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ジェンダー委員会資料

 こんにちは、近所にグルテンフリーレストランができてめちゃめちゃうれしいとまよこ りゃんシーです。女性媚びしてなくて古くて暗い感じで居心地は良い。店主も暗い感じで陰キャには通いやすい。

 さて前回書いたようにジェンダー外来で受診拒否されてしまったので、せっかくなのでそこで書くように言われた自分史をシェアします。
 てか5年前にも同じ事させられたんですけどね。その時は結局副腎疲労症候群の疲労感を陰性の統合失調症だと誤診されて入院騒ぎになって変な投薬(しかも無理矢理筋注)させられて逃げてうやむやになってたので、体調整えて3度目のジェンダー外来だったんですけども。あの時MRIも染色体検査もHTPPもWEIS(2回目)もしたんやぞ(怒)しかもその時のデータは残ってないって言うし検査結果の発行に何万もかかるとか言われて(母さんが)やめたから手元に血液検査結果以外何もないし…
 何で今回受診拒否されたかって言うと若干ややこしいんですけど、そもそもそこを紹介した晴和病院の診断ミスがあって「紹介状と話が違う」みたいになったんだと思います。晴和病院、発達障害診断のための材料を親からの生育歴の証言だけに依存してて、「もうこれ以上発達障害増やしたくないし、どうせ発達障害じゃないから」みたいな投げやりな応対だったし、僕(本人)の話に聞く耳持たない感じで、ネグレクトしてた母の証言だけで診断したから母さんが「(放ったらかしてたので)全然気づきませんでした」っていう証言を「幼少期のエピソードに乏しい」って判断して診断ミスみたいになってて、それで紹介された病院が実際僕と話して「これはうちの手に負えないなー」ってなったみたいです(怒)こんな事ばっかりだよこの10年。まともな精神科医はいないのか?
 まあでも実際僕は性別違和のほうがより生きづらいと主観では感じてんだから発達障害<性別違和という診断は合ってるんだけど、それなら10年前に初めてジェンダー外来に行った時の発達障害>性同一性障害って診断は何やったんか…それのせいで同意書書いてもらえなかったんやぞ…それで腹立ってがむしゃらに生活してたら副腎疲労症候群になったんだけど。今思うと一番の原因はグルテンかな?


性別についての記憶【~小学校】

l   母親から母乳を飲ませてもらった事がないらしい。

l   男子に混じってスカートめくりをして、「女の子のおしりは冷やしちゃダメ」と怒られた。なぜスカートめくりをしていたのかは分からない。

l   セーラームーンが、好きだったのか不明だが、真似していた。ポーズを取ると大人が喜ぶからだったと思う。異性装のような感覚があったかもしれないし分からない。カメラに写ること自体は嫌いではなかった。セーラームーンの中での好きなキャラは「セーラーマーズ」だった。

l   ディズニープリンセスのコスプレをして遊んでいた。これは確か能動的にしていたように思う。一緒にする従姉妹がいたが、その子に誘われて、だった気もする。そのとき、プリンスのほうがいいという感覚はなかったように思う。女の子のドレスなどは可愛いと思っていた。特に「ティアラ」や「カチューシャ」を好んでいて、お気に入りが幾つかあった。王子は認識すらしていなかった。

l   きかんしゃトーマスが凄く好きだったが、アンパンマンは全く興味がなかった。近くにきかんしゃトーマスとタイアップしたレストランがあり、そこに行くとすごく楽しかった。

l   可愛いものも、車も電車も特に好きなものはなかった気がする。ただ、女の子だからと、可愛いシールを与えられていて、それを疑問には思っていなかったと思う

l   人形の服を自作するのが好きだった。針と糸で作っていて、器用だと褒められた。

l   幼稚園では、特に仲のいい友達とかはいなかった。たいていは一人で遊んでいた。ごっこ遊びも何回か参加したが、そのうち誘われなくなった気がする。男子と何かをずっとしたという思い出はない。女子ともないが、母の創価学会関係の知り合いの娘やその弟とよく遊ばされていた。そのときはテレビゲームやブランコをしていた。お人形などを共有して遊ぶことはなかった。

l   幼稚園では「おねえちゃん」とか「おませさん」と言われていたらしい。周りの男の子より学習の発達が早かったような気もするが、今思うと偏りがあっただけだ。

l   キューティーハニー(フラッシュ)が流行り出して、今考えると女児向けと思えない肌の露出だった。キューティーハニーは凄く大好きでお色気のシーンもとても好きだった(特に探偵の男性が転んで主人公の胸を触ってしまうシーンを生まれて初めて見て感激して何度も観た)。特に色々な職業になるところに惹かれたし、スパイものである点が良かった。

l   お人形遊びは好きだった。友達がいなかったから、お人形という友達を作って空想の世界にふけることが増えた。おしゃれ(自分が着るのではなくファッションそのもの)にも興味があったが、高校生の時にデザインしたものを「ポケモンみたいな服ばっか」と言われてから興味と言うか自信がなくなった。そもそもあまり興味もなかったかもしれない。自分が着飾ることに関しては生まれて一度も興味がない。

l   立ちションをすると怒られたのがずっと不服で、自分も立ちションできると思っていた。実際、ラストで多少パンツが濡れるができるという事にしていた。

l   同じクラスのリオサンにバレンタインクッキーをもらい、非常に嬉しかった。かわいかった。

l   父が女性に対して性的な目で見る事を隠さない人間だった。成長して胸が膨らんでくるとじっと胸を見られたりして非常に不快だった。写真を撮る時も色っぽいポーズをすると喜んだ。

l   母が自己愛性人格障害のヒステリーだった。女性のロールモデルを母しか知らなかったため、女は頭が悪く知性がなく感情的でヒステリーで自己中心的で傍若無人で話の通じないクズな性別だと思っていた。そんな人間に堕ちるのがとても嫌だった。

性別についての記憶【小学校(前)】

l   周りが「明日のナージャ」や「おジャ魔女どれみ」などの女児向けアニメにハマっていたが、自分は面白くなかったし、「女の子向けのアニメを観るなんて恥ずかしい」と思っていた。

l   母親からよく「プス」と言われるようになった。その頃から、女性として生きるイメージが全くつかなくなった。

l   男子とフィジカルの喧嘩をすることは多かった。

l   女子にはへりくだる(です、ます)のに男子に対しては乱暴(おい~しろよ等)だった。これは現在でも変わらない。何故なのかは今でもよく分からない。女性社会に所属しているからかもしれない。「女性には優しくしなければ」と思ったのかもしれない。

l   近所に輸入おもちゃ屋さんができて、誕生日にアメ車のミニカーを買ってもらった。普段買ってもらうのはポケモンカードや知恵の輪、ゲームソフトなどが多かった。「お人形遊び」は継続して行う。

l   いわゆる「女の子座り」をした記憶がない。物心ついてからはずっと胡坐だし、それを咎められた事もない。

l   女の子が鉄棒をしていてパンツが見えたので「パンツ見えた!黒いチェックのパンツ!」と叫んだら、「男子のいる所で有り得ない」と言われ絶交され、その後6年間本当に絶交された。その頃から「女子は別の生き物」という感覚が強くなってきた。

l   少女漫画は好んで読んだ。『神風怪盗ジャンヌ』『怪盗セイントテール』『ウエディング・ピーチ』『電脳少女Mink』等。少年漫画はアニメを観ていた(ONEPIECE、デジモン、ポケモン、犬夜叉、ヒカルの碁、テニスの王子様、NARUTO、デスノート、アイシールド21、マクロス、戦隊もの、等々…)。なぜか少女漫画のアニメは観なかった。恥ずかしかった?『ポケットモンスタースペシャル』は買っていた。父が『名探偵コナン』を買っていたので読んでいた。小説はほとんど読まなかったが『ぼくは王さま』『かいけつゾロリ』グリム童話などがあった。漫画雑誌は買ってもらえなかった。あとはポケモンの攻略本やゲーム雑誌を読んでいた。

l   父と母は、よく「これだから男は」「これだから女は」と言っていた。父は「女は自分の事しか喋らない」「女の運転は下手くそだ」とばかにしたり母は「男は女を奴隷だと思っている」と毛嫌いしたりしている。母は九州出身で男尊女卑が激しい家庭で育ち「男なんて」といつも言っている。自分のミスやできないことを「女のせい」だと思われることが嫌で勉強などを完璧にしなければと思うようになっていった。とにかくばかにされることが何より嫌だった。

l   『クレヨンしんちゃん』には全く興味がなく、面白いと思わなかった。

l   女として生まれてブスで頭も悪くてバカにされて力も弱くて何の取り柄もないままいじめられて叱られ続けたら、そりゃ人間嫌いになるに決まってるし力を追い求めるに決まってる。そんな事誰だって分かるはずだ。暴力しか信じられないと思う。

l   生理が始まったことに関しては特に何も思わなかった。ケツから血が出てくるだけだと思っていた。生理痛もつらくなかったが、もちろん嫌ではあった。すぐ手術してなくなるからと深く考えなかった。なるべく考えたくなかった。

l   ポケモンのアニメで、主人公が帽子の懸賞に当たる為にハガキを100枚出したというエピソードがあり、その時に言ったセリフに「男ってのはこだわる生き物なんだ」といったようなものがあった。その時自分の中でパズルのピースがはまったような気がして、一気にポケモンのファンになった。それからは、何をするにもポケモンのことばかり考えていた。その時のシナリオライターの富岡氏はASDを公表しているわけではないが、その後も主人公と、「ポケモンの気持ちを考えられないトレーナー」というキャラクターを対立させたりしていた。父もこだわりが強く、自分もこだわりが強い為、やはり自分は男なのだと強く確信したことが印象に強く残っている。その後30歳になるまでずっと「自分はASDだから男だと思っているだけではないのか」とずっと自問自答し続ける事になった。この頃からサトシがロールモデルになった。性転換したら名前は「智(さとし)」にしようと思っていた。

l   部屋の壁に「ぼくは男になる!」と書いた。

l   テレビで性同一性障害についての特集をしていて、そこで初めて性同一性障害を知った。その時、母に性転換したいと伝えたら、「性別を変えるなんて最大の親不孝よ」と叱られ、それ以来カミングアウトはしていない。

l   生まれてこのかたブラジャーをした事がない。パンツも最初は女子用だったが男子用じゃなきゃ嫌だとごねてからは母は男子用を買ってくれる。今でも。今は特に何も言われない。

l   「〇〇君のこと好きなんでしょ」とか言われて違うと怒ると「ムキになってますます怪しい」とか言われるので、もう全部諦めた

l   ランドセルは男女共通だったが、書道用具入れが赤かったため黒が良いとごねる。結局誰かと交換してもらった記憶。

l   咽頭異常感症で小児精神科へ行った。思えばその時性別の違和感を医師に言うべきだったか?なぜ言わなかったか分からないが母親にチクられてまた叱られたくないと思ったか、大人に対する不信感があったのかもしれない。自分が異常であると言う自覚があまりなかったのもある。

性別についての記憶【小学校(後)】

l   父がとにかく母を見下しており、今でも僕を否定する時は「お前はお母さんと一緒だね」などと言う。女と言うものを見下しており、女は食事を作る以外に何もできない生き物だと思っている。

l   なぜか星柄のデニムのロングスカートを欲しがって、買ってもらったのだが、結局一度も履けなかった。服として可愛いと思ったが自分が履くことには抵抗があったのかもしれない。これなら履けると思ったのかもしれない。自分が女の子と言うイメージがつかなかった。

l   絵画教室で「この年齢で男の子も女の子もまんべんなく描くのは(絵の)素質があります」と言われたことがある。

l   何かの会話でスポーツ選手かカーレーサーかなにかを「かっこいい~」と言ったら驚かれた。そしてその時、自分が「こうなりたい」という意味で「かっこいい」と言った事が、間違って伝わったことを察したが、どう訂正すればよいか分からなかった。

l   恋愛と言うものがまったく分からず、ある日女子生徒に「好きな人誰?」と聞かれ、「よくわからない」と答え、「じゃあ、一番喋ってて楽しい男子は?」と聞かれたのでポケモン友達の中村君の名を挙げたら翌日自分が中村君の事を好きだという噂になっており、どう否定すればいいか分からず、それきり中村君と遊ばなくなった。たぶん、誤解をどうすれば解けるか分からなかったからだと思う。恋愛はよくわからなかった。

l   クラスの意地悪な女子が、「女の子のりゃんシーちゃ~ん」とわざわざ言ってきていた。中学でその子より先に英検準2級の資格を取って自慢したらすっきりした。この頃から、勉強以外を捨てるようになっていった。

l   女だからとばかにされたことは多い

l   女になりたいと言うか、社会で認められたいってことなのかな。それが女としてだろうが男としてだろうが。

l   ずっと競争社会にいる気がする。だから女というものがよく分からないのか?別に女が競争社会にいても男がぬるい社会にいてもいいはずなのに、「ぬるい男とかホモかよ?きもっ」みたいな感覚が凄いある。ただガチで怖いのは女だというのも分かる。女には「会話」やルールが通じない。競争社会で女として生きるには相当な知能が必要だ。まあそれを打開できる唯一の手段が「学歴」だったのかもしれないが、学歴のその先のビジョンが見えなかった。て言うか、学歴というものが価値を持たなくなる時代が来ると予感していたのかもしれない。いや一応卒業する気はあったけど、学歴を信用してなかったと言うか、やはり手に職つけた方が安心だと思ってた。誰かの傘下に入ることが苦手なのはデフレ世代の感覚かな。

l   友達とのポケモンバトルで「メロメロ」(※相手のポケモンを誘惑して行動不能にさせる技)を使ったら友達に「意外」と言われた。確かに恋愛の話は普段避けていたが恋愛そのものが嫌いではなく、正しく理解してもらえないから避けているだけだし、恋愛そのものに特別な感情はなく、ただ勝つための手段だと捉えていた面もあり、なぜ意外と言われたのかよく分からなかった。

l   「お前にはコレ付いてねぇだろ」と、男子が男性器を見せてきたが気色悪いので目を逸らした。

l   男女分けの時に男子の側につきたいと毎回グズるため、授業が進まず先生にも呆れられるしクラスからもいつも怒られた。ただでさえいつもクラスの足を引っ張るので、本当に邪魔者扱いされていて、とまよこだけは殴っても蹴っても良いという扱いだった。先生にも何度か呼び出され、「本当に男になりたいのか」と聞かれたが、配慮してもらえる時代ではなかった。その時ベランダで男性教官と2人きりになるが、怖さを感じ、とても嫌だった。ほかの女子生徒たちも同じように相談していたが嫌そうにしていなかった。

