「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。(3)
「三丁目の夕日」の舞台はどこにある。
本稿を書く前に、(当然であるが)インターネット検索で、西岸氏と練馬区の関係を調べてきた。何もヒットしないのであるが、筆者がそれでも練馬区に目星をつけたのには訳がある。
「三丁目の夕日」は、一部であるが、具体的な場所、特定の路線(氏は電車好きと聞く)をテーマにしたものがある。こうしたものは地名が明記される。しかし、それ以外、「三丁目の夕日」には極力具体的な地名が書かれていない。地方に行く話では「S県」というようなイニシャルや「遠い郡(茶川氏の故郷)」のような伏せ字、登場人物が手紙をもらうシーンもいくらかあるが、そこには一切実在の地名はない(夕日町三丁目など記載されることはある)。
ここでアプローチを変えてみたい。
西岸氏の作品のうち、具体的な地名が記載される作品がある。まず思いつくのは、もう一つの代表作「鎌倉ものがたり」である。主人公の妻、亜紀子は練馬区大泉学園出身とされている。実家が登場する回がある。
では、大泉学園が三丁目の夕日の舞台だろうか。過去の同地にしては、「家が建て込んでいる」ところが気になる。別の場所ではないだろか。
そこで、筆者が重要資料と考えるのは、「ポーラ・レディ」と「青春奇談」なのである。