小原先生 その2~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
小学校3~4年生の時の担任小原先生の思い出その2です。
ひたすら作文や感想文を書く、ひたすら白地図を使って調査·研究をする授業にハマって公私共に大学での学究生活に近いとても楽しい時間を過ごせていました。
以下、参考になさって下さい。
先生とは、児童のペースに任せるスタイルで、今で言う交換日記みたいなノートが用意されていました。書くことを強制されることは有りませんでした。そこが素敵。先生と私のみでのやり取りで、友達や親がこのノートを見ることはない仕組みが用意されていました。セキュリティがしっかりしていて、プライバシー保護が担保されていました。
この仕組みは秀逸で、児童が上手く使えば(この任意性がLovely!)、児童一人一人に寄り添ってもらえるものでした。このノートのやり取りで、人間として生きていく上でのきめ細かな修正をさせて頂いたと思っています。大学の研究室での教授との一対一の研究に関する議論のように、素材こそ小学生の身近な事柄では有りましたが、それなりに深い議論ができていました。特に会話ではなくノートなので読み返せるところが子供だった私にはとても有効でした。
(その意味では、我が子が紹介してくれたこのnoteというプラットフォームも私にはとても有効です。)
具体例を一つ。
意識的に違う視点でものを見ることを教えて頂いた話。
小学生ですから遠足は大好きでした。その頃から運と勘としつこさで生きていたのですが、幼稚園からずっと遠足も運良く雨に降られることは有りませんでした。しかし、4年生の秋の遠足で初めて雨に降られてしまいました。
「とても残念で、天気予報で午後から雨と分かっていたのだから、なんで中止にしなかったのか疑問だ。」
と素直に遠足の感想をノートに書いてみたのでした。その返事が私には目から鱗。
「あれ位の雨ならば、雨の遠足も楽しいものですよ。」
ショック。
“あれ位の雨”ならばという前提が付いていたことが、理系頭だった私には感動的でした。精緻なものの捉え方が…。流石大人。そして“雨の遠足も楽しい”という画期的視点。“遠足は晴れているべき”という固定観念を優しく壊して下さいました。物事を意識して多角的視点で見ることに覚醒した瞬間でした。
やっぱり、私は運が良い。
それでも返事を貰った直後はモヤモヤ感が残っていたのは事実です。だって小学生ですから。でも日が経つにつれてじわじわと腑に落ちていったのでした。
蛇足
運が良いからこそ雨の遠足で、物事を“意識して”多角的視点で見ることに覚醒できました。
そもそも物事を多角的に見ることを初めて評価されたのは、小学校1年生でした。上から見た片足相撲の絵を担任の佐藤先生が大いに評価して、神宮外苑の絵画館の展覧会に出して頂きました。
超蛇足
しかし、その
「物事を“意識して”多角的視点で見ること」
の運用には、少し工夫が必要と思い知らされる未来が待っていたのでした。