l   制服にスラックスがあり、自分のことを誰も知らない土地に行きたかったし、柔道部が強豪だった工学院大学附属中学校に進学を決めた。柔道をたくさんやりたいと思った。中学では性別違和の事は誰にも言わないでおこうと思った。

l   何かのイベントの入場者プレゼントが男女で色が違っていて、当然のように女子用を渡されて物凄く悲しかった。

l   同じクラスの村上さんともっと仲良くなりたいと思っていたがどうすれば良いか分からなかった。

l   男子を押し倒してからかって遊んだ。

l   発達障害もあり、就職して働くイメージがまったくつかなかった。「家電メーカーとかなんかそういうとこで営業か経理的なことでもして定年まで堅実に働く」という望みはあったがまぁ無理だろうと思っていた。ポケモンに本当に命を救われたので、やはり自分のような居場所のない子供たちに夢を与える仕事がしたいと思い、インターネットを使って何かできないかと考えていた。最悪漫画家ならペンと紙だけでなれるから最終手段として漫画家になるという計画を立てた。そのためには体力づくりが必要だと思い、筋トレを始めた。漫画家として働くときに、ホルモン剤を打ちに行く時間がないかもしれないし、お金もかかることだから、生理がなくなりさえすれば大体男に見られるし、喉は別途手術で低くすればそれでいいかもくらいに考えていた。友達を作る気はなかった。日本社会でまともに男性として溶け込んでいこうという意志はさらさらなかった。女とバレてもまぁ別にいいか、「ジェンダー」と言うものに強いこだわりがある訳ではなかったのか、バレるわけがないと思っていたのか、深く考えていなかったのか。第一印象が騙せれば良いと思ったのか、深い付き合いをする気がなかったのか。

l   自分の名前が嫌いだったから、ずっと「益兀(マコツ)」という名前を名乗っていた。インターネットでの名前にも使っていて、どんどんインターネットのほうが生活のメインになっていた。もしインターネットがなかったら自殺していたと思う。何人かの優しいクラスメートはマコツと呼んでくれた。その頃から自分の下の名前を日常的に使う事はほぼなくなった。

l   戸籍を変更した時は名前は「サトシ(智)」に改名するつもりだった。これはポケモンの田尻智からでもあり、父の名(英智)の一部でもある。父はよく自分の事を「はなぶささとし」と言っていたので、僕はペンネームを「英(はなぶさ)マコツ」としていた。

l   もしなんの仕事もなかったら体を売ればいいと思っていた。その事に抵抗は不思議となかった。もし、自分が美人だったら、男性心理が分かるから水商売向いてるかもとか考えていたし、実際そうしていた可能性が高い。

l   鈴木君という背の高い男子がいて話しかけるときにほかの男子とは違う話しかけづらさを感じた。頭を叩いて「おい」とか言ったりした。ある時足で通せんぼされたので思い切り蹴り飛ばしたら骨折していた。ハゲの歌を歌ったり空想科学読本を読むタイプの男子だった。

l   好きなイラストレーターがいたので母に見せたら、「これ男向けでしょ」と気分を悪くしていた。ちなみにこのイラストレーターは女性である。

l   林間学校で制服を着てない時、並んでいたら後ろの男子に「なんだとまよこか!カンチョーするとこだった!」と言われて寂しかった。

l   深夜にテレビを観ていたら「オレは男だー!」と叫ぶ女の子のアニメ(『天使な小生意気』…魔法の本の力で女になった主人公が男に戻る為に魔法の本を探す)をやっていて、観たいと思ったが寝てしまいあまり観ることができなかった。当時はボーイッシュな女の子の話だと思っていた。

l   家庭教師が来た。男子大学生、女子大学生が来た。休憩時間に母がお菓子を差し入れるのだが、母に「男の先生の時は食べないのになんで女の先生の時は食べるの?」と聞かれた。当時は男の先生は「食べる?」と聞かれたから食べないと答えて女の先生は「食べて」と言われたから食べたと思ったが、今思うと女性は断りにくい気がする。

l   クラスに「さちこ」と呼ばれる佐藤君という男子がいた。「マンガみたいな恋がしたいな~」と言っていたが意味が分からなかった。現在Facebookを見る限りでは普通の男性として生きているようだがフード付きのパジャマを着ている写真などがあった。でも男子とよく喧嘩もしていた(どのような喧嘩かは不明)。

l   柔道クラブで、自分だけ柔道着の下にTシャツを着なければいけないのが嫌だった。かっこ悪いと思った。

l   劇でチンピラ役をやったら似合ってると言われた。

l   海の林間学校が生理と重なり、「生理です」と言うのが嫌で家出した(林間学校の出発の日に歩いて国分寺から日野まで行く。三重県の友人を訪ねるつもりだった)普段のプールの授業は生理中はどうしていたのか覚えていない。学校を休んでいた?

l   何かで交番に行った時に「ご職業は?」と聞かれて小学生と言ったら驚かれた

l   父は「キスして欲しいの?」「抱き締めてあげる」などと今でも言う。

l   横山さん、榎戸さん、小島さんなど気の強い女子がめちゃくちゃ苦手だった。女子は怖い、よく分からない、偉大という印象しかなかった。優しい女子もいたかもしれないがあまり接点がなかった。話し掛けてくるのはいじめっ子ばかりだったように思う。

l   母は「女子美術大学附属中学校」に入れようとしたらしい。絵ばかり描いていて勉強ができないので絵の道に進ませようとしたらしい。「女子高」であることも嫌だったのもあるが、見学に行った際に女子が「オレは~」などと男らしく振る舞っているのを見て「男のいない世界で男の地位を得て満足する勘違いした『痛い」人間にはなりたくないな…」と思って、ちゃんと現実を見れる男子のいる学校にする事にした。

l   「マン」になるためには男にならなければならない。

l   父親に、男として育てられていたような気がする。まあ父は男だから女の子としての生き方など教えられないし、自分はこうだったと教えればそれは男としての生き方になるだろう。母は何も教えてくれなかった。父は理系女子になって欲しかったらしい。僕はそもそも女子ではないし、普通に理系男子として生きれば良いと思っていた。女性であることを証明するものが何もなかった。男性も好きではないし可愛いものも好きではないし、家事も料理もマルチタスクもおしゃべりもできないし、女心も分からないし、分かるのは父の言っている事と、数学と理科と学歴が大切な事だけだった。自分が女性として生きるイメージが全くつかなかった。父と同じように生きればそれで良いと思っていた。

性別についての記憶【中学校】

l   柔道を頑張ろうと思ったが全くついていけず、発達障害のせいで馴染めなかったこともあり退部した。

l   母が男性嫌いで性に関する話題を嫌う。

l   生理用ナプキンを持ち歩く事に抵抗があり1日中「夜用」をしていた。

l   どんどん人と目が合わせられなくなってきたが、なぜかは分からなかった。今思えば視力が悪くなっていたのかもしれないけど、ますます他者が怖くなっていて、自分と異質の生き物という感覚が強かった。

l   図書館の人に「森村君に本が届いたって伝えて」と言われたが森村君が誰か分からず、授業中に手紙を書いて回してもらったら、その後6年間ずっと森村君と話している時だけなぜかクラス中が黙るようになった。

l   クラスに自分と同じようにスラックスを履く女子(礒沼さん)がいて、一人称が「自分」の子がいて仲良くなって一緒に柔道部に入ったが、発達障害のせいで仲良くなれず疎遠になった。「君も性同一性障害なの?」とは結局聞けなかった。今は柔道整復師のようなことをしているらしいが性転換したのかは聞いていない。

l   家庭科の授業でできた料理を、女子が「こばやん(小林君)にでもあげたら?」と言うので大声で「こばやーーーーん」呼んで料理をあげた。何故そんなことを言われたのかはよく分からない。

l   要は男になりたいって「男の方が生きるのに頭を使わなくてすむから」なんじゃないかな。女として生きるためには騙し合いとか化かし合いとかそういう戦争に巻き込まれなきゃいけない。もちろん殴り合いの喧嘩に巻き込まれても負けるけどそっちの方がまだましというか。考えなくていいし喧嘩好きだし。

l   「人間」と言う意味の「Man」は「男」なのだから、人間として受け入れられる為には男でないとダメだ、女では人間として社会に認められないという感覚。これはある意味正しくて、社会で生きるためにはやっぱり男であるべきだと今でも思う。女は「社会よりも家庭」であり、家庭を作る気がさらさらないのなら社会にしか居場所がない。だから男にならないと無理なんだ。だから僕の考え方は合っていたんだ。ずっと働きたいなら子宮取れよみんな。感情も恋心もない人間が女を名乗る資格はないんだよ。

l   中学生くらいから男子の輪に入れてもらえない、内緒でひそひそ話をされることが増えてそれが凄く辛かった。

l   女子から「キモッ」と言われることが増えた。

l   幼稚園でクラスが同じだったリオサンとまたクラスが同じになって一人で「運命なのかも…」と興奮していた。将来は渋谷で結婚したいと思っていた(渋谷はパートナーシップがあるから)。でも一番大きい感情は「あんな美人と幼馴染なのは俺だけなんだぞ」という古参ファンのような優越感だった。

l   石川さんという陽キャ女子がいてグループに誘われたので入った。自分と礒沼さんを除くと、だいたい女子4人男子2人のような感じだった。放課後につるんでカラオケに行ったりしていたがなぜか次第に話し掛けられなくなり高校に入ったらまったくつるまなくなった

l   恋愛は下らないしバカのする事だと思っていた。

l   そう言えば一時期「トランスジェンダーのゲイじゃないか?」と思ってたのを思い出した。と言うのも働きたくなくて「専業主夫」になりたいと思ってたから。で、「専業主夫になるなら結婚相手は男だよな=ゲイなのか?」と思ってた。引きこもりだしコミュ障だしルーティンは好きだから主夫は向いてないこともないと思うのだが向いてないか…現実、女性が定年退職まで配偶者含め家族を一人で養うって無理なんじゃないか?専業主夫になりたい男はどうすんだろう。まあ、本当に男なら空いた時間でパートできるよな体力あるから

l   「とまよこといると気遣わなくていいからラクだわー」と数人の女子から言われる。

l   菊池君と言う遅刻魔がいて、ある日2人で走り込んで菊池君を押しのけて教室に入った。それをきっかけに仲良くなったと思って電車で見かけて近付いたら隣の車両に逃げられた。それがきっかけで、男子との距離の作り方が分からず男子を避けるようになり、後輩の男子にバスで話し掛けられた時に逃げてしまった。

l   サボり魔の三田君とよく教室で喋っていたらからかわれて、舌打ちして小声で「うぜえ、ガキが」のようなことを言ったら三田君が近寄って来なくなった。

l   歌の上手い大園君という人がいて、最寄り駅が同じなので少し話したら嬉しくてニヤついてしまった。気味悪がられたと思う。

l   一定の男性や男子と話す時にドキドキしておどおどして居たたまれなくなってしまうことがあり、当時はそれが恋なのだろうと思っていたため嫌だった。今思うとカースト上位の人間に対する劣等感や恐怖のようなものだと思う。だから、世間の言う「近付きたい」「仲良くなりたい」という感覚が分からず、「ドキドキするのが恋なら二度と会いたくないと思うのはなんでなんだろう?」と不思議だった。きっと自分の気持ちを認めるのが嫌だからなんだろうと思っていた。

l   学校でトイレに入ると驚かれることもあった。中学校の時は「お前女子だったの?」と言われた。それが関係しているか不明だがトイレに入るのが億劫で出来る限り我慢していたら、下校中に失禁したことがあった。女子トイレに入るのも男子トイレに入るのも憚られるので、なるべく共用トイレを探して入っていた。

l   出席番号も席順も制服も男女混合だったため中学に入学してしばらくは男子だと思われており、「名前で分からなかった?」と聞いたら「いや、男の子の名前だと思った」と言われて名前のコンプレックスが少しなくなった。

l   元々男子校の工業高校だったため男女比が3:1くらいなので、女子が少なくてそこは過ごしやすかったかもしれない。女子の勢力が弱かった。

l   入学してすぐにある女子が「好きな男子いるー?」と聞いてきたので「みんな好き」と答えた。忘れたけどなんか罵倒された。入学してすぐ(3ヵ月くらい?)にそんなことを聞くその子もちょっと変だと思った。

l   オーストラリアにホームステイに行った時も「Makotsu」と呼んで欲しいと伝えた。ホームステイ先の子供に「Are you a boy or girl?」と聞かれた。

l   柔道部の顧問と車の中で2人きりになるのが嫌で「僕も行く」と言って出た。のちに顧問が「そんなに俺の事怖いのか」と言ったが、怖いのか、男性と2人が嫌なのか、恥ずかしいのか、意識しているのか、距離感が分からないからなのか、よく分からなかった。

l   同じ部活の男子に「触ってやるから力こぶ作ってみろ」と言われて触られたのは不快だった。力こぶはぜんぜん作れなかった。

l   石川さんと帰っている時に「筋肉のある男子が好き」と言っていて「僕は?」と言ったら「お前は全然だめ」と言われて悲しかった。

l   何かで男子グループの仲間に入れて欲しくて「仲間に入れて」と言ったら、「お前女だろ」と言われたことが悲しく、自分の目標は「友達が欲しい、友達を作るためには男にならないとだめなんだ」という事だったように思う。

l   教室でベストを脱いだら男子に「キモッ」と言われた。

l   何かを漁ってるときに男子が男子と間違えて腰を掴んでどかしてきたことがある。嫌悪感はなかった。その後その男子がどう思ったのかよく覚えてないが、笑い話に出来ないことを寂しく感じた。

l   トランスジェンダーであることをカミングアウトした事はないが、性別の事やスラックスのことでからかってくる生徒はいなかった。一部の子は気付いていたがそれを受け入れているように感じたが気のせいだったかもしれない。中学高校では、トランスジェンダーである事も発達障害である事も受け入れられていたように思う

l   櫻井君というチック症の子がいて席順が近かったのでよく話したが、よくいじめられていた。ある日男子が「とまよことでも話してろよ」といった感じで自分を巻き込んだいじめをして、くだらないと思い睨んでから舌打ちして無視したら数週間後に転校した。罪悪感を感じた。

