【メモ/エッセイ】「現代葬儀について」「友達論・仕事論」
「現代葬儀について」
今、葬儀の形が多様化してるから、「こんなつもりで○○葬と言ったのに、業者やお寺は別のやり方をイメージしてた」みたいな例がある。
今では葬儀と同義語のような「告別式」も、もとは中江兆民の遺言による、弔辞や演説をして宗教儀式は一切やらない形の式典だが、現在はごっちゃになってたりする。
最近は、かつて告別式と呼称した形は「お別れ会」と言われるが、地域や業者によりけりで、全国的・世代的に浸透しているわけじゃない。
直葬や炉前葬も、お坊さんを呼ぶものなのか、本当に火葬だけなのか、言葉の定義がいまだあやふやな感があり、現場(あくまで私の周辺)には戸惑いやトラブルがある。
こういう葬儀のパターンを、樹形図でもベン図でも、チャート化とかして、整理されてる方や例がないのかな。或いはまだ一般的じゃないにしても、「うちはこんなケースはこんな呼び方でこんな流れです」のサンプル集みたいな。
何も新興的な葬儀の形を、全部手放しにいいと思ってるわけじゃないけど、その悼む気持ちは紛れもなく本物だし、旧態依然じゃなく、新たな試みがなされるのはその業界(あえてそう言う)が時代の悩みに沿おうとしている証左でもある。
何よりこの複雑化した業界の交通整理は必要だし、整理することで現代人の弔いに関するニーズや死生観・宗教観も見えてくるんじゃないかな。
というわけで、何か先行く知恵をお持ちのお寺様、葬儀会社様、有識者様、関係者様、何卒リプ等でご指導ご鞭撻をばくだされば幸いです☺️
なお、多くの方にお目触れくださるよう拡散や、コメントをしてくださればうれしいです😌
「友達論・仕事論」
久しぶりに友に会う。
「今何が一番楽しい?」と聞くと「仕事」って。その後別の友に梯子してその話。
「あいつかっけーな!けどさ俺も仕事楽しいよ」って。
…いやあんたもかっこいいよ。
2人とも凄く頑張ってんの知ってる。辛いこともあったの見てたよ。
別れ際、見送られ、閉まりかけのエレベーターで私の口から滑り出た言葉は「じゃあね」でもなく「またな」でもなく、「あのさ俺も仕事楽しいよ」ってセリフ。
みんな苦労してる。泣きたい思いも抱えてる。
私も自分で言っちゃダサいけど、ちょっと頑張ってる。ずっと踏ん張ってる。
0時30分、夜を游(およ)ぐフェリー、大隅への帰船。同じ船に乗り合わせた間柄。
船員さんもドライバーさんも、今日一日も今一瞬も、皆胸張って仕事しておいでだったんだ。
私も私のお勤めの事、惜別も哀哭も色々あるけど、同じくして「楽しい」って本心そう思うし、「大事」って思ってる。
いざこの暗海を渡ろう。
木の芽張る桜島はもうすぐだ。
紡ぐ指先、春を期す。
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