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雑感記録(322)
【夜の戯言集5】
暑い日が続く。それと同時に雨もやって来る。梅雨が明けたと思ったら、今度はゲリラ豪雨や台風に悩まされる季節が始まる。今日の夜はそんな感じである。
午前中。僕は相も変わらず散歩に出掛ける。サンリオピューロランドの戦利品であるハンギョドンのポーチを首からぶら下げ、片手に男梅のロング缶。怪しさ全開で街を闊歩する。ハンギョドンと酒。組み合わせはどう考えてもメンヘラのそれである。だが、ポーチがたまたまハンギョドンだっただけの話である。
あまりの暑さに耐えられず、僕は帰りに電車に乗った。たった1駅、されど1駅である。毎度毎度の僕のお気に入りの雑司ヶ谷を散策し、早稲田に帰って電車に乗る。神楽坂で降り、僕は駅横のタバコ屋へ向かう。喫煙所には大きく「店内で購入した人しか吸えません」の文字。僕はタバコを買うことにした。
ふと、小2の時に亡くなった祖父が頭を過る。
「すみません。中南海を1つ。」
中南海は生前の祖父のお気に入りのタバコであった。これは父から聞いた話だが、祖父は中南海は薬草が使用されているから他と比較して健康に良いと思っていたらしい。それで中南海を吸っていたらしい。僕は以前、父に中南海はどんなタバコか聞いたことがある。父曰く「美味くはねえよな」とのことだった。僕はいつもキャスターを吸っているので、バニラの味がほのかにする。「薬草の味ってどんなだろう」と少しの期待を込める。
僕はパッケージを開け、1本取り出し口へ運ぶ。
実際、その時は酔いも回っていたから味に集中するよりも、煙が体に入ることに重きが置かれ味わえなかったように思う。ただそれ以上に、亡くなった祖父の吸っていたタバコを吸えるようになった時の流れに少し悲しくなった。もう祖父が亡くなってから21年が経つ。21年!その間には様々な出来事があった。もしも、今も祖父が生きていたらと思うと寂寞とした思いが僕を襲う。
祖父は酒豪でもあった。僕の今でも鮮明に焼き付いている記憶の中の祖父は、大吾郎の4リットルのボトルをいつも脇に抱えていた。会う時はいつも酒臭い。テーブルにはポットがあって、「お湯」と祖父が一言言えば、祖母が「はいはい」と手慣れた感じで、そのポットにお湯を入れに来る。大きな4リットルの大吾郎を抱え、耐熱グラスに大吾郎を入れ、ポットからお湯を出しお湯割りで飲む。その光景は21年経った今でもすぐに思い出せる。
祖父は酔っても顔には全くでない人だった。酔っているのか酔っていないのかよく分からない。僕は生憎、その血を濃く受け継げず、急性膵炎で入院することになる訳で…。その分、兄がその血を濃く引継ぎ、兄が酒を飲む姿を見ると背後には本当に祖父が居るんじゃないかと思う時さえある。変な話だが、兄の姿を見ていると祖父の面影を弟ながらに感じることがある。不思議なものである。
もしも祖父が生きていたら。
そう考えることがある。それは成長する度に考えてしまう。人生の節目節目でそれを考える。特に祖父の記憶と密接に紐づく何かが始まる瞬間。例えばお酒が飲めるようになった20歳。タバコを吸い始めた22歳の春。車を乗り回すようになった23歳頃。タラの芽やコゴミの採れる春。タケノコの採れる季節。栗の採れる季節。リンゴの採れる季節。その時々で僕はいつも祖父を思い出す。
もしも、今一緒に酒を酌み交わしていたら祖父は僕に何て言うのだろう。もしも、一緒に祖父の自宅前の川でタバコを蒸かしていたら何を話していただろう。もしも、タラの芽の天ぷらやコゴミの和え物を一緒に食べていたらどういう話をするのだろう。もしも…もしも…もしも…。
僕は中南海を何本か連続で吸いながらそれを考えていた。だが、どこまで言っても「もしも」の世界でしかなく、祖父は戻らない。こういう時、僕は本当にもどかしくて堪らなくなる。話したい相手が居るのに居ないというのは中々に辛いものがある。だから僕は墓参りは欠かさず行くようにしている。実家に帰って予定が合うならば行くようにしている。
恥ずかしい話、僕は祖父の墓の前でいつも座って近況報告を必ずするようにしている。墓にはそうそう人も居ないから、僕が一方的に話していても怪しまれることはまずない。結局「死人に口なし」だから何か返答がある訳でも何でもないけど、僕はその21年の空白を埋める為に必死なのかもしれない。だが、これは僕の自己満足でしかない訳だ。僕の言葉は届かない。
僕は喫煙所を後にして自宅へと帰る。
僕は普段、自室に居る時は電子タバコを吸う。
タバコを吸う人は分かるだろうが、紙タバコを部屋で吸うと壁紙が黄色く変色してしまう。加えてタバコ臭が部屋を充満させてしまう。電子タバコでも独特な匂いが発生する訳だが、紙タバコに比べれば大したものではない。先程、大雨の中自宅に戻り、ふとテーブルに置かれた中南海を眼にし吸おうと思った。狭いキッチンに向かい、換気扇を付け、口に1本の中南海を咥え、ライターで火を付ける。
燻る煙は換気扇に吸い込まれる。
僕はつい先ほどの出来事を頭の中で反芻し幸せを噛みしめながら、ゆっくりタバコを蒸かす。ふと、頭の中に一篇の詩が過る。
地球へのピクニック
ここで一緒になわとびをしよう ここで
ここで一緒におにぎりを食べよう
ここでおまえを愛そう
おまえの眼は空の青をうつし
おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう
ここで一緒に星座の名前を覚えよう
ここにいてすべての遠いものを夢見よう
ここで潮干狩をしよう
あけがたの空の海から
小さなひとでをとつて来よう
朝御飯にはそれを捨て
夜をひくにまかせよう
ここでただいまを云い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰つて来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に坐つてしばらくの間
涼しい風に吹かれよう
(巷の人 2003年)P.42
この詩を、僕の傍らで「突然の激しい雨は不吉な気がするの」と呟いた君へ贈りたいと思う。
よしなに。