l   なんの会話か忘れたが父が「娘」とかなんとか言った時怒りが爆発して腕時計を顔に投げつけた。

l   性同一性障害についての本を買い、本棚の高い所に隠した。軽い読字障害がある為結局読んでない。

l   中学卒業の時に「20歳への自分へ」という手紙を書かされた。「性転換しましたか?」と書いた。20歳になった時届いて、母が勝手に開封して読んでた。「ゴメン読んじゃった」と言って内容には触れてこなかった。

l   野崎君という男子が「ほらこんなに手冷たくなったよ」と言って手に触れてきたのでビクッとしたら周りの空気が凍った。小学生の頃引っ掻かれたりしていたので条件反射だった。一瞬どうすればいいか分からなかったが「ほんとだ」と言って触り直したら他の生徒も触って空気が戻った。雨が降っていた時に「傘入る?」と言われたが入らなかった(男子と入りたくなかった。女子とも多分入らない)卒業してからメールしたが返事はなく「なんか高校のクラスメートからメール来たんだけど…」とtwitterにつぶやいていた。

l   小学生の頃から胸を隠すために猫背になっていった。「もっと胸張って」といつも言われていた。鎖骨を骨折した時にサポーターで背筋を良くしなければならず凄く恥ずかしかった。その時買ったサポーターを逆向きに付けると胸が潰せることを発見してしばらく付けていたが蒸れるのでやめた

l   『マクロスフロンティア』と言うロボット(アイドル?)アニメが流行った。ダブルヒロインで「可愛いアイドル系のランカ・リー」と「美人アーティスト系のシェリル・ノーム」という2人のヒロインがいた。周りでは圧倒的にシェリルが人気だったが自分はランカが好きだった。だからカラオケでランカのパートを可愛い石川さんに歌ってもらっていた。背の高さからもそれが妥当だと思っていた。後から石川さんに「自分がシェリルの役を奪っといてさ」といったような事を言われてショックだった。言われてみれば石川さんはB’zとかバイクが好きだからアイドルのランカが嫌だったのかもしれないと思った。でも石川さんのランカは可愛かった。自分ではランカは似合わないと思った。

l   何かの拍子に(多分、「何でやねん」のようなツッコミ)女子に胸を叩かれた。そして隣の女子に「胸あった」と囁いていた。

l   『金色のコルダ』『フルーツバスケット』などのアニメ?ゲーム?が女子の間で話題になっていた。高校を卒業して久しぶりに会った石川さんが『うたの☆プリンスさま』の曲ばかり歌うのでついて行けなかった。

l   石川さんや川村さんが、どんどん体育会系の男子とばかり話すようになった。ファッション(ギャル系)の話ばかりするようになった。学校帰りに寄るのもアニメイトではなく服屋になっていた。石川さんの誕生日に臍がチラッと見えている美男子の絵を描いてプレゼントしたら、「お前、女子ウケが分かるようになってきてんじゃん」と言われて嬉しかった。石川さんは一番仲が良かったので、多分トランスジェンダーを察していたと思う。

l   石川さんと電車で帰っていた時急ブレーキがかかり、背の小さい石川さんが飛ばされそうになったので腕を掴んだ。「初めてお前から触ってきたね」と言われたので「なんか恋愛っぽい!」と思って嬉しくなって、声を出すと周りの人に男じゃないとバレで悔しいから声が出せず目だけ逸らした。

l   リオサンからバレンタインチョコにビターチョコをもらって嬉しかった気がする。でも、自分はミルクチョコのほうが好きだ お返しに何をあげたか覚えていない

l   性転換手術のお金を貯めるため、昼食代を全部貯金した。高校卒業まで続けた。お年玉も全部貯金した。

l   7月に小平市辺りをコートを着てうろついていたら警察に職質され、父からもらった十徳ナイフが鞄の中に入っていたため連行された。その時なぜナイフを持っていたのか聞かれてなぜか全くそうではないのに「変質者に襲われたことがあり護身用に」などと嘘をついた(変質者に襲われたことなどない)そして「護身用ってことは危害を加える意図があるってことだから犯罪だよ」などと怒られる羽目に。恐らくそのまま伝えても「理解されない、疑われる」と判断した事に関して「普通と思われるストーリー」をでっち上げる癖がついていたためと思われる。それか「そういうドラマチックな経験」に憧れる年頃?服は発達障害のため服の調節ができなかった。その辺りから教師に加え警察も嫌いになっていく。精神的にはグレていたと思う。暴力に自信がないからその分を勉強に費やしていたと思う。鉛筆を削る為と言えばよかったと激しく後悔。その後も現在まで何度か職質はされる。

l   校舎が改装中でプールがなく、プールの授業がなかった。

l   朝方(5時くらい?)駅前歩いてて風俗のキャッチに話し掛けられたことがあるが今考えると中学生に話しかけるのおかしい

l   芸術鑑賞のとき小湊君という隣の男子が居眠りしてたのか寝ぼけて足をこちらにぶつけてきたのでぶつけ返した。小湊君の夢を見た。

l   性転換したら改名して生まれ変わる予定だったため、人間関係もその場限りの当たり障りのない対応をしていた。友達付き合いも熱心ではなかったし理解されようとしなかった。性転換したら今までの自分は殺していなかったことにするつもりだったため、とりあえず勉強だけしていた。自分も、他人も軽んじて、ある種「旅の恥は搔き捨て」といった感じだった。大学生になって大学に馴染めず寂しさからかつての同級生に連絡を取った時にこれが仇になったなと思っている(親身になってもらえなかった、自分がのらくら振る舞っていたせいで「軽口をたたいても良い」という像が出来上がっていた)

l   柔道部で教わった筋トレは体調が悪化する大学まで毎日続けた。

l   柔道部で「姿勢を良くしなさい」と何度も言われたができなかった。鎖骨を骨折した時に姿勢が固定されて凄く恥ずかしかったし周りにからかわれた。

l   友達とバカ騒ぎしたかったがそういう友達はできなかった。がり勉キャラ以外に居場所はなかった。あとは漫画を描いて読んでもらう関係でしか友達を作れなかった。今思うと周りからは都合の良い発注先でしかなかったのかもしれない。

l   「性転換して名前を変えたら今ここにいる人間はこの世からいなくなる。だから今の人生はかりそめのものだ」と言う感覚が強く、「旅の恥は掻き捨て」のような感覚もあり、嘘や演技で学校生活を乗り切ったと言うか、深い関係を作ろうとしなかったし全部口から出まかせで誤魔化しながら生きていた。色々と悩みもあったがとにかく性転換しなければ始まらないと思い後回しにしていた。

l   職員室に呼ばれて教頭に電子レンジを棚に上げてくれと言われそうしたら「この子力持ちなんですよ」と言われとても誇らしかった。

性別についての記憶【高校】

l   女子数人から「ほっぺがやわらかい」とつねられたら幸せだった。

l   兄がいる女子の友達が読み終わった週刊少年サンデーを毎週くれた。

l   「Iさんの彼氏とよく話していたら、『私の彼氏と馴れ馴れしくしないで』とIさんに言われて落ち込んだ」というAさんの相談に乗った。「Iさんは男兄弟がいないから男子と話すイコール恋愛だと考えてしまうのでは」という見解を話すと納得したようだった。

l   Aさんと歩いていると、Aさんが腕に抱き着いてきて少し動揺したが、Aさんはなんとなく、自分を男扱いすることでからかっているような印象を受けた。

l   石川さんが「負ける度に服が破けるゲーム」の話をしていた時にニヤついていたらしく「何笑ってんだよ」と言われ、その後あだ名が「ムッツリスケベ」になり疎遠になった

l   沖縄の修学旅行でリオサンの水着を見た。お風呂ではち合わせするとなぜだか大変な気がしたのでずっと目を伏せていた。

l   林間学校かなにかで深沢さんという発育が良くてそれを自慢する女子がいて、その子が川に入って撮影会をしていたので参加した。ほかの男子がどれくらい参加していたかはよく覚えていない。かわいかった。

l   周りから男扱いをされているような気がする。むしろ自分より周りの方が「お前は男でいろ」という圧力があると言うか、「女の仲間に入って来るな」「お前は男だよね」と言われている感覚がある。だから性転換すれば受け入れてもらえると思った。自分より周りの方が僕のトランスジェンダーを理解している。僕は自閉症だからいまいちその辺がよく自覚できてない。興味がないし、どうでもいい。高校までは勉強さえしてればよかったから。

l   学校の外でトイレに入ると、たまに掃除のおばさんに「ここ女子トイレですよ」と注意されるようになった。混んでいる時は男子トイレを使うようになった。男子トイレで「え、女の子?」と言われることもあった。

l   恋愛感情は相変わらず分からず、「人に優劣や好き嫌いをつけるのは良くないことだ」という感覚だった。

l   女性と至近距離で暮らさなきゃいけないことで心を無にするくせがついてると思う。人と目を合わさないようにするのもその一環。

l   教室でなんかの会話の時に(多分食事の話)「僕、口が小さいからさ(食べ物が入らない)」と言ったら隣のギャルがこちらを見てきた。自慢だと思われたのか?

l   理科の先生で生徒と距離の近い男性の先生がいた。ピタゴラ体操をペアで組んだりして仲が良かった。でも距離感が分からなくてどうすればいいのか分からなかった。帰りの電車が同じになって、石川さんが降りる駅で先生も気を遣って下りてくれてホッとした。卒業後カフェを開業したらしくみんな遊びに行っていたがやはりどう振る舞えば良いのか分からなくて、母に行ってもらった。

l   男になって鍛えてあいつら全員ボコすっていう復讐心が多分全ての原動力なんじゃないか、大学受験のモチベーションもそうだったし

l   救急病院の前で、包丁で胸切ってすぐ治療してもらったら自分で胸取れるんじゃないかという妄想を何度もしていた。でもやっぱり迷惑だろうからやめた。

l   松山さんと言う帰国子女の女子がいて、話しかける時にとても緊張した。

l   漫画家として働くときに毎月生理があったら大変だから取ったほうが良いと思った。

l   将来設計として、大学を出て就職して独り立ちしてから性転換するか、大学生で家を出て性転換して卒業するかの二択だった。早く男になりたかったから、遠方の大学に行きたいと言ったら、「国公立じゃないとムリ」と言われたので受験勉強を始めた。どんなに辛くても男になれると思うと頑張れた。男になったら、辛い事全部報われると思っていた。

l   今思うと当時の考えに矛盾がある。自分としては「男になる」と言うのが頭の中の口癖だったが、それは具体的には「喉の手術をして子宮卵巣を取る」と言う事だった。喉の手術を受けるか、ホルモン治療をするかで迷っていた。「男になる」とは戸籍が男性になるという事ではなく、自分が自分を男だと判断できて満足できるかどうか、周りが「お前は女だろ」と言わずに気楽に接してくれるかどうかという事だったように思う。

l   『戦国BASARA』が流行り、友達が勧めてきたので観た。歴史上の人物を若いキャラで擬人化するのは女子生徒にウケると学んだ。そこで倫理の教科書に出てくる日本人を全員(100人くらい)pixivの美青年を適当にピックアップして名前を載せてポスターにして教室に貼った。女生徒に「そういうのが好きなんだ」と言われ、不満だった。(嫌悪感を持つほどではないが好きではない。ただし、透明感のあるイラストは好き)

l   リオサンの近くでわざと「松山さんと話すとどきどきする」と恋愛対象は女性であることを(実際は確信はなかったが)アピールをしたことがある。何がしたかったのかよくわからない。

l   文化祭で被り物をしている時小学生くらいの男の子に「おまえ男?女?」と聞かれた。そもそも、男だったらどうなのか、女だったらどうなのか、ということが分からないなと思った。

l   プールの授業は全て見学した。沖縄の修学旅行でも見学にした。その事について触れてくる先生はいなかった。ひとえに「私立」だったおかげであり、自分が落ち着いて生きる為には莫大なお金が必要なのだという価値観が育っていく。

l   修学旅行のオーストラリアに行く飛行機で眼鏡を外したら隣の座席の男子(クラスメートではない)「え、めがね外すの?」となぜか言われた。自分の方が通路側だったのでトイレに行きたくないかしつこく聞いた(自分だったらトイレに行きたくても遠慮して我慢するから)

l   この頃の夢としては大学卒業までに性転換して適当な会社に就職して一生独身で終わる。途中でお金が貯まり次第エンタメ会社を設立する。

l   大学で家を出て性転換する。それだけが自分の生きる原動力だった。どんなに辛い受験勉強も頑張れた。性転換さえすれば幸せになれると思っていた。

l   相変わらず人と会話するのが上手くできなかったが「男は黙って背中で語れば良い」と思って深刻に考えなかった。将来、誤解ばかりされて嫌われまくることになるとも知らず。

l   父は酔うと僕の体をジロジロと見てくる。

l   何の会話だったか忘れたが何かの会話と間違えて「僕も聞きたい」と言ったら嵐のCDを貸して貰ったことがある。

l   少年漫画を女が書いていても読んでもらえないんじゃないか、ばかにされるんじゃないか、共感されないんじゃないか

l   ずっと、「脳に男女差なんてあるわけない」と思ってた。脳梁の太さが違うという話は聞いた事があったが、まさかアロマターゼだの、何だのと知る訳がないから、男女の脳はほぼ同じだと思ってた。恋愛もした事がなかったし、性ホルモンによる男女差があるだけだと思ってた。だから、心は男性とか、そんなことは深く考えず、男性の方が社会適応しやすいと合理的に考えただけだった。いつか自分の脳梁の太さを測りたいと思っていた。

l   海外の小説を読んでいて初めてセックスの方法を知った。

l   デイヴィッド・ライマー氏の「人生最初の14年間は借り物であった」と言う言葉にとても共感する。必要のないアバターでプレイしているゲームのような感じで、ゲームに集中できないしゲームオーバーになってもかまわないし、早く死にたいと言う感覚。自分の体が自分のものではない。

l   ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉に「女になれないのは男だからか」と思った。「女になれないなら男になろう」と思った。

