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雑感記録(405)
【さて、地元の話をしよう】
この間、面談があった。その際に「将来的にどうしたいか」ということを漠然と聞かれた。僕は「地元に戻りたいです」と答えた。「仕事とかどうするの?」と聞かれたが、質問が漠然だったので僕もお返しの形で漠然と返答したに過ぎず、そこまでのことは考えていなかった。
面談が終わって、「どんなこと聞かれたの?」と仲良しの大先輩に聞かれたものだから「『将来的にどうしたいか』って聞かれました」と答えた。そしたら、「将来は地元に帰るの?」と何だか僕の面談を実はこっそり覗いていたんじゃないのかというぐらいドンピシャに当ててくるものだから、少し肩すかしを喰らった感じで「まあ、そんな感じです…」と若干の悲壮感を込めて答えた。
すると大先輩は「みんな地元に帰りたいって言うよね。どうして?」と聞かれて答えに窮した。僕はその時はそれとなく「自分が生まれて育った街って特別なんですよね、きっと」と要領を得ない回答を投げた。大暴投も良い所である。「そっか~」と相槌は打ってくれたものの、その表情は何だか微妙と言った感じだ。ただ、僕が地元に帰りたいという気持ちと大先輩の表情は全く関係ないっちゃ関係ない事柄で、どんな反応をされたからと言って意思が変化してもせいぜい1→2ぐらいになる程度のものである。
ただ、自分の中で「本当に地元に帰りたいのか」という気が起きてきたことも事実である。以前の記録でも、訳の分からぬ自己憐憫も良い所の文章をツラツラと綴った。そこにも書いたが、東京というのは魔境である。自分が好きなことを追求できる場所である。その代わりに色々不便があるけれども我慢してねという感じである。飴と鞭の使い方が絶妙である。
しかし、そうは言っても先に書いた通り、地元は僕が生まれて育った街という特別感が僕にとってはある。この「僕にとっては」というのが肝心。僕にとっての特別は、誰かにとっての特別ではないのだ。また当然に逆も然りである。ある意味で、僕が地元に戻りたいというのは僕がそれまで恵まれていたということを象徴しているのだろうと思う。
それで地元での生活を思い返してみると、僕は自慢じゃあないが人には恵まれている。その部分に関してはそれぞれで過去の記録に残してあるから、暇があれば探して読んでみて欲しい。田舎というある種のクローズドな、それでいてネチネチした環境の中で伸び伸び育ったというのは家族然り、友人然り、そう言った人たちに恵まれていたからだと改めて思う。
僕の地元は山梨県の甲府である。
そこに生まれて18歳までを過ごし、大学入学を機に4年間東京で生活。大学卒業後は地元に戻る。謂わば「Uターン就職」という奴だ。そこで4年再び生活し、現在東京に来て2年を迎えようとしている。今の段階での僕の短い人生の内のおよそ半分以上を地元である山梨県甲府市で過ごしていることになる。「人生の内のおよそ半分以上」という表現は大仰かもしれないが、いつか東京での生活が人生の半分以上を占めていくかもしれない。
山梨での生活はその当時に於いては満足していたと思う。実際、高校生の時まで僕は何がしたいという訳でも無かったし、正直言えば今みたいに文化的素養が皆無だったので「事足りた」というのが実際の所である。だが、大学を機に上京してその圧倒的文化レヴェルの高さをまざまざと見せつけられた時、本当に腰を抜かしそうだった。
夜。どこを歩いても街は明るい。駅前は人がごった返し歩くのもままならない。歩けば人間もコンビニにあたる。電車の発達具合。文化の中心地。美術館の多さ。古書店街。他にもきっともっとあるのだろうが、これぐらいしか思い浮かばない…。様々な部分で先に進んでおり、モノに溢れている場所である。モノに対して困ることは殆どない。
実際僕もそういう中で生活をし、甘い汁を享受していた。買い物などで困ることは基本的に無かった。お店も沢山あるから食事にも困ることは無かった。そういう何不自由ない生活を送っていた。帰省する度に僕は「山梨なんて何もないじゃないか」と小馬鹿にしている節があった。でも、実際本当に何もない。
