。私たちは、他の人が受け取ってくれると思うから、貨幣を受け取るのである。
これは貨幣には究極的には根拠がないと言っているに等しい。それを意地悪く言い換えるなら、そんな根拠がないものを受け取ってくれる「自分よりもっと間抜けなやつ」がいると思うから、私たちは貨幣に価値がないことを知りながら、「間抜け」になって貨幣を受け取るというわけだ。これが主流派経済学の「間抜け比べ理論」である。
これに対してMMTは、貨幣の最初にして究極の受け取り手として、通貨の発行者たる政府を置いた。政府は税を課し、税を納めない人々を強制的に処罰する。そして、税として(自らが発行した)通貨を受け取ると宣言するのである。人々は通貨を税として納めなければならないから、それを受け取るのであり、そこから受け取りの輪が広がっていくというわけだ。
3、MMTからのBTC批判—松田氏ポストの批判的検討
さて、以上の整理から、レイのBTC批判は簡単に理解できる。それは要するに、租税貨幣論の立場から、強制力をもって税を課し、税としてBTCを受け取る政府が存在しないから、BTCは通貨としての根拠を欠いていると主張しているわけである。確かに、それは国が発行する主権通貨の強みを捉え、BTCの弱みを捉えているだろう。
だが、この『MMT現代貨幣理論入門』が出版された2015年ならいざ知らず、2024年の現代において、BTCを以上の論拠だけで無価値なものとして切り捨てることは難しいだろう。アメリカではBTCを(ゴールドのように)外貨準備に加えようというドナルド・トランプが大統領選に勝利し、BTCの時価総額は台湾ドルを超え、ドル・ユーロ・元・円などを含む世界の通貨の中で第12位になったという。
ここで松田氏のポストの方に目を転じてみよう。
MMT派の貨幣論を大筋で是認している立場からすれば、こちらのポストにはいくらか問題があることは否定できない。このポストから引き出せるBTCの強みとMMT(が語る主権通貨)の弱みを見る前に、まずはこのポストの問題を検討していこう。そのなかで自然にBTCの強みとMMTの弱みが見えてくることになる。ある意味では、このポストの真の読み方が見えてくるのだ。
まず、このポストの「破綻」という言葉で何が想定されているのかが明らかではない。それが国債が償還できなくなること、「国の借金が返済できない」こと、すなわち、債務不履行(デフォルト)であるとすれば、(財務省自身が言っているように)そんなことは生じ得ない。政府には通貨発行権があるからだ。
他方、「紙幣の増刷」「自国通貨が紙切れ」という言葉が示唆するように、野放図な通貨供給量の増大からインフレないしハイパーインフレが生じていくということであれば、確かにそういった可能性は存在する。
ただ、MMT派であれば、ハイパーインフレは、通貨の流通根拠である強制的な税徴収が実効性を失うような統治機構の機能不全や、供給能力の毀損や流通網の破壊などに起因する極端な物不足がなければ生じないというだろう。要するに、MMT派からすれば、貨幣はそれ自体で崩壊することはなく、貨幣の崩壊は社会の崩壊の結果なのである。
また、現代の日本の物価上昇率はたかだか年率2%を少々超える程度であり、インフレではあるにしても、問題視するべき高インフレですらないから、ハイパーインフレの危機を差し迫ったものとして考える根拠はないというべきであろう。
この危機という点に関して、上のポストは、財務省の財政再建路線とハイパーインフレの可能性を暗に結びつけることで、政府債務残高の多さがハイパーインフレの危機の根拠となるかのように論じているのだが、このようなリンクはさしあたり想定しがたい。
というのも、インフレを引き起こすものがあるとすれば、政府債務残高と民間の信用創造の和としての通貨発行総量の増大だが、日本の政府債務残高が大きいのは、民間の信用創造が収縮したのを埋め合わせている側面も大きく、通貨発行総量が財やサービスに対して爆発的に増えているとは言い難いからである。現に高インフレが起きていないことが、そのことを証拠立てている。
上のポストでは、政府債務残高の大きさそのものが危機であるという前提で、現状の日本について「政治家も国民も増税で財政を立て直す意思も余裕もなく」と主張されているが、以上の観点からみれば、「増税」がなされないのは、「意思」や「余裕」がないからではなく、そもそも「必要」がないからに他ならない。高インフレの危機が現実のものになって、この「必要」がでてくれば、政府は増税を行って国民の貨幣需要を強制的に高めることで、デフレ圧力を加えることができるのである。
4、BTCからのMMT批判—マーシャルのKが告げる「危機」(?)