性別についての記憶【大学】

l   大学に入学してすぐに喉の手術のために一色クリニックというところに行った。そこに声優学校の講師がいて、「訓練すれば手術しなくても男性らしい声が出せる」と言われた。それから声優養成所に入学した。これには「コネ作り」「対人スキル向上」「ワンチャン仕事見つける」などの理由もあった。成果あって声を出す事に劣等感がなくなった。正確には「地声を使って話す」ことが出来るようになった。声がコンプレックスで余計声を隠そうともごもごしてしまう喋り方がなくなった。

l   性転換して男としてみんなと初めましてしたかったから、コミュニケーションの必要な必修単位を二年で取ろうと思って一年の時に飛ばした。でも結局一年生で手術できなかったから必修単位が取れなくて退学した。人を避けてたら机を物置にされるなど虐められるようになって、どこにも居場所がなくなっていった。父親には失望された。悲しかった。

l   ボーカル教室に通った。声が細い事についてはそこまで嫌悪感はなかった。何も言ってないのに一度男性の講師のほうが良いか聞かれて「はい」と答えたが男性も嫌だった。ミックスボイスという裏声と地声を混ぜる声の出し方を学んだ。女性は無意識にミックスボイスで話している人も多いと言う事を知った。

l   精神科に行ったら性同一性障害以外の何かを指摘されるような気がしていたので、まずナグモクリニックに行ったらやはり精神科を紹介された。精神科に行ったら発達障害だと言われた。そのときは、自分が人と目を合わせられないのは学校が合わなかったからと、性同一性障害のせいだから誤診だと憤ったが思い当たるふしも幾つかあったし、性同一性障害のプロが性同一性障害のせいで対人恐怖症になった訳ではないと言うのだからそうなのかもしれないと思った。「発達障害は男に多いから、自分の事を男だと思い込んでいるだけなのではないか」と何度も何度も自問自答した。実際、精神科がトラウマになって行けなくなってしまった。仕方なく先に仕事を見つけようと思ったが男ではないのでうまく振る舞えなかった。八方塞がりになって絶望した。「就職できると思ってんの?」と言われた時、「漫画家になるので就職はしません」と言おうとしたけれど「漫画家になんかなれる訳ないだろ」と怒られるのが怖くて言えなかった。あの時の敗因として、医師に全てを伝えようとしなかったのが原因だと思う。自分は特殊で異常だから誰にも理解されないと思っていた。理解とかされなくていいからとにかく同意書さえくれればあとはこっちでなんとかするよという感覚でいた。そうやってどんな人とも避ける癖がずっとある。

l   人と目が合わせられないのは、うまく喋れないのは全部性同一性障害のせいだと思っていた。人が怖いのも。でも、ジェンダー外来の専門家がそうではないと言った。性同一性障害の人はみんなこういう風になるのだから専門家は見てすぐにどれだけ辛いか分かるだろうと思ってたら、そうではなかった。社会からのいじめや差別、倒錯の苦しみを自分の頭の問題にされて凄く悔しかった。苦しかった。辛かった。そのことばかり一晩中考えて眠れなくなっていった。

l   ほかの精神科に行こうとも思ったが、どこに行ってもどうせ同じことを言われる気がした。八方塞がりで、絶望した。

l   発達障害の可能性があると言われた時、「でも偏差値70の京都工芸繊維大学に受かりました」って一言言えば良かったと後悔している。そのために受験頑張ったみたいなものなのに。

l   そういえば「オーディオ・ビデオ」のこと「AV」って言うじゃないですか?大学の図書館で「AVコーナー使いたいんですけど」って言ってたら「合法なんですか?」って言われたんだけどあの人たち何だと思ったんだ?アダルトビデオコーナーが大学の図書館にあるわけねえじゃねえかよバカじゃねえのか?そういうの好きそうな顔だって意味か?マジでそういう事ばっかり起きるんだけど

l   石丸伸二やひろゆきや父を見ていれば分かる。アスペでも頭おかしくても体力さえあれば勝てる。その体力が欲しくて男になりたかった。男にならなければ生きていけないと思った。

l   親を連れて来いと言われても母親を病院連れて行くのは絶対に無理。父親は母親に言うかもしれないから無理(そもそも自分の興味ある事しか行動しない)。どうすれば良いのか分からず絶望した。人生は終わったと思った。なんのやる気も起きなくなって、食欲もなくなって、食べる意味も分からなくなった。息をする必要もないと思った。

l   漫画家のアシスタントになろうと思ったが当時の漫画家アシスタントは徹夜当たり前で全員雑魚寝だった。女性では断られると思って応募できなかった。男性から気を遣われるのも嫌だった。

l   男性ならもっと気楽に働けるのにと思った。撮影所のADになろうと思ったりフリーターになろうと思っても体力がなくて無理だと思った。フリーターとして生きられたら一番いいと思ったが発達障害の関係で難しかった。

l   アパートが寒すぎたので引っ越そうと不動産屋に行った。安くていいアパートがあったが男性専用だった。一応不動産会社の人が大家に電話してくれて嬉しかった。もちろん無理だった。結局引っ越しはしなかった

l   大学の学生会館が男子専用なのは不公平だと思った

l   何も困ってないのに発達障害と言われた。発達障害はカバーできていたのに発達障害のせいで性転換できなかった。5分話しただけの精神科医に人生設計の何が分かる?精神科医に人生全部壊された。狂わされた。発達障害があるから自分はもう生きる意味が無いと思った。何もする気が無くなった。

l   生理痛がひどくなり、そのたびに子宮を憎んだ。PMSもひどく、子宮があるせいでこんなにつらいんだ、なんでこれを取るだけのことがいつまでもできないんだと思った。

l   関西はトランスジェンダーに寛容というイメージがあったから関西の大学を選んだが、実際はジェンダーバイアスが強すぎるから多様な生き方が許されていないだけなのではないかと思った。

l   何も言っていないのに露店の人(女性)にいきなり「手の感じとかで女って分かるよ」と言われて不快だった。

l   服屋のキャッチ(男性)に「そこのおに…おね…」と言われた。無視した。

l   性転換するまで大学で友達を作らないように、コミュニケーションの単位を取るのも後回しにしていたので、それらの単位も取れなくなって留年した。

l   大学ですれ違いざまに「性同一性障害」と言われた。その時の感想は「よくそんな言葉知ってるな~」

l   漫研に所属した。漫研メンバーとカラオケで歌ったら「俺も裏声で歌おうと思います」と言われてなぜか裏声で歌う縛りになった。次第に行かなくなった。

l   カラオケで歌ってたら受付の男性が覗き込んできて「え、女の子?」と言っていた。

l   健康診断の時女子の着替え用の部屋で着替えていたら女子が「えっ、男女共用?ありえん」と言っていた。

l   演劇サークルに参加した。そこにホルモン治療中のトランスジェンダー男性がいたが、どこの病院に行っているのか遠慮して聞けなかった。「食欲が増えて太って困る」と言っていたのでやっぱりホルモン治療は怖いと思った。演劇サークルは次第に居づらくなってやめた。

l   とにかくエンターテインメントの勉強することが第一と思い、洋画を1000本以上観た。『キンキーブーツ』など多様なセクシャリティやジェンダーの映画を観る事で自分の中の「ジェンダーの悩み」のようなものがなくなった。無理に男らしく振舞わねばといった悩みは抜け落ちた。特に好んだジャンルはハードボイルドとファンタジー。

l   『京都国際マンガミュージアム』に2年間毎日通い漫画を読み漁った。少女漫画は面白くなかったが女性向け漫画は面白いものもあった。青年漫画はリアルテイストのものは複雑だし胸糞悪くなるからあまり好きではなかった。『コロコロコミック』のような児童向け漫画が一番面白いと思った。ナンセンスは全く理解できなかった。やはり手塚治虫が一番好きだった。

l   アニメもたくさん観た。名作と呼ばれるものをいくつか観た。

l   バイト中正座した足をふざけて触られたときにどうリアクションしていいか分からず「あっあっあっ」と言っていたら周りが何事もなかったかのように去っていった。

l   なぜか戦隊ものが好き。しかし戦隊ものは女性ファンも多い。一時期アメリカで放送されていた『パワーレンジャーシリーズ』のファン。

l   時代劇のチャンバラは好きだが西部劇は面白く感じない。ヤクザものは映画だと面白いが漫画はつまらないと感じることが多い。

l   父が保管していたらしい『ゴルゴ13』を30冊ほどくれた。さいとうたかおはかなり好きだがゴルゴ13よりほかの作品の方が面白いと思った。

l   女の子っぽい可愛らしいイラストは好きだった。高橋真琴を模写したり羽海野チカの個展に2回も行ったりした。植物園に行って植物のスケッチをするのはとても楽しいと思った。動物園で動物のスケッチもしていたがそれはあまり楽しくなかった(少しは楽しい)。梟が好きだったのでよく描いた。

l   綺麗な女性とすれ違う時に見入ってしまったりドキドキすることが多くなった。銀閣寺でバイトをしてる時すごく綺麗な人が訪ねて来て一瞬我を忘れてしまった。あとから芸能人だと分かった。名前は忘れた。

l   少女漫画や女性向け漫画などの恋愛漫画を読むときはどうしても男性側の視点で読む。だから男性が「イケメン」のものより独特なキャラクター(オタク等)の作品を好んで読む。

l   悪役令嬢ものはわりと好む。そもそも悪役令嬢ものの先駆者は男性である。

l   少年漫画は面白いものもあれば面白くないと感じるものもある。そもそも少年漫画の定義は広すぎる。

l   小学校のクラスメートから「まだボクっ子やってるのー?」とメールが来て悲しかった

l   体調が悪すぎて精神的にも辛くて顔が上げられずずっと相手の胸を見て喋っていた

l   専門学校の説明会で男性スタッフに「女だと言ってもらいたい」と言った。会話の流れを忘れたが「自分は女であるはずなのに、自分が女だと言う証拠がない。女だと誰かに言って欲しい、自分が女である証拠を探している」といったニュアンスだったと思う。その後そのスタッフとエレベーターで2人きりになった時に肘を触られて、「そういう事ではない」と思った。

l   セックスの事はよく分からなかったがセックスのマンガを描いてFacebookに載せていたらそれを見た母の知り合いが母に電話をして母から変なものを載せるなと怒られた。恋愛は自分には無関係のものなので、ファンタジー漫画を描いているのと心理的にあまり変わらない。

l   創作ノートに母をモデルにしたキャラクターに「娼婦」と書いていたら母が勝手に見たらしく「私は娼婦じゃないわよ!!」とキレていた。勝手に見るな。モデルと現実は違うのだと言う事が母には分からない。

l   母は次第に創作について聞かなくなった

l   小学校からの友達の藤井さんに久々に会った。デザインのセンスがあるので昔のようにラフを綺麗に清書してもらおうと思ってラフのノートを渡したらブロックされ連絡が取れなくなった。その後ノートを返してと言ったが捨てたらしい。もしかしたらノートの内容が過激だった?よく覚えていないが乳房が露出しているようなイラストや赤塚不二夫レベルの下ネタが数点あった気はする。女性との付き合い方が分からないと感じる事が増えた。

l   リオサンからアパートに泊まりに行って良いか聞かれ恥ずかしすぎて「良い訳ないだろ」と思って断った。漫画で忙しかったのもある。

l   よく覚えていないのだがジェンダー専門外来の存在を知らなかったのか普通にかかりつけ医が欲しかったのか分からないが入学してすぐに近所の精神科に行った。ジェンダーの話はせず「内科って書いてあったから…」などとわけのわからないことを言った。性同一性障害について分かるかどうか確認した?何かのおかしさを指摘してもらうのを待っていた?精神科に行けば何かが変わると思った?そこでノートルダム女子大学のカウンセリングルームを紹介されて行ったが相手が心理学科の大学院生で、何を話しても首をかしげるので女性恐怖症・カウンセリング恐怖症・人間恐怖症のようになった。

l   自分の体、顔、全てを見るのが嫌で、幼少期から鏡を嫌っていた。借りたアパートの洗面所にあった鏡を賃貸なのにガムテープを貼りまくって見れなくした。

l   一時期ベニヤ板を買って胸を潰していたがズレてくるし暑いのでやめた。そういえば、ナベシャツを着た事がない。どこで買えば良いのか分からない。胸を潰している間はとても清々しくて、胸を張って歩けるのが嬉しかった。自分に自信もついた気がした。

l   それなりに色々なジャンルを好むが、『日常もの』と『人外』の良さが分からなかった。日常ものは石川さんが『らき☆すた』などを好んでいた。友人の男子も百合日常ものを好んでいた。最近になって分かった事だが、頭の良い人は日常ものや人外のような非日常を好むと言う事なのだと思った。『萌えキャラ』が我々のようなオタク以外にも好まれる理由もきっとそうなのだろうと思った。

l   アフィリエイトをしようと思い、『青春アドベンチャー』などのラジオドラマが好きだったのでドラマCDの宣伝を書こうと思った。調べてみると女性向けばかりで恥ずかしかったがAmazonのレビューを参考に書いた。石川さんやリオサン、出沼さんなどに宣伝したが全く売れなかったうえ、ボーイズラブ好きと思われて出沼さんから会うとボーイズラブの話題ばかり振られるようになった。「出沼さん、ボーイズラブ好きなんだな」程度にしか考えなかった。その後織田信長が出てくるボイスドラマを作ろうと思い出沼さんにシナリオの感想を聞こうとしたら「これBL(ボーイズラブ)なの?」と聞かれ、「自分がボーイズラブ好きだと思われている」と言う事に気付いていなかった自分は「え?BLってあの腐女子が好きなやつ?」といった感じの返信をしたらそれきり連絡が途絶えた。その後、「もしかして、出沼さんにBL好きだと思われていたのでは?それなら会う度にBLの話をされていたのも辻褄が合う」と思った。出沼さんは自分が「BL好きの仲間」だと思っていたのだろうと思った。

l   アニメ会社のプロデューサーの講演会で「プロデューサーになりたい」と言ったら「女は無理」と言われた。

l   母に「悪魔の子」と言われた。

l   宅急便を装って部屋に侵入してレイプする犯罪が起きる訳がないのに怖くて宅急便を受け取れない。男性になりたい理由として「レイプされたくないから」という思いはとても強かった(=男性に気を遣わせたくないから)あ、いや、違う。レイプ自体は怖くない。もちろんレイプ殺人とかは怖いがレイプ自体は性病以外怖くない。怖いのは「妊娠」だたぶん。妊娠することが絶対に嫌だし自分に妊娠能力があるってこと自体が死ぬほどいやだ。社会的性別うんぬんじゃなくて「妊娠」がすっっっっごい嫌だ。自分が生まれたいと思ってなかったし、子供を育てるのなんか絶対ムリだし、子供を放置して死なせて刑務所行きになるの確定だし中絶いちいちするのも嫌だし、子供をお腹の中で育てるという行為が生理的に無理だ。気持ち悪いし早く死んでほしい。10ヶ月もお中の中にいるとかキモすぎるしなんで他人のためにお腹痛めなきゃいけないのか全く理解不能。まずセックスと切り離されたい。人間社会と切り離されたい。でも無理だからせめて妊娠できないようになりたい。そのへんが根本的な動機だと思う。もし男に生まれてたら父のようにあちこちで子供作って大変だったかもしれないが。自分が妊娠したらギャグなんだが

