【H】【翻訳】アーヴィング・フィッシャー 『100%マネーと公的債務』(1)
PMT研究の一環として、信用創造廃止論の文献でおそらく一番知られているアーヴィング・フィッシャーの『100%マネー』(1935)を訳したいと思っているのだが、手始めにそれより少し後に書かれた「100%マネーと公的債務」(1936)という小論文を訳してみる。だいたい4〜5回に分けて訳せればと思っている。今回はその初回である。
(数字)は注で、最後にまとめて示してある。
原文の斜体や大文字による強調部分を太字で示している。
[]は私の補足である。
原文のファイルは以下である。
100%マネーと公的債務
アーヴィング・フィッシャー イェール大学経済学名誉教授 1936年4月
この二年半のあいだ、全ての要求払い預金[=普通預金・当座預金など、預金者からの要求があれば銀行が払い出す預金の総称]の背後に100%の現金準備を維持する計画に対する関心が急速に高まっている。(1)
要求払い預金に対して、部分的な準備ではなく完全な現金準備をするという提案が、過去100年以上にわたって何度も何度も提起されてきたのは、なぜなのだろうか。そして、とりわけなぜ今になって、これほど突然かつ劇的な仕方で、この提案に対して関心が示されるようになっているのだろうか。
この問いへの主たる答えは、幾たびもの恐慌である。多くの著述家たちが、それぞれ独立に、100%マネーの計画が恐慌の解決策になると考えたのだ。
別の箇所で述べたことだが(2)、私は以下のように考えるようになった。すなわち、100%マネーの計画は「適切に設計され適用されるならば、恐慌の問題を素早くかつ恒久的に解決するためにかつて提起された提案のうちで、群を抜いてベストなものである。なぜなら、それは行き過ぎた好景気と恐慌の双方の原因、すなわち、現在のように銀行貸出に結び付けられてしまっている要求払い預金の不安定性を取り除いてくれるからだ」。
もっと前に書いた本(3)で、私は以下のことを示そうと試みた。すなわち、最近のいくつかの恐慌、そして、私が証拠を得られた限りでは、ほかの全ての大きな恐慌は、ある二つの原因の一つあるいは双方によるものだった。その二つの原因とは、まずはじめには多すぎる短期債務であり、しかるのちに返済が試みられるときに、その返済の結果として生じる、市中に流通している媒体[=貨幣]のあまりに大きな収縮である。この二つの要因、すなわち、債務とデフレの双方ともが、部分準備銀行システムのうちに、互いに結びついた形で見出されるのだ。(4)
直近の恐慌でのもっとも際立った事実は、要求払い預金、いわゆる「小切手帳マネー」[=銀行預金と考えてよい]の三分の一以上にあたる80億ドルが破壊されたことだった。これは不安定な部分準備システムの自然な帰結なのだが、それが恐慌の非常な深刻さの主要な理由でもあったのだ。
もう少し詳しく述べよう。卸売物価の水準はほとんど半分になった、ということはドルの価値はほぼ二倍になった。ドルの購買力の変化があまりに劇的だったので、ドルで数えて20%の債務を返済したとしても、実際の債務負担は20%軽くなるのではなく、商品の観点からみて40%も重くなっているのだ。これが私が債務のパラドックスと呼んだものである。債務者が借金を返しても返しても、その借金は増えるのだ[=上で述べられたように、借金の返済はお金を減らし、それによってお金の価値が上がるので、実質の債務負担が重くなるということ]。
この債務のパラドックスが生じる理由は明白に以下のことである。すなわち、物価が下がるとき、ドルはより貴重になる。ドルが貴重になるのは、それが希少になるからだ。それが希少になるのは銀行貸出の返済によって国中の小切手帳マネーが破壊されるからだ。そして最後に、返済が小切手帳マネーを破壊する根本的な理由は、部分準備システムのうちにある。
小切手での決済に使われる預金の減少によって、恐慌時の経済の墜落の大部分を説明できるだけではない。それらの預金の復活によって、恐慌の後の経済の回復も説明できるのだ。この回復のためにアメリカ政府は全力で銀行に企業へ貸出をするように働きかけ、また企業に銀行から借入をするように働きかけた。だが、これは失敗した。すると今度はアメリカ政府が身代わりとなって、自分で借入をすることにした。本質的な点はアメリカ政府が借入をしたことではなく、その借入が銀行からだった点にある。そうすることでアメリカ政府と銀行が一緒になって「信用」を、すなわち、銀行がアメリカ政府に貸出した小切手帳マネーを、創造したのである。私の理論によれば、この新しいマネーこそが、それ自身は債務の副産物にすぎないものの、今日の部分的な回復の主な理由なのである。
(1)今回の恐慌に際しての最初の提案は、ヘンリー・サイモンズ教授により、内輪で配布されたガリ版印刷のメモの形でなされた。
(2)『100%マネー』 アデルフィ社 ニューヨーク 第二版 1936年 p.xviii
(3)『好況と恐慌』 アデルフィ社 ニューヨーク 1932年
(4)詳細な証拠に関しては、『好況と恐慌』を見よ。
続きは以下である。