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日々のありがたみと幸せとは
今日はちょっと哲学的な記事を書いてみようと思う。
めぐりあい
20年と少し、生きてきたら、人生の中で気づかずに疎遠になっていく人や、あからさまに去っていく人もいるけれど、
その分、まだ出会ったことのない新しい人が入ってくるサインだとも思う。
もっと一緒にいたかったと思える人が消え去ったり、なんでこの人が周りにいるんだろうという人がいたりする。このように思うのも仕方のない事だと思う。自分中心の見方ではそう思えるのかもしれないが、相手の人生から見て自分は「ただの1シーンの脇役の他の何にでもない」訳である。
では、今、周りにいる人々はどんな人たちなんだろう。
結局、なんだかんだで繋がっている人達は奇跡なんだと思う。
今いる人たちは何らかの意味があって人生の一部にいるのであって、そうじゃない人は自分が引き留めても、喧嘩しても、何をどうやっても去っていく。
だから私は、周りにいてくれる人に感謝している。これから何が起きようが、いい人だろうと悪い人だろうと、そんなに深い付き合いはないのになぜかいつも周りにいる人だって、その人たちから私に必要な何かしらのレッスンと教訓が得られると信じているからだ。(もちろん他の人から見て私もそうであるかもしれない。お互い様というやつである)
自由に生きる
人生は自分でコントロールできることばかりではない。コントロールできない中で、コントロールしようとしている節もあると感じている。
だからもっと自由に生きていいんじゃないと思う。
周りの忠告を無視しろと言っているのではない。自分の生きたいあり方を必死に探して、全力でつきすすむことだと思う。
SNSなどで、他の人の生活や出来事をより一層知れるようになった便利な世の中で、多くの人が、人の意見や感想に振り回されすぎているんじゃないか、と思う。あくまで私の感想である。
人生の方向性の立て方
以前、知り合いの人に「自分が死ぬと考えた時に後悔することはどんなことか考えて、逆算しながら人生を設計するといいよ」とアドバイスをもらった。しかし、遠いが故になんとなく想像がつかなかった。
私は、どうすればいいか考えた。どこかで誰かが、未来の自分が今に戻ったと仮定して、今自分はどうしたいか考えたらいいよ、と言っていた。
だから、わかりやすく5歳ずつ区切って考えることにした。例えば、25歳の自分が今に戻れたとして、今何をやればいいか考える。とか。それを30歳、35歳、40歳、45歳...と広げてみる。ちょっと現実味が増してきた。
30歳になるまでにアフリカに行きたい!とか
35歳になるまでに管理職を目指す!とか
じゃあ逆算したら今は何をすれば良いかな、と思いを馳せてみる。
少し、考える時間をとってもいいかもしれない。
毎日同じことの繰り返しで、単調に過ぎ去っていく人生よりかは、新しいこと、未知な事に頭を悩ませながらも、喜怒哀楽に満ち溢れる人生を私は送りたい。