l   いりさわ心と体のクリニックの織田医師宛てに(関西医科大学か附属病院だったかも)心情を何とか理解して欲しくて今までの日記を30冊ほど送ったのだが受け取ってもらえず、宅急便を受け取れないため返送が受け取れず破棄される。

l   女性の身体で男性漫画家と同じレベルの労働をした事が最大のミスだと思う。ホルモン治療を先にすればよかったと今は後悔している。

l   自分の体を好きになれない。だから食べなくても病気になっても他人事なのかなと思う。

l   大学でテレビもネットもなく引きこもってたらいつの間にか「LGBT」と言う言葉がめちゃくちゃ有名になっててびっくりした。しかし知名度が上がっただけで理解はされていないことに気付いた。

l   解離性同一性障害の「haruさん」が「どうして女の子のようになれないんだろう」と言う悩みで性同一性障害と診断されたと言う話を聞いて。「あ、それで診断されるんだ」と思った。

l   あの頃の僕は性転換したら名前も過去も全部捨てて噓八百と言うか元女であることは隠してと言うか忘れて生きるつもりだった。多分、その責任能力のなさが性転換できなかった理由なのかな。父が前妻と前妻の子を忘れて隠して死んだように僕も嘘と隠し事まみれで死ぬつもりだった。誤魔化すのは発達障害を誤魔化すことで慣れてたから今更どうとも思わなかった。でも、僕は父のように嘘がつけないから、きっとどこかでバレて、そのたびにその環境から逃げるのを繰り返して、結局友達なんてできないまま引きこもって死んでいたのかもしれない。「男になれば友達出来る」なんて幻想なんだろうな。

性別についての記憶【大学中退~現在】

l   心理士にトランスジェンダーだという話をしたら「恋愛対象はどっちですか」と聞かれたので「人と話す時は基本的にいつもドキドキするのでよく分からない」と答えた。

l   中学生の時、小瀧さんと「AIEN」という漫画を合作していた。自分は漫画家を目指していたが別に漫画が好きなわけではなく他に就けそうな仕事がなかっただけだったが、その漫画家ですら、一人でなれる自信がなかった。だから小瀧さんと一緒に漫画家になりたかった。小瀧さんにAIENの資料を送ったのに返してもらえなかった。「返して」と言うと「どうして私にこだわるの?」と聞かれた。僕と小瀧さんはお互いを補い合えると思った。僕は小瀧さんの書く作品が好きだった。だから「好きだからだよ」と答えたら二度と返信が来なくなった。

l   生理痛に苦しむ。ただ子宮を取るだけで解放されるのにそれが出来ないことに腹が立つ。トランスジェンダーの自分が他の女性より苦しいことに腹が立つ。

l   ボーイズラブドラマCDを聴いて吐き気

l   性別を偽っている事で社会に嘘をついて生きてる罪悪感と違和感がずっとある

l   晴和病院で発達障害の検査を受けた。「烏山病院にジェンダーの先生がいるので紹介しておきます」と言われた。「母に性同一性障害がバレた」と思い、予約の日に行きたくないと言ったら母が「何で言う事聞かないの!!!!」と大爆発していた。そのあと分かったが母にはジェンダーの専門医であることは伏せていたことが分かった。結局行かずに紹介状を地元の病院に渡し、パーソナリティ障害専門の市橋クリニックに紹介状を書き直してもらったがそこも行かなかった。そののち、「発達障害専門外来に行くってウソをつけば良いじゃん」と思い付き通い始めた。かなり大変で何度も風邪を引いた。

l   実家に戻った。体調は二度と良くならないと思った。二度と性転換するチャンスは訪れないと思った。人生に失敗したと思った。

l   母に解離性同一性障害と言った時「性同一性…?」と言われた。

l   女性恐怖とか、叩かれる怖さとかがあって、女性から男性として見られて嫌われる怖さとか、男としての情けなさとか、評価される恐怖とか、そんなのがあってずっと踏ん切りがつかない気がする。でも、女として生きるのはもう体力的な限界がある。だから男になって誰とも喋らず静かに暮らせばいい。

l   多分、女に生まれてなかったら、人生で女について考える時間がほとんどなかったと思う。女の考えてる事とか女の社会性とかそんなものに微塵も興味のない、理解できない人生だったと思う。女は金を払う代わりに家事をしてくれる生き物だと思っていただろう。実際、今もそう思っている。

l   性転換を諦めようと思った。どうせ「発達障害」というフィルターのせいで社会に溶け込む事は出来ないし、性別違和から来るコミュニケーションの障害も全部発達障害のせいにしてしまえばいいし、世間から隠れて生活保護なりで暮らす分には手術は必要ないと思った。

l   逆に、女性として生まれた強み(声の高さ)を生かそうと音楽タレント事務所に歌手として入った。途中で潰瘍性大腸炎になってやめた。女性として生まれた事が長所になればコンプレックスが解消されるのではないかと考えた。

l   女性のひ弱さは誰よりも知ってるのでそういう意味ではフェミニストである

l   まあもう女でいるのはじゅうぶんというかこりごりと言うか

l   胸の膨らみが分かるぴったりした服を着てる女性を見ると「なんで恥ずかしくないんだろう…」と思う。

l   「ASDであることを性同一性障害だと勘違いしているのではないか」とずっと考えた。試しに女性として生きてみようと、今まで避けていた本名をあえて使うようにして生きてみたり、今まで嫌いだった自分の顔の写真を撮ったり、バービー人形で遊んでみたりして、「今の自分」を愛そうと、諦めてこの体で生きようと努力してみたが、とても虚しかった。

l   体調が悪くて、もう死ぬと何度も思った。せめて死ぬときだけは男として死にたいと思った。(でもよく考えたら闘病中はホルモン注射は打てないのか)

l   アダルトビデオを観たらとても興奮した。レズものやゲイポルノ、女性向けも観たがあまり興奮しなかった。疑似ペニスをつけたらとてもしっくりきた。本能的に腰が前後する感覚があり、女のそれとは違うと感じた。

l   ゲイポルノは性的に興奮するのではなく別の感情があった。優越感のようなものを感じた。女性向けは気色悪さを感じる。なぜなのかは分からない。

l   男性に恋愛感情を抱けないか何度も想像してみたがダメだった。男性嫌いがほんの僅かにあるような気もした。男女と言っても様々な人がいるのだから、深く考えないことにした。

l   テレビで羽生結弦を始めて見た時に一瞬見入った

l   新垣結衣や石原さとみが可愛いと思う

l   インターネットの記事で「女性だがアダルトビデオに興奮するからバイだと思ったが、実際に経験したら全然違った」という記事があり不安になったりした。

l   自分の小陰唇が異常に肥大していることが初めて分かった。普通の女性器は自分のよりずっと綺麗だと分かって嬉しくなった。

l   リオサンとメッセージのやりとりをした。ほかの人はブロックしたり無視するのにリオサンは返してくれてとても嬉しかった。それからリオサンのことを考えると顔や体が異常に熱くなるようになり、人生で初めてのことだった。それからのヒロインのモデルは全部リオサンになった。

l   リオサンに触りたいと思った時、「これは友達ではない」と思い縁を切った。

l   高校の同級生の川村さんと会った。モデルになっていて、来週から沖縄で撮影だと言うから「水着の写真送って」と言ったらブロックされた。

l   婦人科に行って子宮内膜症と診断された。ピルをもらったが吐き気が酷く、女性ホルモンを摂取することに抵抗があってやめた。そのとき医師に「性同一性障害なので子宮取れませんか」と聞いたら「この程度で取れるわけありません」と怒られた。子宮がん検診に行くと「あなたも受けるんですか?」と言われた。性交渉をしなければ子宮がんにならないと聞いた事はあったがそんなこと分からないだろと思った。それからその婦人科に行くのが嫌になった。その病院の前でうずくまっていたとき「大丈夫ですか?」と看護師さんが腕を持ってくれたが遠慮して離そうとしたら腕を胸に押し付けてしまいそのままどうしていいか分からなくて腕を胸に押し付けたまま連れられて移動してしまった。こういう時、男性なら謝るが女性が謝るのも不自然かもと考えるとどうしたら良いのか分からなくなる。

l   生理になる度に包丁でお腹をかっ捌いて子宮を取り出したい衝動に駆られる。生理中でなくても常にそういう妄想をしている。

l   入院中、出身高校が同じらしい男性看護士が馴れ馴れしくてとても嫌だった。

l   たまたま近くの洋菓子店で元クラスメートの永廣さんが働いていた。話しかけられたが、その後どういう顔で会えばいいか分からなくて避けた。でも行かないのも申し訳ないので母親に行ってもらった。そうしているうちに転勤していた。申し訳ないと言う思いはある。記憶喪失になった女の子がパティシエの幼馴染と再会する恋愛小説を書いた。

l   府中こころ診療所のデイケアで女性看護師が会話の中で「引いてます?」と言って手を触ってきた。頭が真っ白になって困った。そもそも患者の手をむやみに触ってはいけないと思う。

l   満員電車で、いけない事と分かっていたが女性の背中に腕を押し付けるようにしてわざと触った。女性は何度か体勢を変えたが何度も腕を押し付けた。何も言われなかった。「もし捕まっても『女がそんな事するわけないでしょう』って言えるからラクだな」と思った。このためだけに女で居続けることもあり得ると思った。

l   混んでいるバスの中で先頭の座席に座っている女性を後ろからつい眺めてしまう。

l   今まで、自分が男性であると言うことがあまりにも当たり前すぎて自分の中で自己完結しすぎていることに気が付いた。そのために社会とのギャップがあることをあまり意識しておらず、そのおかげか、あまり性別違和感のことで苦しいと思う事がなかったように思う。だが、確実にストレスは感じているのだと思う。

l   ダイバーシティキャリアセンターと言う発達障害とトランスジェンダーのダブルマイノリティに対応しているという就労移行支援に連絡したが対応が悪かった。発達障害とトランスジェンダーを併発する人は多いと言うが、まだ会ったことがない。本当に居るのだろうか。

l   漫画は男性向けも女性向けも描く。

l   女性の友達とサンリオピューロランドに行った時にイケメン男性達がわちゃわちゃと喋って躍るショーを見る事になった。目が悪くポスターがよく見えず始まるまで何のショーか分からなかったが、開始30秒で言いようのない嫌悪感や吐き気があり退席した。友達はそれについて何も言わず。

l   リオサンとサンリオピューロランドに行った。その時キキとララの声優がどうこうという声優オタクらしい蘊蓄を聞かされた。リオサンも自分の事をボーイズラブ好きと思っている可能性がある。その後なんかイケメンばっかり出演するステージを観たが途中で気持ち悪くなり退席した。

l   リオサンは嵐ファンだが僕は名前すら分からない。イケメンに対する嫌悪感と嫉妬心と恐怖心と気味の悪さがある。ずるいと思う。そういう意味ではかなりドキドキする。陽キャとか勝ち組も怖い。以前クラスの女子が会話のミスで嵐に興味あると思われてCDを貸してくれたことがある。

l   女性向けの作品の男性に感情移入して読むことが出来る。もちろんものによるが「女性が喜んでいる」ことに喜ぶ感情があるため、女性向け作品の男性に憧れている。

l   父に「鍋料理嫌いでさ」と言ったら「おなべなのに?」と言われた。「お前の鼻かっこいいな」と言われた。父とはいい関係を築けている。

l   母が「最近はLGBTとかいうのも流行ってるしねぇ」と言っていたが、カミングアウトする勇気はまだ出ない。母は、頭では「良い母親でいよう」とする意思があるが、一度ヒステリーを起こすとどんな暴言を吐くか分からないため、母と同居しながらカミングアウトするのは非常に危険。

l   母が「最近はLGBTとかいうのも流行ってるしねぇ」と言った時にめちゃくちゃ泣いた。なんでもっと早く受け入れてくれなかったのかと。

l   就職活動でzoomを使用する。面接官の男性に「カメラONにしてください」と言われ顔を見せると「あ~」と言われて悲しかった。

l   就職活動で男性面接官に「怖い人とかいますか?男性は怖いですか?」と聞かれた。その時は「頭のいい人(=定型発達の事)が怖い」と答えたがその後考えてみると、面と向かって話す場合はどちらかと言うと女性の方が怖いという感覚があった(でもどちらも怖いし人による)

l   『つのがい』という男装漫画家がデビューした。自画像は完全に男性だがサイン会に行くと女性だったということで話題になっていた。トランスジェンダーでもレズビアンでもないようだ。女性と同棲してそれをネタに男女の日常漫画を投稿してお似合いカップルと話題になっていた。面白いと思って見ていたが叩かれないか心配していた。自分もやりたいと思った。

l   男子の知り合いの市原君のtwitterアカウントを忘れてしまったので、メールアドレスの名前「鳳凰院羚司」から検索して裏アカウントをフォローしたらブロックされ、連絡もつかなくなった。

l   保育士の漫画が描きたくて取材の為にリオサンを家に呼ぶ事になったが寝不足で体調が悪く、近くのカラオケに変更したが部屋が狭くて急に緊張してしまい靴以外見れなくなった。重いPCまでわざわざ持ってきてもらったのに体調が悪くてほとんど会話が成り立たなかった。リオサンは緊張をほぐそうと明るく振る舞ってくれた。普段、性別を偽って生きている事について「役得」と思う事も多々あるが、リオサンと話していると性別を偽ってることに罪悪感を感じる。最後に「何時まででも遊べるよ」と言われて、(何時まででもって夜まで?)と一人で妄想してしまいキモかった。

