お金の最大化は時間を犠牲にする?
本のアウトプット記事⑮
人生とお金との関係性を本質的に問うこちらの感想文です。
不安が最大化された社会で生きるわたしたちは何をすべきか?
物質的には十分豊かだけど、その代わり心が貧しくなった。
この心の貧しさが、お金の管理にも大きく影響しているようです。
わたしも少し前までは、老後を豊かに過ごすための資産を増やすことを意識して、とある資産形成サービスを利用する予定でしたが、例えそのサービスを使ってお金を最大化させたとしても、老後になったときには多くを手元に残して、使うとすれば医療費くらい。
長く苦しい闘病生活か、死ぬとわかった上で受ける終末医療。
老後に使うことを目的にお金を増やす努力を続けた結果が、多くの経験できる(かもしれない)時間を犠牲にして残されたわずかな余生ではないか?
無事元気なままでいられても、犠牲にした時間は
一切取り戻せない。
読み進めていくうちに、わたしも自動的にお金を神として崇拝。
"時間"というかけがえのないものを大切にできなかったんだと気づきました。
わたしは現在40歳。
最も稼ぐ能力を持ち、人生(経験)を最大化させる適齢期だそう。
つまり、この限られた時期に適切にお金を使わなければ、そのお金から価値を引き出すことが難しくなるというもの。
お金は十分ある。
しかし、"いま存在しない"未来のために(我慢して)生きると使う目的も価値も失う…このような老後を送ると思うと、ただのモノであるお金に服従する奴隷として終わってしまうのではないか?
ここに危機意識を感じる現在、使うべきお金(固定費)・残すべきお金(貯金)・使っていいお金(経験費用)のバランスを見直し始めています。
と言っても数年先までのおおまかな計算ですが、
守るべきものは守りつつ、なるべく価値時間を増やして、死ぬまで永久的に保存可能な記憶も増やすこと。
この”時間”をベースに、お金との付き合い方の再構築を始めています。
お金のために時間を貢ぐ生き方から卒業できるか?
わたしは会社員として働き、しばらくはその生活を続けます。
ひとり暮らしを支える生活基盤の安定は、生物として生きる上で不可欠ですが、ここにばかりエネルギーを注ぐのはわたし自身をじわじわ苦しめることになる(気がする)。
まだ具体的な最適解は出ませんが、わからないをわからないままにするつもりはない。
このモヤる気持ちを少しずつ解き明かし、価値を置く”何か”を増やしていきたい。
そう意識させてくれた一冊です。