【H】【翻訳】アーヴィング・フィッシャー 『100%マネーと公的債務』(2)
本記事は以下の翻訳の続きである。
現在の3.5%システム
1935年の連邦準備法まで、我が国の預金準備率は引き下げられていき、そのためにイングランドとは対照的なことに、我が国での危機はより厳しいものになっていった。少ない準備預金というこの脅威が早期に取り除かれない限り、将来の行き過ぎた好況と恐慌とはより悪いものになると考えざるを得ない。連邦準備制度は、表向きは準備預金制度の強化を意図しているとされているが、実際の結果においては準備預金制度を弱めている。直近の我が国の恐慌は世界中でもっとも厳しく、歴史上でももっとも厳しいものだった。そして我が国の預金準備率も世界中でもっとも低く、比較的重要ではないケースを除けば、歴史上もっとも低いものなのである。
要求払い預金に対する我が国の預金準備率は平均で10%だと思われているが、この10%の準備は現金ではない。それはそれ自身も連邦準備銀行における要求払い預金でしかない。そして、この要求払い預金に対する準備はたった35%でいいのだ。だから、人々の小切手帳マネー100ドルに対しては、名目上でもたった10ドルの準備預金しかいらないわけだが、要求されている実際の現金というと、さらに少なくたった3.5ドルなのだ。3.5が100の土台となる、このような逆立ちしたピラミッドは、どうしたって不安定になるしかない。これは3.5フィート幅の手押し車で転倒せずに100フィート幅の干し草を運ぼうとするようなものである。このように私たちの現在のシステムは、100%システムには程遠い3.5%システムなのだ!
にもかかわらず、銀行業に精通していない人のほとんどは、「銀行にある」彼らのお金が銀行にないなどとは夢にも思わない。そして、銀行業に精通している人のほとんどは、銀行にないお金が銀行にあるべきだとか、銀行がそのようなお金を持っておくことが有用だなどとは夢にも思わないのである。
マネーの問題は単に[現金との]兌換性の問題ではない。それはまた、ビジネス活動に支障が生じないように、市中に流通している媒体[=貨幣]の適切な量(と速度)を維持するという問題でもある。今日、取り付け騒ぎを成功裡に乗り切った場合でも、その成功はマネー不足を作り出すという代償でもって買われたものなのだ。というのも、引き出しによって準備預金が減ってしまった銀行は、財布に入った実際のマネーか、小切手帳マネーか、いずれにしても人々からお金を取ってこなければならないからだ。言い換えれば、銀行は、現金準備が法的な下限値を下回らないように、(貸出の返済を要求することで)預金を減らすことを強いられるのである。1ドルの現金が引き出されると、10ドルの預金が破壊されるかもしれない。現金引き出しの最終的な結果は、したがって、市中を流通する媒体[=貨幣]の総量の減少なのである。
明白なのは、もし現金準備の3.5%システムの代わりに100%システムを採用すれば、市中に流通するマネーの総量に影響を与えることなく、人々はどんな額のお金でも引き出すことができるだろうということだ。銀行はお金を得るために人々に頼むことはないだろう。すでに100%のお金を手元にもっているからだ。全ての人のお金は、信用(小切手帳マネー)を含めて、実際の、触れることができる、破壊し得ないマネーとなるだろう。それがポケットか銀行にあって、手渡しか小切手かで送金ができるのだ。(財布のお金と小切手帳のお金との)二種類のお金の区別はなくなるだろう。預金者の「銀行のなかの現金」はもはや今のようなフィクションではなくなるだろう。今の「銀行のなかの現金」は現金では全くなく、現金を用意するという単なる約束であり、単なる帳簿上の信用なのである。
続きは以下である。