l   精神科で「なぜ人の目を見ないのか」と言われた。「性転換をしたら目を合わせるようにしよう」と思っていたが結局性転換できずタイミングが分からない。人の目を見て話すと言う事は、隠し事をしないと言う事でもある。発達障害がありトランスジェンダーがあるという自分を隠して会話をしなければならないとき、どうしても人と壁を作らなくてはならない。理解してもらう事は出来ないのだし、必要以上に踏み込んでこられたくないし、仲良くなりたくないという気持ちが働いて、人と目を合わせることができないのかもしれないと思った。

l   女性と普通に話せない自分に怒りを感じる。男である証明が出来たのが嬉しく、悲しい。

l   女性として生きる権利がないと感じる。幼い頃から母に否定されてきたからなのか?女性でいる事が申し訳なく恥ずかしいと感じる。自分の中に、「男性<女性」という差別が確実にあり、自分は男性に「降格」したいと感じている。女性として生きる力も覚悟もないと感じる。

l   「男になりたいか、女になりたいか」と聞かれたら「女になりたい」と思う。もし「脳を女にする薬」があるなら、体の性転換ではなくそれを飲みたい。その方がラクだから。女になって何がしたいのかは、女じゃないから分からないけど。

l   ちゃんとした「男性」として生きるつもりはない。自分は「弱者男性よりも弱者の男性」だと思っているし、最初からそのつもりでいる。

l   今でも『いりさわ心と体のクリニック』でのことを思い出すと苦しくなって涙が出て吐き気がして動悸がする。

l   男性に性転換すると言う事が女性として生きる事からの逃避だと言われることが一番嫌だったので、男性として生きるハンデをたくさん考えた。もし、「脳を女性化する薬」のようなものがあるなら、どちらかと言えばそれを飲みたいと思う。もし自分がおしゃべりで空気が読めて家事ができてメイクに興味があってファッションが好きな女性だったらそれはそれで良いと思う。女で生きる方が楽しいと自分でも思う。恐らく幼稚園の時に女の子らしくしていたのはそういう感情だと思う。でもそんな自分は想像ができないし、自分はそうではないし、男の方が色々と損なのは分かっているけど、やっぱり自分は男なのは悲しい事実だと思っている。男に性転換したら人生バラ色だと考えていた頃もあったが、働き盛りも過ぎた今はただ寂しい。

l   女性ASDのロールモデルがないのは社会問題のひとつだと考えた。これに貢献する活動をするときに、「女性ASD」という希少性を捨てるのは勿体無い気がした。要するに男に性転換することで没個性化することが怖い。そのことに対して自己愛だの、また別のパーソナリティ障害だのなんだの言われるのも怖い。男性になることで社会に今更参加するのも非常に怖いし、今まで「女性だから」という言い訳でやらずに済んでいた社会的なことをしなければならないことが怖い。そのときに自分が言い訳に出来るのは発達障害しかなくなり、それによって生きづらさが増える可能性があるのも怖い。

l   正直、ASDの女性というものはあり得ないのではないかと思っている。ASDは超男性脳のことだから。と言うか、ASDの強さと男性脳・女性脳は同じ事であり、男性脳が強くなればASDだし女性脳が強くなれば統合失調症だと思っている。でも、誰にも言わない。ASDとトランスジェンダーは同じ話だと思っている。もし自分がトランスジェンダーでなかったら今色々と話題になっている「女性の発達障害」のようになっていたのか?なぜ自分は男性が好きにならないのか?なぜ自分は今話題の「女性の発達障害」ではないのか?女性の発達障害についての本を幾つか読んだ。全く共感できなかった。そこから導き出されるのは発達障害もあるが、トランスジェンダーもあるということではないのか?

l   体調不良がコルチゾール不足のせいではないかと思い、男性ホルモンがコルチゾールに変換されることを知り、ホルモン治療をする決意をする。また、潰瘍性大腸炎などの自己免疫疾患も、女性ホルモンを減らせば緩和するかもしれないと思った。PMS対策の為にチェストベリーティーを飲んだり、大豆を摂ったりしている。

l   障害年金が下りたため、グループホームに住みながらホルモン治療を始めようと思う。日中、母と会話する程度なら、母は表面的に受け入れるはず。ただ心の底では受け入れられないしショックなため、二度と同居することはない。

l   リオサンの一件があってから、自分は男性なんだと自分で気付いた。それから、自分は普通の人間なんだと思えるようになった。アセクシャルを否定したいわけではないが、アセクシャルはつらい。結婚したり恋愛したり子供を作ったり家族で暮らしたり、そういう「人の摂理」の経験が今までなかったからよく分からなかったが、一人の人間として自分を認識できるようになった。そして他人の気持ちが分かるようになった。今まで、自分以外の人間はファンタジー世界の住人のように理解できなかったのが、少し理解できるようになった。

l   母から母乳を与えられた事が無いからなのか、母に甘えた事が無いからなのか、女性や乳房など母性的なものに強く惹かれる。自分に付いているもので多少解消される部分はある。脳と体の性別が違うせいで他人と正常な恋愛は出来ないが多少自己完結で解消できるのはトランスジェンダーあるあるなのか?子供の頃していた女装もその部類に入ると思う。

l   不安やパニックが女っぽくてすごく嫌だ。

l   女として生まれてきたからこそ性的な目で見られることの辛さは分かるはずなのに女性を性的な目で見る事へのジレンマが非常に強く、コミュニケーションに多大な支障を来していると感じる。

l   ブスの女とひ弱な男は存在してはならないと無意識に考えていると思う。ブスの女はメイクや整形を行うべきだし、それをしないなら男になるべきだと思っている気がする。今まで一度も他人からメイクをしろと言われた事がないし、したいと思った事もないし、実際難しすぎてできない。だから男のほうがしっくり来る。化粧は気持ち悪いと思うし、良く見せたり嘘をつくことが苦手だし、みっともないと感じる。一人でコソコソ鏡に向かって自分を繕う姿は恥ずかしいしみっともないと思う。

l   女性とはどういう生き物なのか10年近く、少女漫画を読んだり女性と話をしたりするなどして研究した。女性として生まれたのにこんなに努力して女性を調べなければならない人生に辟易した。その結果、女性とは嘘をつき美的感覚や言語能力が高く妄想癖がある生き物だと結論した。10年以上の努力も、女性に生まれたのだから分かって当たり前だと思われる事にひどく傷つく。

l   リオサンの事を考えていたら母に「ヘンな顔してる」と言われた

l   幼少期はずっと父に育てられていたため、父の思想の影響が強い。もし、父に育てられていなかったら、女とはどうするものかを教わっていたら、アメリカかぶれではなく、自閉症や理系至上主義ではなく「普通の日本人の女はこうすべき」と教わっていたら、或いは発達障害だと診断されず、性別違和に悩むこともなく生きていたのか?と思うことがよくある。しかし、そうではないのだろう。もしそうだったら今よりずっとつらい人生だっただろう。

l   「女なんだから女の子らしく」と言われた事がない。少し話せば女らしさが全くないのが分かるし、顔も女らしくないからだと思う。ならば、女である必要はない。

l   男になれば父のように働けるとずっと思っていたのかもしれない

l   肉体面では男性が怖いし精神面では女性が怖く、どちらの性別でも底辺で受け入れてもらえないのが辛い。女になれないのなら肉体を男にするしかない。

l   自分は「トランスジェンダー」ではないのだろうと思う。なぜなら自分の中に「ジェンダー」の概念が薄いため、女らしさや男らしさに囚われているわけではないし、社会生活を営む上でその枠の中にはまりたい訳でもないからだ。だから、僕の場合は「トランスセクシュアル」と言った方が正しいのだと思う。

l   ずっと続けてきた大好きな筋トレが体調不良のせいでできなくなって辛い。(無理矢理すると悪化する)

l   生理周期に伴ってオキシトシンが分泌されている時期?はASDが緩和する感覚はある。これはアドバンテージだと思う。ほかに女性で生まれて良かったと思う点は、女性更衣室に入れる事、女性の警戒心が低い事、性欲に振り回されずに勉強に集中できたこと、カラオケで高音が出る等。

l   世の中の仕組みや法律がトランスジェンダーに対応していないため、子供の頃から法律から外れた所で生きている感覚や法律を軽視する感覚は強い。法律に守られている感覚が薄いので、決まりを守る必要性を感じづらい面がある。

l   性別に対して自分は他の人より簡単に考えているように思う。元々「男らしい」性格と言うよりは「陰キャのキモオタ」系の人間であることもあり、「ジェンダー」と言うもの自体に悩んでいる感覚は薄い。社会生活を営んでいないせいもあるが、性別を変える事が自分の本質を変えるものだとは考えていない。ただ、最近、社会生活を送るうえで、女性として見られる事に疲れ、女性として見られる事からくるストレスが社会生活や健康な生活を送る上で支障を来していると気付いた。だから見方を変えれば性別を変えるのは自分の為ではなく社会に適合する為だともいえる。一生引きこもっていてよいのならば、手術する必要はないのかもしれない。一人でいる時は、自分の性別について思い悩むことは少ないし、自分が元々女であると言う事も忘れているからだ。

l   例え性転換できたとしても、「弱者男性」であることに変わりはないのだから、それ以上は望んでいない。ただ作業所で働きながら死ぬのを待つだけだ。それでも、少しでも苦しみや生きづらさを取り除きたいと考えるのはいけない事なのだろうか。

l   グループホームセリーンという所にトランスジェンダーが入居できるか問い合わせたら「当グループホームはご利用者の意思や考えは尊重する方針です」と言われ「意志や考え」というレベルで軽々しく考えられている所に腹が立った。トランスジェンダーは障害なのだとどうやったら社会に知らしめることが出来るのだろう?

l   おっぱいに触りたい。女性が好き。

l   ヒゲトリマーを買った。とりあえず頭を刈ってみる。出来たら髭を少し作りたい。

l   「トランスジェンダーであること」と矛盾するが、あまり自分が男性的であると自覚することはない。自分は自分であり、他人も他人であり、あまり男性や女性を区別して生きていない。男だとか女だとか、そういうふうに自分をあまり捉えていない。女性には全く共感できないし、男性の言う事が分からないと思った事はないし、筋トレや喧嘩は好きだが、だからと言って自分が「男性である」と強く断言する事は難しい。それは「女の部分がある」と言う意味ではない。そもそも「女の部分」と言う表現がまた難しい。料理は好きだし、カフェも嫌いではないし、スポーツにはあまり興味がない。性器を直接刺激されれば「女のような」反応をするだろう。それが女の部分だと言うのだろうか?これはたぶん発達障害によるものだと思う。抽象的な事柄がよく分からない為、実際「ジェンダー」と言う物が何かよく分かっていないのだと思う。昔友達に「友達と言う定義が分からない」と言って嫌われたのと同じようなことだろう。でも嫌われてとても悲しかったのだから、僕は友達だと思っていたのだ。だから、ジェンダーの話は非常に苦手であり、自分のトランスジェンダーを表現することも難しかったのだと思う。「男だと証明してみろ」といったジェンダー論になると、僕は非常に不快な気分になるし、それを避けたいと思う。本当は、男でも女でもどちらでも良い。幸せならそれで良い。性別もジェンダーもこの世からなくなればいい。ジェンダー論は好きではない。性器と性ホルモンに違いがあるだけだ。そんな世界になってくれたらそれが一番ありがたい。男とか女とか言う日本語が抽象的過ぎて誤解や齟齬が多すぎるのが苦手だと感じる。また、僕は別に「男になること」が目的ではなく、手段として性別適合したいだけなので、不要な男性化まではしない(偉そうにするとか、台所に立たないとか)。別にもっと性別の定義は自由で良いと思うし、これからも「僕は男です」と言う表現は使いたくないと思う(それは一切使わないと言う意味ではなく、言葉に依存したくないと言う意味)。それは「男」という言葉を都合よく使っているだけに過ぎないと思えてしまうし、染色体や性器を備えた完璧な「男性」ではないのは確かだから。ただ、日本社会から見た時、僕は「トランスジェンダー」と呼ばれるに過ぎないのだという理解でいる。(それは、手術が必要ないと言う意味ではない…)何から何まで日本の男になりたいわけではない。だから僕は「男です」と決め付けるような言い方をしたくない。僕は僕でしかない。それを「証明」しなければならない世界がつらい。疑われる事が辛いし、証明する為に自分に嘘をついている不安に駆られることがつらい。発達障害はイヤでも診断されるのに性別不合はなぜこんなにも疑われるのか。どうやら僕は男と呼ぶ方が近いようで、男に分類された方が社会はうまく回るようで、仕方がない事です。そもそも世の中に完璧に「男」だ「女」だと定義できる人間なんていない。みんなそれぞれ男らしいところもあり女らしいところもある。そのなかで僕は男に近いと思われる、と言うだけの話だ。

l   子宮がんや乳癌になりたい。つべこべ言わずに摘出してくれもう。

l   人と話すときに男女という属性を意識する事はあまりない。

l   自分が淘汰される側なのは分かっている。でも、死ぬまでは人としてまともに、普通に生きる権利があっても良いはずなのだが。

l   生理痛がきついと言うと母は「みんなそうよ」と言う。みんなこんなにきつい訳ないだろ。痛みで眠れないし、息もできない。

l   トランスジェンダーで生まれて良かった点は、人間関係のゴタゴタから離れて暮らせる点だと思う。発達障害の生きづらさがあまりなかったのもそのせいか?

l   はりまメンタルクリニックで「手術する為にはすでに『男性として』生活していなければならない」と言われた事の意味が分からなかった。男性として生きる為の手術の条件が男性として生きている事という意味も分からなかったし、そもそも自分を女性だと思った事がないし、女性として扱われる事もほとんどないのに、何をもって「男性として」と定義できるのかが分からなかった。性別詐称して生きろと言う事だったのだろうか。それをする意味はあるのだろうか。そんな、誰が決めたか分からないルールに則る必要がどこにあるのか。学校でいじめられて不登校になったトランスジェンダーに「学校のいじめがなくなって受け入れられてから来てください」って言うのか?頭おかしすぎる。

l   男「として」生きたいと言う能動的な意図と言うよりは、女として生きられないし、女のことが分からないし、客観的に見てもどう考えても男だろうなと言うだけで、自然に生きるだけで男として生きていると言う事になるのだが。

l   母に「オレオレ詐欺が心配なんだよ」と言うと「『あなたの息子さんが…』って言われたら『息子はいません』って言って『娘さんが…』って言われたら『娘はいません』って言えばいいのよ」と言っていた。母は僕のことを外で「うちの子供」と言う。娘とは言わない。

l   女性といると緊張して疲れる

l   僕はLGBTの当事者だけど、あまり「多様性」には興味がないような気がする。僕の一番の望みは、普通の、日本人の男性として、ふざけ合ったり、遊んだり、戦ったりする事だったと思う。昭和の日本の風景に憧れている。その中で「勝ち組」になりたかったのかもしれない。

l   リオサンと「最近どんなドラマを観てるか」と言う話題になり「ガッキー」と言われても分からなかった(「楽器?」て返した)。洗顔のCMで可愛いと思ってた人がガッキーだったので、「ガッキーって洗顔のCM出てる人?可愛いね!」と送ったが返事がなかった。良く考えたら女性に女性の感想で「可愛いね」と言うのはおかしい…?顔で言うと吉永小百合(の若い頃)が一番好き。女性だとすぐに「一番好きな顔」が分かるのに、男性だと全然分からない…。

l   性転換しないでカミングアウトする事はできない。なのに、カミングアウトしていないと性転換できないとは?

