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バスオーボエって何?~ホルスト「惑星」だけではない特殊楽器4

ここで「惑星」で使われている、テナーチューバ、バスフルートといった特殊楽器の採用について考えたい。 テナーチューバは、作曲者自身がトロンボーン奏者であり、かつ吹奏楽曲である、「第一組曲」「第二組曲」を作曲するなど吹奏楽に詳しかったことが挙げられよう。実際、オーケストラ作品においても、「ある馬鹿な男」においても使用されている。 一方、バスフルートについては、前回の投稿に掲げたように、その数年前に使われた「ダフニスとクロエ」や「春の祭典」の影響が思いつく。ただ、2曲のようなソロ楽

    • バスオーボエって何?~ホルスト「惑星」だけではない特殊楽器3

      ホルストをはじめとする作曲家が、なぜバスオーボエを「惑星」に採用したかを推測する前に、時系列的に楽器の登場(発明)と、関連曲の初演を明らかにしてみた。 本年表を解説する。 『木管楽器の歴史』によると、トリベールがバスオーボエを改良し、世に出した。発明ではないのは、それまでも類似楽器はあったためである。形状は、バスーンの曲部に続く菅を半分にして、イングリッシュホルンのような膨らんだベルを付けたもの。ずいぶん奇妙な形だ。 その後、現在も製造しているロレーが、現在に通じる直管のバ

      • バスオーボエって何?~ホルスト「惑星」だけではない特殊楽器2

        バスオーボエは、バリトンオーボエとも呼ばれる。ちなみに、同音域の楽器(オーボエの1オクターブ下)ではあるが、リヒャルト=シュトラウスの発案で誕生したヘッケルフォーンは別物である。アンソニー=ベインズの名著『木管楽器のその歴史』によれば、口径(太さ)が異なるため音色がより太く力強いという。(私自身、実奏してそう感じた) さて、ヘッケルフォーンとの関連は別の機会に紹介するとして、今回は、ホルスト「惑星」以外の使用例を示したい。 低音楽器のサイト http://www.contr

        • バスオーボエって何?~ホルスト「惑星」だけではない特殊楽器1

          ホルストの組曲「惑星」。音楽ファン、とりわけ管楽器に親しむ者にとっておなじみの曲であり、演奏経験を有する者も多いと思う。 さて、同曲は大規模な編成で、数々の特殊楽器を含む。テノールチューバ、バスフルートもある中で、最も異色を放つのは「バスオーボエ」ではないだろうか。 本稿では、そんなバスオーボエ楽器の紹介、そしてこれまで言及されなかった同曲におけるバスオーボエを指定した背景を考察したい。   2003年ポップス歌手・平原綾香による「木星(=ジュピター)」のカバーもあり、一般的

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(5・最終回)

          4回まで記したように、西岸良平氏はプライベートは極力公表しない。 それでも、メディアで公表された情報はある。ここに集め、年代ととも紹介したい。 1947年世田谷区出身で、その後一家は練馬区に転居している。1963年立教大学附属新座高校に入学し、1966年立教大学経済学部に入学。大学入学後、マンガ研究会を創設し、同研究会の活動を通じ、専門学校の学生だった木村泰子氏と出会う。在学中は共作もしている。 1970年大学卒業後、プロ漫画家として活躍しはじめる。このどこかの時点で木村氏と

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(5・最終回)

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          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(富士見台駅界隈を紹介)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(富士見台駅界隈を紹介)

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          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(4)

          西岸氏の年表(作品発表時期など)を参照にしつつ、考察を進めたい。 「三丁目の夕日」は1974年から発表されている。もう一つの代表作「鎌倉ものがたり」は1984年からである。 その間に、練馬区への言及がなされた作品があった。魔界から来た蘭子が主人公である「ポーラーレディ(1984年)」では、職場として東京営業所が登場し、その所在地は東京都練馬区である。 また、1981年から数年間に渡り、「青春奇談」という作品が発表された。本作で特筆すべきは、「町内レベル」の具体的地名が記されて

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(4)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(3)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。 本稿を書く前に、(当然であるが)インターネット検索で、西岸氏と練馬区の関係を調べてきた。何もヒットしないのであるが、筆者がそれでも練馬区に目星をつけたのには訳がある。 「三丁目の夕日」は、一部であるが、具体的な場所、特定の路線(氏は電車好きと聞く)をテーマにしたものがある。こうしたものは地名が明記される。しかし、それ以外、「三丁目の夕日」には極力具体的な地名が書かれていない。地方に行く話では「S県」というようなイニシャルや「遠い郡(茶川氏

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(3)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(2)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。  一般的なのは、作者が解説することだろう。しかし、本作の西岸良平氏はほとんどマスコミに出ず、映画などが完成しても手記を寄せる程度である。唯一、2010年春、紫綬褒章受章の際、自宅で取材されたのだろうか画像がネットにあらわれている。そのときの詳細は不明だが、本作の舞台の言及はあったのだろうか。  その次に我々読者ができるのは、作品から舞台を読み解くことである。このカットはここだというように、「聖地」を探すことにもつながる。ところが、本作は、

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(2)

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。  作者名西岸良平(さいがん りょうへい)は知らなくても、特徴的な絵は必ず知っているはずだ。1974年から雑誌に連載されていることもあり、多くの日本人に親しまれている作品である。  3度にわたり映画化され、東京タワーと夕日の組み合わせも記憶に新しい。そのとき、映画の舞台が港区であると、少なからずの指摘があった。車の整備工場が進駐軍とのかかわりを指摘する向きもあり、もちろん東京タワーのお膝元だからきっとそうだろう。  では、長く連載されている

          「三丁目の夕日」の舞台はどこにある

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          さよならキハ85「ひだ」~惜別の日

          さよならキハ85「ひだ」~惜別の日

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          さよならキハ85「ひだ」~さよなら「北アルプス」

          さよならキハ85「ひだ」~さよなら「北アルプス」

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          さよならキハ85「ひだ」~キハ80との交代の頃

          さよならキハ85「ひだ」~キハ80との交代の頃

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          さよならキハ85「ひだ」~飛水峡

          さよならキハ85「ひだ」~飛水峡

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          さよならキハ85「ひだ」~美濃太田駅90周年

          さよならキハ85「ひだ」~美濃太田駅90周年

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          さよならキハ85「ひだ」~飛越線界隈

          さよならキハ85「ひだ」~飛越線界隈

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