快適領域を超えて out of comfort zone〜
最近、受けていた
Modern Meditation and Mindfulness
のティーチャートレーニングの資料を読み返していた。
ー自己啓発、自己を成長させる
ーそして講師として生徒の能力を伸ばす
という課程がなかなか辛く実行できそうにないと感じたことを思い出しながら読んでいた。
そもそも瞑想の講師になりたいから受けたというよりは、瞑想を多角的に学ぶ講座が見つからず、講師養成講座なら「講師になるために必要なこと」以外の課程が全て私の学びたいことだったので受けた、という感じだった。
結局、全ての課程が私という人間の成長に寄与してくれて、それはまさに
out of comfort zone
快適で安全な領域から出たからなんだと思う。
この場合、
ただ瞑想関連の書籍を家でソファに座って読む
ことが自分の1番安心する、なんの緊張も感じない方法だっただろう。
でも、新しいことを学んでみたい、専門知識を持つ人から学びたいという気持ちが強く、講座を探し、申し込み、受講しに行くという方法を選んだ。
ただこの範囲もまだ快適な領域ではある。
実際に講座を受け始めて、座学部分は非常に面白く目を輝かせて聴いていた自覚はあるが、
ー自己成長
ー他の受講者を前にして瞑想方法を示す練習
をする部分は、冷や汗が出てばかりであった。
受講しているという段階で、すでに自己啓発しているという部分があるものの、ぬくぬくとしたところで受け身で学んでいてはそれは成長には一歩足りない。
学んだことを実行して、伝える、という過程を経てこその成長。
この講座の場合、、、
他の受講者を前にして、広い教室の1番前に座り、
皆の注目を集め、
これからする瞑想方法の意味と意義、どんな人に向いているか、を説明し
そして、全くの初心者を前にしているという前提で座り方から呼吸の仕方まで説明して、
その説明が瞑想自体の邪魔にならないように皆を誘導する、
という試験があった。
正直
「ああ本当は講師になりたいわけじゃないんだけど」
「家で読書が幸せ」
と思いつつ、真面目な性質が勝ち、結局家でも瞑想指導の練習練習練習。
不安と闘い、噛んだらどうしよう、文をすっ飛ばしてしまったらどうしようと冷や汗脇汗ばかり。
ただ、その不安領域を出た先に自己の成長がある、ということを、指導課程の前の、自己成長と自己啓発の課程で学んでいたので腹を括った。
快適領域を出た。
仮に失敗しても、一回は行なった、皆を前にしてやり遂げた、という記憶は必ず自分の自信と糧になると思えた。
結果、半年近く一緒に学んだ他の受講生を前に、皆が私を聴いてくれて、まるで初めて瞑想を行うかの如くまっさらの状態で私の誘導に委ねてくれているという感覚があった。
それはとても心地よい緊張感だった。
みんな一緒の空間にいるという一体感と共に不思議な活力と自信を、私の方がもらった。
試験結果は1番だった。
順位が重要ではないことはわかっていても、講師も、私の瞑想誘導の上達と私がコンフォートゾーンを抜けたことをしっかりみてくれたんだということだと理解した。
(見出し画像 noteからお借りしました。 あの向こうには何があるのかな?ドキドキするけど踏み出せばきっと糧になる)