l   発達障害を差し引いても自分は恋愛に興味があるタイプではない。恋愛に興味がある人はすぐトランスジェンダーって気付けるし他人にも言いふらせるのだろうが、やはり誰にも言えないからここまで引きずってしまっているのだと思う。

l   国分寺市の基幹相談支援センターでカミングアウトするも「あなたが決めた事ならするなとかは言えないけど」と気に入らない様子で、腹が立った。

l   昨今のトランスジェンダーに対する世間の誤解と批判が凄まじい。誰か、誤解を解いてくれる人はいないのか?トランスジェンダーは発達障害に多いと言うがアンチトランスジェンダーも発達障害に多いように感じる。結局、発達障害には男女の定義にこだわる人が多いのだろう。

l   「弁護士ドットコム」で「元女性は身体的に女だから女湯に入っても良いか」と質問したら回答がなかった。社会から黙殺されていることがよく分かった。女性は心理的に寄り添えないし男性は肉体的に寄り添えない。同じ性別の人はいない。

l   「母性本能」と言うものがマジで、マジでマジでマジで分からない。1ミリもない。女にはあるらしい。

l   女の取り柄である美しさや言語能力、知恵、したたかさ、全てがない。だから生き残るには筋肉しかない。

l   ジェンダー外来に行くと「発達障害だからうちでは対応できない」とよく言われる。だが、「発達障害の苦しみ」と「トランスジェンダーの苦しみ」のどちらか一方でも緩和されるのならそうするべきだと、何故誰も思ってくれないのか。

l   もし精神科の診断が「あなたは男らしいものが好きだから男」「男っぽいから男」みたいな診断だとすればそれは社会問題レベルのおかしさがある気がするが…。世間でトランスジェンダーが叩かれている原因そのものが精神科にあると言う事になる。

l   「女性社会より男性社会のほうが生きやすいから、しっくり来るから」じゃなぜだめなの?「性自認」と言うのはむしろジェンダーバイアスにかけられた一貫性のないものだし、性自認なんてどうでも良いのでは?だって私は私で、そこに普通性別の自認なんてあるか?もし世界で自分一人だけだったらそこには自分しかいないのだから、性自認なんて存在しないように思う。恋愛対象はあるだろうが。それを病気の判断基準にするのは何かがおかしい。そんな事言ったら俺の自認は「少年」なのだが。自分の事を、一生大人にも女にもなれない子供だと感じている。「犬」だとも思う。人間より劣った生き物だと思う。でも、「大の男」と言う感覚は若干乏しいのかもしれない。それは発達障害の男性はみんなそうなのに、僕だけそのせいで男になれないのだろうか…。

l   「性自認」なんてこの世にないのでは?

l   mtfとftmは生きてる場所が全然違うと思う。mtfは体力もあるし美しさも分かるし女性的な会話もできる最強の人類でftmはちんこもないし体力もないし力もないし知恵もない人類のゴミだと思う。

l   母親が尊敬できないから男になりたい、レイプされたくないから男になりたい、そういう面はなくはない。だがもし母親が素晴らしい母親だったら性別違和がなかったかと言うとあっただろう。

l   男として見るかどうかは他人の自由なので、別に男に見られたい訳ではない。女として見られるのは死んだほうがマシだが。人として見られたい。そのために、「マン」という純粋でプレーンな「人」になりたい。男は普通で女は特殊であると言う認識があるかもしれない。女は複雑で神秘的で別の生き物だと思う。発達障害だからそもそも「人」として見られた事がないからなのか?発達障害の男は性転換できないのか?「大人のちゃんとした男」になれないと、性転換する資格がないのか?

l   自分としては男であることが当たり前すぎて、男になりたい事をプレゼンすると言う気力が沸いてこない面がある。そういう悩みは中学生くらいで終わってしまい、その後は「隠す事」に必死すぎて、「女として騙して生きてるかりそめの自分」と本当の自分が分離していることに自分で気付いていないかもしれない。だから人と話す時に矛盾が出てきて気味悪がられるのかもしれない。要するにもう外に向って何かを話す気力を無くしているふしはある。

l   30年も女として生きてきた事に、もう疲れてしまった。もう、自分の人生は失敗に終わったし、ステージ4のがんでも見つかって早々に死にたいと思ってる。この先に自分の人生はない。性転換できないなら、もう生きてる意味もないのかもしれない。

l   他人に何かを伝える事が苦手だ。だからずっと性転換できないのだろう。性転換したい。でも何故なのかを考えることは難しい。当たり前だから、女でいること自体がおかしいから、としか言えない。なぜ、それが自分以外の人には分からないのか?それが分からない。

l   「女である自分」を悪用している面が少なからずある。そのメリットは実際大きい。女性から警戒されにくいし、信用もされやすい。でもそれは良い、誠実な生き方ではないと思う。「発達障害でわりとジェンダーフリーな考え方」と「女であることを悪用したい」という2つがこんなに性転換を遅らせたのかな。

l   多分、トランスジェンダーであることを否定したいのだと思う。そうすれば世間から認めてもらえる、認められたい、普通になりたいと言う思いが強い。トランスジェンダーではない証拠をずっとずっと探している。でも、どこにも見つからなかった。

l   性転換しても人生が上手く行くわけではないことは知っている。でも、体調は良くなるし、夢は叶うのだ。少しだけ、僕の人生は底辺から浮上するのだ。女のままでいたらあと10年は生理痛に悩まされなければならないし、体力はますます衰え本当に何もできないでくのぼうになってしまう。そうなりたくないから、社会のために男になりたいと言っているのになぜ邪魔をするのだ?

l   精神科では男性試験があるらしい。精神科医が男らしいか、女らしいかで判断して手術の許可を決めるらしい。精神科医のジェンダーバイアスに合格した人だけが性転換できる。医者が「正当な理由がある」と言えば、手術は断れる。それが今のジェンダー外来の世界らしい。だから普通の男性より男性らしくないと試験に合格できないらしい。

l   性自認に関係なくトランスジェンダーなんだと思う。トランスジェンダーがあって、そのなかで90%くらいの人は性自認が違うと気付くけど、残りはそのまま違和感だったり、ギャップを生かしたりして演技して暮らしていると思う。そこに自己否定が加わると障害になるのだと思う。だから、性自認がなくてもトランスジェンダーはトランスジェンダーなのだと思ってた。

l   自分は「ジェンダー」からは外れたところで生きているから、トランスジェンダーではなくトランゼクシャルなのかもしれない。でもその2つって何が違うのかよく知らない。「ジェンダー」にはあまり興味がない。自分の女の体が気持ち悪い。そこにジェンダーはないだろう。

l   実生活で「男性だったら」とか「女性だったら」とかわざわざ考えて行動しない。自然に行動するだけで男性の振る舞いになってしまうから。自分が女だと意識する瞬間は全くない。今後もしあるとすればセックスで挿入されたらその時くらいだろうな。自分の事は生理のある男性だと思っているから。でも、男性と言うことを強く意識する事もあまりない。ああ、そうだ、友達になりたい人から「お前は女だろ」と言われる瞬間だけ、女だったんだなと突きつけられる。別にもう今は友達なんか要らないけど。

l   普段漫画を描いたりしている時は女性であると言う事を忘れているので、実生活に戻ると夢の中にいるような感覚になる。「まだ性転換してなかったんだ」って思う。時間かけすぎ。こんなにかけてる人いないと思う。

l   そもそもなんで自分の性別や人生について他人にとやかく言われなきゃならないんだろう。普通に生まれてればこんなに叩かれる事もなく安定して暮らせるのに。発達障害である事の何がいけなかったんだろう。普通に大学も国公立に受かったし、性転換さえできてれば卒業だってできたはずなのに。それを精神科医たちがやいのやいのと邪魔をするから、人生はどんどん失敗しているように感じる。いつまでこんなふうに邪魔されなくちゃいけないんだろう。なぜみんな僕の事を疑い、嘲笑い、非難するのだろう。もう、疲れた。信じていたのに。

l   どれが男らしいかなんて、どうでもいいじゃないか。なんでそんなことにこだわるんだ?なぜそんな他人のものさしで男性であることを証明しなければならないんだ?オタクや草食系男子や発達障害のトランスジェンダーはダメなのか?僕は別に「男性ごっこ」で遊びたい訳じゃない。ただ、らくになりたいだけなのに。普通に、安らかになりたいだけなのに。

l   ホルモン投与や卵巣摘出は体調と相談して行う。でも、乳房切除くらい別にいいじゃないか…。

l   女性のいる所は避けて生活している。婦人科とか 2人きりになりそうなことも避けている(訪問看護とか)じゃあ男性と2人きりになる事が許されるかと言うと今度は社会が許さないわけで、断られる。つまるところ、僕が受けられるサービスがない。男性として生活できているかと言うとできていないが、女性として生活できていないから生きづらい。本当にホルモン治療前に男性として生きられる人がいるのか?

l   そもそもあれだがわがままを言って世間に無理矢理男だと言わせて「男性として」生活するって考え方がなんか…男らしくないと思う。男なら黙って手術してトランスジェンダーだったことは黙って迷惑をかけずに生活するべき。それがむしろ「男性らしさ」では?逆に俺がもっと女々しかったら早く手術できたかもしれませんねえ!

l   そういえば、生理が「あること」自体には今はそこまで嫌悪感はない気がする。痛いことが嫌なのであって、もし生理のある男性がいてもそれは多様性の一部だし、生理が来るから男性ではないと言うことではないと思う。僕は絶対に嫌だけど。

l   トランスジェンダーには否定的だ。ジェンダーは社会のものだし、それで体にメスを入れるのはおかしい。手術を許可するのはトランゼクシャルだけでいいのではないか。

l   ピルを飲みたくないと言うよりは、飲むと「じゃあそのまま飲み続ければいいじゃないですか」って言われて性転換が遅れそうなので飲んでない。命懸けで性転換したい。

l   複雑性PTSDの治療が先と言われてもそれを治すには一生かかるし、発達障害が治らない限り治らないし、つまり一生性転換できないってこと

l   はりまメンタルクリニックで「(乳房を取りたいのは)なんでなんでしょうかねえ」って言われたときに黙ってしまった。あのとき「男になりたいから」とか「自分に乳房がついてるのはおかしいから」とか言えばよかったのだが、自分に乳房がついているということを忘れていたかもしれない。自分の中ではもうとっくに取ったつもりでいるため、「なんで」という問いに咄嗟に答えられなかった。「もうないはずのものだし、とっくにないものだし、あるはずのないものだから」というかんじ。あまりにも当たり前の問いすぎて、「ジェンダー外来に来てるんだから分かるでしょ」という感じだったか。当たり前すぎて「何故」なのかに咄嗟に答えられなかった。

l   きっと精神科医の思う男性像と僕の考える男性像に差があるんだなあ。僕は父のような男性になりたい。発達障害の、理系の男性。それを精神科医は理解できないのかもしれない。

l   森井先生に「お母さんはどんな人ですか」と聞かれたとき、「普通」と答えた。それはいわゆる、一般のおばさんとしては普通だと思ったから。父もよく「女はなんにも考えてない」とか言うし、おしゃべりで世間体ばかり気にして感情論ばかりでヒステリーばかり起こす人間を普通の女だと思っている。ああそうか、だから僕は感情的になることに嫌悪感があって、人に相談したりするのも女々しいと感じて苦手なのかな。母の反対が男だと思っているのかな。父がバカにする「女」になりたくないのかな。HTPPで書いた「普通の男女」は、いわゆる広告とかCMで出てくる男女。あれは今思えば「普通の」ではなく、「理想の」だったな。母は「私は普通よ!」と言っている。父も言ってるけど…。

l   男性ジェンダーにこだわって個性を殺したいわけじゃない。個性を生かすために、男である必要があると言う事なのだけど、誰も理解できないようだ。

l   精神的に未熟な男性は沢山居るのに、性転換するためには精神的に成熟していないと許可されないってなんかひどい話だなあ

l   僕は僕の事をトランスジェンダーだと認識していないような気がする。男性だと思っていて、トランスジェンダーだと思っていないふしがあるかもしれない。分かってるけど忘れている気がする。それって悪い事なのか?性転換すると決めた小学生の時に、すでに女である自分を捨てて忘れてしまっている気がする。それに周りが付いて来ていないと言う感じがする。女の子のりゃんシーちゃんはどこに置いたかもう覚えていない。なくしてしまった。発達障害と似ている。トランスジェンダーと言う特性から来る「異常行動」が多いのだろう。それは発達障害と同じように、治るものではない。だから引きこもるか、手術するか生きる道はないのだ。じゃあ発達障害は、体を子供にする手術をすれば治療可能と言う事だな(笑)

l   改名をするつもりはない。死んだ父の形見だし、男だから男らしい名前と言う考え方は違う気がする。別に男性に見られたい訳ではない。心と体の性が一致すれば良いだけなわけで。名前はそれとは無関係だ。だから「ジェンダー」にはあまり興味がないのだ。

l   当たり前すぎて書かなかったけど、なんで女に生まれてしまったんだろう、なんでペニスがないんだろうって悲しくて毎晩涙が出る。それだけじゃだめなのか?