MMT派であれば、基本的には以上のように考えることになろうが、この議論の流れに対して、あまり指摘されない有力な反論が考えうる。それはマーシャルのKという指標に注目するものだ。マーシャルのKとは、マネーストックを名目GDPで割ったものであり、「政府債務残高と民間の信用創造の総和と一致するお金の総量(≒マネーストック)」が「一年間に生産され取引された付加価値の総量(=名目GDP)」の何倍あるかを計算したものである。これが米欧はせいぜい1倍なのに対して、日本は2倍に上っている。
これが何を意味するかといえば、日本の政府債務残高と民間の信用創造の和としての通貨発行総量は(、それを多くはないとした前項後半の議論とは反対に)実はとても多いのであり、ただそれが出回っていないからインフレになっていないだけなのである。日本人は、政府が政府債務残高を増やして発行した通貨をせっせと溜め込んで使わないので、政府がさらに政府債務残高を増やして通貨を発行して支出せざるをえないという状況を作ってきたわけだ。
この日本のマーシャルのKの大きさを踏まえると、この溜め込んだお金が何かのきっかけで一気に動き出すとき、名目GDPによって大まかに表現されている供給能力に対して過度な需要が発生し(なんといってもお金の名目GDPに対する比率が欧米の2倍なのである)、日本は高インフレに陥る可能性があるということになろう。そして、インフレはインフレを呼ぶ自己強化的なフィードバックループを持っている。マーシャルのKが高いという点において、日本はインフレ時限爆弾を抱えており、「危機」が存在しているのだ。マーシャルのKが欧米の2倍ある以上、欧米と同じぐらいお金が動くようになれば、単純計算で物価は2倍になっても不思議はないということになろう。
話がやや脇道にそれるが、この問題意識を踏まえるなら、日本に必要な政策は、時限爆弾を強化することになる「政府債務残高=通貨発行量」をあまり増やさないようにしながら、現に溜め込まれているお金を徐々に動かしていくことに特化した政策である。
本筋に戻ろう。ここまで考えれば、松田氏のポストに暗に表現されているBTCの強みとMMT(が語る主権通貨)の弱みが見えてくるだろう。
すなわち、BTCは厳密に発行総量が制限されているのに対して、MMTの語る主権通貨は、発行量に制限がないのである。MMTが語るように、政府は決して債務不履行に陥らないがゆえに、国債発行の形態で行われる政府の通貨発行には限界がない。また民間に目を転じても、人々が借金をしようとし、銀行が融資をしようとするならば、通貨はどこまでも増えていくのである。
要するに、BTCの強みは(ブロックチェーン技術で非中央集権的に取引記録が管理されていることに加えて)まさにその厳密な希少性にあり、MMT的主権通貨の弱みは希少性の欠如である。もちろん、急いで付け加えるなら、政府は政策金利を上げることで民間の信用創造を抑制し、増税を行うことで通貨を回収することができる。つまり、政府は金融政策と財政政策の両面において、通貨に希少性を回復させることができる。
だから、政府は緩やかなインフレには十分対応できるはずなのだが、問題は、上で論じたように、日本のマーシャルのKの高さに表現されている「溜め込み」の状況である。このように過度に溜め込まれた貨幣が一気に動くときには、一種の資本逃避のような形で、貨幣価値の急落、インフレショックが起きないとも限らないように思われるのだ。
5、結論:主流派経済学の「間抜け比べ」的貨幣観の再評価
以上の議論をまとめよう。主流派経済学の貨幣観は「貨幣は受け取られると想定されるから受け取られる」という、貨幣の究極的な根拠を不在とみなす貨幣観だった。
これをMMT派は「間抜け比べ理論」だと批判し、貨幣の最初にして究極の受け取り手として、強制的に税を課す政府を想定した。その税があってはじめて、政府の発行する通貨が受け取られ、流通するようになるのである。それが租税貨幣論だった。
その観点から、MMT派は、BTCは政府という強制力を持つ最後の受け取り手を欠くがゆえに無根拠・無価値であり、真の貨幣ではないと批判した。MMTの語る主権通貨の強みは、強制力を持つ政府という後ろだてがあることであり、BTCの弱みはそれがないことである。
ただ、BTCがこれほど世界で受け入れられ、その価値が上昇し続けていることは、以上のような議論の一面性を示唆している。
この現実の側、BTCの側から見えてくるのは、MMT的主権通貨に発行総量の制限がないという弱みであり、厳密に発行総量が決まっているというBTCの強みである。
こうして、BTCは「間抜け比べ理論」的貨幣であるにも関わらず、このように徐々に力をつけている現実を踏まえるなら、やはり貨幣の本質規定に「租税貨幣論」を組み入れるのは適当ではないだろう。
私たちは主流派経済学の見方を再評価して、貨幣の本質は「間抜け比べ理論」にあると認めるべきなのではないだろうか。貨幣流通の本質はそこにあるのだが、それぞれの貨幣はそれぞれなりの強みを持つことによって、「受け取られる」という事実性を強化していく。
それが主権通貨の場合には強制的な税の徴収という裏打ちであり、BTCであれば取引履歴記録の頑健性と厳密な希少性である。そう考えるのが妥当であるように見える。
以上のような考察の道を辿り切るとき、私たちは主権通貨(円・ドル)のみならず、ビットコインやゴールドも一定程度は所有しておくべきだ、平凡な結論ではあるけれども、そのような実践的な結論に導かれるように思われる。