シェア
こんばんはみなさま。 ヨロブンアニョハセヨ! 2024.4.1 新年度がスタート致しました。 お元気にされてますでしょうか? かなり春らしくなったかしら いやでもまだ肌寒い、そんな石川県でございました。 4/1 という日はわたしにとってちょっとした記念日なのです。 ご存知の方も、そうでない方も、こちらをお読みいただけるとその理由がわかります。 こちら 人生2度目となった全身麻酔で行ったわたしの手術。 外に出た大腸をちょんぎって、中の直腸と繋げる手術だったわけですが
みなさま大変ご無沙汰しております。 2024年も2ヶ月が過ぎ去ろうとしております。 年始から いろんなことがありましたね。 心が痛い、そして今も継続して大変な思いをされている方々が能登、そして石川県内をはじめ北陸には沢山おられます。 約2ヶ月間自分の生活と並行して能登ことが頭にありました。 もちろん今も、これからも。 何ができるか頭を使うより、常に今を生き、 できることをする! もうここに尽きるなと改めて感じてます。 さて タイトルの 4年後のわたし についてです
2023.2.20 あの日から3年が経ちました。 もう死んでしまうのではないか?と 体が悲鳴を上げたあの日から3年です。 わたし、めちゃくちゃ元気です。 良く食べ、良く飲み、良く遊び、良く笑っております、ありがたいことに。 むしろちょっと不摂生が過ぎたなと反省する2023年序盤でございますが...笑 あの年、 あなたは癌です。 ステージ3c、限りなく4に近いです。 そう言われたわたしはどうやら幻だったのかもしれないとさえ思えてしまう。 何にもしっくりこなくなっちゃ
大変ご無沙汰しまくっておりました、noteでの病気のお話。 皆様ごきげんいかがでしょうか? 8月も終わりに差し掛かり、闘病記を書き上げるという自分に課した宿題は全く捗らない...というわたしらしい夏の終盤。 夏休みの宿題だってそうだったもの。 やっぱり終わりが近づかないとお尻に火がつかないんですな。 変わってなさすぎる...笑 あの日からの続き。 一般病棟に移動してからのわたし。 眠れると思ったのに眠れない、 見えなくなると思った幻覚はまだおさまらない。 期待した
闘病期シリーズを散々放置してますが、 今日はちょっと書きたい事を書いておく。 一昨年2021年の今日は、朝から手術台にいたわたし。今年は元気いっぱい、朝から神社の参拝に行けるわたし。とにかく、この一年はあっという間だった。 あの日、 エイプリルフールに手術だなんて、 なんておもろいんだろうか。 嘘みたいに元気になってカムバックするんだから〜 なんて冗談まじりで言っていたわたし。 365日後本当にそうなっている。 すごいな。 本当にすごい。本当に嘘みたいにに元気にな
なかなか進まぬ記録。 波に乗る時と乗れない時の差が激しめ笑 それもまた私らしくておもしろい。 続き。 ICUから一般病棟へ。 あの日、やっとICUから抜け出せる、そう決まったあの日、 上に上がれば全てがうまくいくはず、 この醜い幻覚も幻聴も、 眠れない夜も、 全部全部変わるはず、どこかでずっと思ってた。 なんだがそこだけポジティブな自分だったなぁとも思ったり、 でも今にして思えば、最後の頼みの綱みたいな。 藁にも縋る思い、 という感じかな。 とにかくICUにいる間は
前回の続き。 なかなかコンスタントに更新できないわたし。 まぁそれもよし。 次の記事からは一般病棟編を! と思っていたけれど、 ICUでの印象的な出来事をもうちょっと記しておこうと③を書いてる次第。 とにかく、 ①.②にも記したように、完全にわけわかめ状態&自分行方不明事件な状態だったからか頭がついていかないことだらけだったわけで。 自分の事も、周りの事も、把握してるようでどこかうわのそら。 それでも病院の一日が始まって終わる。 その繰り返しだった。 印象的だったこと。
ここでは時系列は気にせずに、 私の記憶の中のICU話をしたいなと思う。 爆音フェスと天井と壁からやってくる謎の浮き上がり模様、それから相変わらずの機械音。 そんな環境化で、一人の看護師さんが私のネイルに気がついてくれた。 あら綺麗〜 そうだよなぁ。 本当はオペ前にオフだよなぁ。と。 とにかくいろんな事をすっとばしての手術になったものだから、 私の手にはまだジェルがついていた。 剥がせる? 看護師さんに言われ。 そうか。剥がさなきゃ。 まだ綺麗なのになぁ。なんて、頭は
手術は2/20 夜だったと母から聞いた。 緊急だから仕方ない。 遅くに手術をしてくださった関係者の皆様には感謝しかない。 ずっと曖昧だったわたしの記憶が はっきりリスタートしたのが、術後オペ室で起こされた瞬間だった。 ○○○さん! 起きて! めちゃくちゃ肩をバシバシ叩かれて目が覚めた。 痛いなぁ。 そない叩かんでも。 そんなところから わたしのはっきりとした記憶がスタートし始めた。 運ばれたのはICU。集中治療室。 テレビでしか見たことがない部屋。 無機質で窓もな
続き。 2/20 病院で一夜を明かし、 朝になっていた。 眠れたのか、眠れなかったのか、 本当に覚えてない。 とにかくわたしはこの辺りの記憶がない。 時系列もわからない。 気がついた時、婦人科から消化器外科へと担当が変わってた。 見た目は単純に医師には見えなかった。関西弁。 しかも同い年。誰やねん状態だったわたし。今思えば大変失礼な話笑 とにかくあっけらかんと残酷な現実を言うてくる。 先生 何か変なもん食べました? 私 え〜昨日も聞かれたんですけどお腹痛かったか
2020.2.19 あの日の続き。 帰宅してからも、もちろん痛みが無くなるわけでなく、 ただただうなだれて、寝てるしかできないわたし。 いや、寝ている事すらしんどくなってきた。 もちろん食べられないし、時折気持ちわるくなっては吐く。 横になるものの、眠りにつくなんてできない。 早く寝た方がいい。 そんなのわかっちゃいるけどね、 全然眠れるわけないやん、と言う感じ。 右往左往しながら、 早めに家族にはおやすみと伝えた。 時間は、何時になってかな。 だんだん冷や
今日は新月。 2021年、最後の月、12月の新月。 ずっとずっと頭の中にあった あの日からを振り返るnote、書きたくなったので急に見切り発車で始めてみる。 これは私が体験したあまりにも急で、あまりにも予想していなかった出来事。 2020.2.19 コロナという未知のウイルスが騒ぎになり始めたころ、 どうもおかしいお腹の痛み、今までに味わった事のない だるさ、吐き気、言うことを聞かない身体に向き合うべく、町医者に行くも、血液検査、点滴のみで帰されたわたし。 何か悪い