l   男性に性転換すれば何もかも上手く行くとは思っていない。それはちゃんと分かっている。男性の辛さもある。でも、性別が噛み合わない心の辛さよりずっといいと思う。

l   女性が怖いから男性になりたいし、男性が怖いから男性になりたい、と言うのはあると思う。口下手だからせめて力強くなりたい。多分そのあたりが根源的なものだったかもしれない。

l   ジェンダー外来ですら日本語や言葉の能力優先の女尊男卑がある。口下手な男は治療を受けられない差別がある。

l   母が愛してくれないから父のようになりたいから男になりたい

l   僕は男らしくはない。それは僕の個性であり、男らしくない男がいてもいいじゃないか。男に変わりはないのだから。そんな事も医者には分からないのだろうか?女らしくはない。

l   女性が怖い。男性社会の方が受け入れてもらえるから男性でありたい。もしそれで能動的理由じゃないから駄目とか言われたら日本の社会がおかしい。生きづらさを改善するのが医療じゃないのか?能動的な動機なら逆に整形みたいに保険適用外でやれよ。

l   男性と同じように生きようとして男性と同じ量働いたら副腎疲労になった。全部女に生まれたせいで全部人生が失敗した。もう疲れた。男なら頑張れるのに女だから頑張れないのがつらい。女としてこのまま寝たきりで生きるよりドーピングして働きたい。

l   我ながら、よく自殺しないで生きてきたなと思う。でももう限界かもしれない。

l   精神科が「新しい性別で社会に受け入れられていないと手術できない」とか言うせいで社会で自分の性別をゴリ押しする迷惑なトランスジェンダーが増えているわけで、絶対にGID学会の考え方はおかしい。社会に受け入れされる為の手術ではないのか。精神科医は社会で何が起こっているのか何も知らないのか。

l   父さんとお酒を飲んで彼女とか嫁の話をしたかった。男同士の話をしたかった。でも、間に合わなかった。精神科医がいつまでも許可を出さないせいで…。僕が性転換したら父はきっと喜んだに違いない。父は僕を男として育てていたから。男とは何たるかは父が教えてくれたから。

l   男として生きてB型通って死ぬまで生きて・・・それより女子刑務所のほうが可能性としては高いかもしれない。グループホームより刑務所の方がちゃんとしたご飯が出そう。もしB型で虐待を受けたら喧嘩して刑務所入る予定。その場合さすがに男子刑務所だとカースト的に死ぬので女子刑務所がいいなあ。刑務所にはずーーーーーっと昔から入るような気がしている。

l   不安症を治すつもりがない。真面目で用意周到なのは良いことだと思うからだ。それを「女々しい」と言うなら、女のままでいい。

l   一番の望みは「男性になりたい」ではなく「女性にドキドキしたり緊張したりしないようになりたい」。女になりたい。おしゃれが好きで化粧に興味持って流行りが好きで男を好きになってセックスで幸せを感じて子供を愛せる普通の女だったら苦労しなかった。一つも当てはまらん。だったら男で良いじゃんもう。

l   ビジネスマッチングアプリとかを使ってマッチングするのだけど実際会いましょうという段階になると女性だからナメられると思って会えなくなる。「女性だから」と言う理由で仲間外れにされてきた記憶がずっとトラウマになっている。

l   なんで女に生まれなきゃいけなかったんだろうなんでこんなに性転換に苦労しなきゃいけないんだろうなんのために生まれてきたんだろうもう疲れた

l   京都にいた時に岡山大学病院に行けばよかった・・・・

l   トランスジェンダーと愛着障害は似ている。家族の愛とかそういうものを許されない人生ってことなんだ。

l   あんなに筋トレした筋肉が療養で全部なくなった・・・。

l   男が生きづらい時代だ。僕の考え方は時代錯誤だろう。でも仕方ないじゃないか、そういう性格なのだから。そして女ではないのに女として生きるほうがずっと生きづらい。

l   「周りのために性転換してあげる」という感覚は強い。もしこの世で僕だけが生きているのであれば性転換もしないしナプキンも付けないしズボンが血で濡れてもほったらかしにするし生理痛の時は寝てる。そもそも女がいないのなら発情もしないし男として生きる意味もない。

l   子供の頃は男女の差をもっと簡単に考えてて、高校生くらいで全然違うんだって思って、今はまた「やっぱりそんな違わないな」って思ってる。ホルモンの差とか、性器の違いなんかはほんの些細なことだと思う。ただ考え方はやっぱり違うと思う。昔は「性転換」って言葉をよく使ってたけど、まあ、男になれる訳じゃないし、かと言って男に偽るつもりも今はなくて、まあ、「女ではないが男にしては弱い、でも精神面は男」みたいな人間としていじめられつつ生きることになるんだろうなと思う。去勢された男に似ているのかもしれない。

まとめと展望

【幼稚園】

男子のみんなと立ちションができないことを疑問に思う。

【小学校】

一人称は「僕」、男子用の下着を使用。「性同一性障害」と言うものを知り学校で男子として生活し過酷ないじめを受け咽頭異常感症になる。母親に「最大の親不孝」と言われ、性同一性障害を18歳まで隠すことを決意。

【中学~高校】

制服にスラックスのある学校を選択。部活は柔道部。発達障害に理解があり状態は比較的安定。カミングアウトはしないが何となく受け入れられていた感じ。親元を離れ手術するため国公立大受験に全て費やす。

【大学】

発達障害と診断され、性転換が許可されなかったショックでセルフネグレクト、化学物質過敏症、月経困難症、PTSD、潰瘍性大腸炎になる。

【大学中退後】

異性(女性)との距離が近い事で気が休まらない。社会嫌い、自己否定感が強まり抑うつ、解離などを呈する。

【総括】

発達障害を持つ母親による異質な子育てや虐待、発達障害とトランスジェンダーを併発したことから、アイデンティティの形成が遅れました。その結果、漫画に依存し、辛うじて自我を保つ状況にありましたが、現実検討力が乏しく、不摂生が深刻でした。時代錯誤な父の命令で大学進学しましたが好きではない勉強へのストレスと発達障害による不摂生の体の負担がありました。発達障害診断後も相談できる相手や友人がいない状況が続き、社会生活全般にわたるトラウマと社会不安や解離が生じ、不整脈、倦怠、潰瘍性大腸炎、月経困難症、化学物質過敏症など、複数の症状を引き起こし、実家に連れ戻された事で悪化しました。しかし、療養を続ける中で自身のアイデンティティに向き合い、男性性を強く自覚するようになりました。

性別違和により、婦人科での月経困難症の治療を拒否していることが心身症の治療を遅らせています。また、化学物質過敏症や潰瘍性大腸炎により薬物に対する過敏反応が見られるため、投薬による不安緩和治療は困難です。現在、毛髪コルチゾール濃度は15.3pg/mgです。男性ホルモン補給によって低栄養状態が緩和されることが考えられます。

性別を近づける治療は、この患者の生活において極めて重要であり、性同一性やアイデンティティに関わる違和感は幼少期から青年期にかけて一貫して存在しています。日常生活では女性であることを忘れ、男性と同等の活動を行い、その結果、体調不良や解離が生じています。これらの問題は社会とのギャップや生きづらさ、自傷行為を引き起こし、潰瘍性大腸炎、月経困難症、化学物質過敏症などの身体的・精神的な苦痛が10年以上続いています。このため、女性として生活を続けることはもはや不可能であり、少なくとも乳腺摘出のみでも効果が期待できると考えられます。

障害者グループホームへの転居は、理解あるサポートや専門スタッフによる適切なケアが期待でき、同じ状況にある仲間たちとの交流が可能となるため、重要な一歩です。この新しい環境での生活は、母親や周囲からの無理解や虐待から解放され、性同一性障害に対する健康的なアプローチを促進します。また、自己受容感を深め、アイデンティティを模索する上で、心理的な安定と成長を促進することが期待されます。

【展望】

障害者グループホームに転居し、性別適合治療を受けながら精神療法を受け発達障害特性への理解と社会不安とトラウマの克服を目指す。

【治療に対して不安なこと】

l   性欲が強くなることで女性に迷惑をかけるかもしれないこと

l   男性社会でいじめやいびりが強くなる事、女性からの当たりがさらに強くなる事

l   暴力沙汰を起こさないか

l   体調が良くなって障害年金が切られるかもしれない事

l   入院したりするときに、病院に迷惑が掛かるかもしれないこと

l   トランスジェンダーを隠せなくなりトランスジェンダーに対するヘイトを受けざるを得ない場合があること

l   コロナが重症化しやすくなる事

l   女性ホルモンが減る事により発達障害が悪化する事

l   ホルモン治療の副作用

l   やっと自分の障害を受け入れたのに回復しても簡単にやる気が出ないかもしれない事

l   生活保護を受けながらホルモン治療をする金銭的余裕があるか

l   喧嘩をしないか、人を傷つけないか

l   「女性のふり」ができなくなるぶん余計孤独になる可能性

l   性別適合しても「障害者」である事に変わりはないのに見た目でトランスジェンダーと信じてもらえなくなって余計辛くなる可能性

 

【性別を変える理由】

●      人と目を合わせるため(嘘をついているという負い目のために目が合わせられない、女性との距離が近く目のやり場に困るため)

●      自分が男性だと周りに伝える為(これが一番大事)

●      相手に気を遣わせないため(GIDに詳しくない人にいちいち配慮してもらいたくない)→就労の幅を増やすためにも繋がる

●      いじめや差別から解放されたい

●      社会に参加したい

●      友達が欲しい(男性の発達障害の仲間の輪に入って受け入れられたい)

●      猫背を直したい(胸を取って胸を張って歩きたい)

●      血便で貧血がつらいため、生理をとめたい(婦人科に行くこと、ピルを飲むことに心理的に抵抗があるため)、PMSがつらいため男性ホルモンを投与して体調を安定させたい

●      女性に近づかれたくない(女性が同性だと思って近づいてきて話して気持ち悪がって嫌われることが悲しいため)

●      今後結婚や出産の予定がなく、生理痛もひどく、ナプキンの管理も不得意でズボンが汚れたりする恥ずかしさやストレスから解放されたい

●      女性として評価されること、「ブス」等と笑われバカにされるストレスから解放されたい

●      勘繰られる(ウソをついていると思われる、信じてもらえない、誤解される)ことから解放されたい(自然なコミュニケーションが難しくなっているため)

●      筋力や体力を付けて、働けるようになりたい

●      セルフネグレクトや自分への虐待をやめたい(自分を愛せるようになりたい)

●      ホルモン治療の前に乳腺摘出をしたい理由として、化学物質過敏症等のためにホルモン治療を中止する可能性があるから。(健康保険と予算の関係)

●      女同士の喧嘩に巻き込まれたくない(男の喧嘩なら買う覚悟があるが女の化かし合いみたいなマウントを取られたくないし興味もないし恐怖でしかない)

 こんな感じの事を書かされた。あと当時の写真も添付しろとか、写真なかったらどうすんねん(写真は需要なさそうなんで割愛します)
 まあ、国内で保険適用内で胸オペしようとするからこんなに大変なだけで金に糸目を付けなければもっと簡単に性別適合させてくれる病院はあります(10年前に知ってたらそこ行ってた)。ただ今の僕は国内の正規ルートをちゃんと整えるための前例になって日本の医療制度の発達に貢献して貧しいトランスジェンダーも救える国になって欲しいからわざと犠牲になってあげてるんです!(お金がないのと自己責任が怖いだけ)
 次は天下のはりまメンタルクリニックに行こうかな。最初にそこに行けよ(笑)針間医師は反社会性パーソナリティに詳しそうだから理解してくれることを期待。期待通りの治療、一度も受けれた事ないけどね。催眠療法も脳波測定もADHDの検査も受けたいな~。アイヌ料理の店が近くにあるので寄れたら寄ってみます。

 実際、子供の頃にアイヌの血を引いてると知ってたら生き方変わってたのかなあ。だって「ジェンダー」は「日本人のジェンダー」だから、もしかしたらアイヌのジェンダーで考えたら僕はトランスジェンダーじゃなかったのかも? なんて余計な悩みまで出てきて余計人生が複雑になった。遺伝子検査なんかしなきゃよかった(笑)弥生人の女の子と比べるから悩んでいただけで……弥生人の男性が嫌いだから恋愛対象が女性になっただけで…う~ん??? 僕のアイヌに関する知識、『ユキの太陽 』くらいしかない。読んだ時「僕もアイヌの血引いてたらいいのに」と中二病っぽく思ったりしたけど実際引いてると分かると「うわ~めんどくせぇ~!」と思っちゃった。でも検査すればかなりの数見つかるとは思う。そもそもハプログループ検査で見つからないアイヌの末裔もいっぱいいるしそんな事言いだしたらキリないけど…。まあいずれにしても今「アイヌ集落」とかはないんだからその中で生きる事は出来ないし、「日本人」のモノサシで見たらトランスジェンダーだし発達障害なのは間違いないんだけどね。
 東京生まれだからアイヌ界隈全く知らないんだけどなんだかアイヌ差別と発達障害差別は似たものを感じる(頭悪いから死ねみたいな…今は逆にアイヌアピールウゼェみたいな差別があるっぽい。それも発達障害を開き直るなみたいに言う人いるでしょ)。でもアイヌは少なすぎて発達障害ほど保護が手厚くなかったのかもしれないな。発達障害はせめて国が急ピッチで制度を整えてくれてるだけ救われてると思う。まあ、親の働きかけがでかいんだろうな。あとアイヌは証明手段がなかった……? 顔立ちがなまじ似てるせいで……? 逆に顔でバレてしまうから諍いも生みやすいのか。発達障害も(トランスジェンダーも)埋没派と年金請求派で争ったり、ADHDとアスペルガーで争ったりするし。アイヌとしての立場をどうしたいかは人それぞれだし、埋没して生きられる人とそうでない人がいるもんね。僕みたいに不意に発達障害って知る人もいるけどまあ軽い発達障害って診断されようと思う人だけが診断されるしなあ。
 前回「発達障害は戦争で減ったから目立ち始めるようになった」って言ったけどやっぱり戦争で健常者が減って発達障害増えたのかな。となると日本、後退してる(笑)僕らには過ごしやすいけど…

 あと先日、相談支援で訪問看護を勧められました。うーん、確かにデイケアに行くのめちゃくちゃ大変で食事も合わなくてだいたい体調崩すんだけど、でも心の準備も何もできてないのに強制的に副腎疲労に詳しくない人が来てキチガイ扱いされたり誤診されたりするイベントが毎週発生するのも絶対ストレスなんだよな……。

 それでは、やっぱり血便が治らないとまよこ りゃんシーでした。

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