遊びに行く、ショッピングに行く…。決まってAEONである。あるいは車があればラザ・ウォークだ。大体その2択だ。あるいは僕の場合は公園だ。フルーツ公園か八代ふるさと公園だ。しかし、これも車が無ければ話にならない。車が無ければ何も始まらない。歩いて行く?電車で行く?そんな選択肢など無い。車一択である。僕はいつも友人の車に乗せてもらうか、何とか公共交通機関を駆使して行った。行けない場所は諦めた。
しかし、そういう不便さの中にも面白さというのはある。というよりも、如何に面白さを見出すかという方にシフトしていた。何にもない街中で、でも周囲を見渡せば山ばかりである。耳を澄ます。鳥が鳴く。川が流れる。変な虫が飛ぶ。五感を済ませてあらゆることを愉しむことが出来ていたような気がしている。
そして東京に再び戻るとそのギャップに耐えられなくなる。モノが溢れる世界で(仮)の心の豊かさを満たし、そこに綻びが生じたら地元に戻るというサイクルで大学時代は生活していた。それに、就職は地元に帰ろうと決めていたので思う存分に東京を満喫した。Uターン就職の理由についても過去のいつだったかの記録で触れている。
Uターン就職をして、僕は地元の銀行員になった。
ド文系な僕からすると全く以て興味関心などない会社だった。今でも「お前が銀行員をしていたことが信じられない」と言われる始末である。実際、自分自身でも「何だかな…」と思いながら毎日過ごしてきた。ただ田舎というのは就職先が公務員か地方銀行員かの2択ぐらいしかない。大手なんて殆ど東京か別の地方都市に存在する。つまり、僕はやりたいことor地元に帰るという選択肢を眼の前に出された時、「地元に帰る」を選択したのだ。
今こうして東京に出てきていることを思うと、「最初から東京で就職すれば良かったな」と感じることがある。しかし、地元に戻って銀行員をやったからこそ出会えた人たちが居る。今でも懇意にしてくれる方も居る。本当に有難い。これも記録に沢山残している。ぜひ探して読んでみて欲しい。そういった意味でやはり僕は恵まれているのだろう。
地元で就職してから日々に活気が無くなった。強いて言えば、車を手にしたから色んなところ―と言っても僕は運転が下手くそなので地元の中を色々と運転していた―へ行っていたぐらいだ。それ以外は別に充実していたかと言われると、文化的側面に於いて見れば劣る。ただこれまで蒐集した本をひたすら読み耽ることに注力…出来る訳も無かった。
銀行員であれば分かるかもしれないが、隔月で銀行業務検定試験なるものを受けさせられる。所謂銀行業における法律だったり、税務だったり、財務諸表に関する試験である。僕は先にも書いたが、銀行など全く以て興味関心が無かったので毎回毎回テストを受けても落ち続けていた。「仕事なんだから」と言われても中々ツライかった。しかし、よく考えなくてもこれは僕の容量と要領の悪さが問題な訳で…。
毎回落ちる度に叱られ、「こんないい大学出てるのになんなんだ」と罵倒され「いや、本ばかりに集中して…」と言い訳をしていたが、その実、単純に僕にはやる気が無かった。試しに勉強して試験に臨んだこともあったが、落ちる。自分の要領が悪い以外の何ものでもないのだが、興味が無いことだとどうもやる気にならない。仕事だからと割り切れなかった。
僕にとってはそれぐらい本が好きなのだ。
毎日毎日、疲弊してでも本を読み続けた。休暇が取れれば電車で神保町へ赴き本を仕入れ、夜に帰宅し朝まで読み耽る。そんな生活を送っていた。しかし、そういう生活を送っているうちに自分の中で「僕はここに居るべきではない」という気持ちが高まった。衝撃的な出来事、決定的な出来事としては「山梨からジュンク堂が無くなった」ということである。あれは本当にショックだった。山梨で唯一と言って良いほどに品揃えが良く、文化的中心になりつつあった場所が消えた。空洞。
僕はこの日を境に、地元に対して文化的側面については何も期待しなくなった。その気持ちは今でも忘れていないし、ジュンク堂が撤退したことに関しては今でも許せない。がこんな所で怒りを露にしたところでどうにでもなるものでは無い。「何を今更」と一蹴ものである。しかし、敢えて言っておく。僕は相当根に持つタイプである。
そして仕事も相まって、僕はドンドン空虚になっていった。
仕事に対してもやる気なんて起きない。大概休日は八代ふるさと公園でボケェっとし、道の駅まきおかでタバコを蒸かし、気が向けば河口湖へ行ってグルグルしたり。本を読むことからも遠ざかって、どんどん自分が自分である感覚というのはいよいよ「ここで生まれ育った」というものでしか支えられなくなっていた気がする。転職活動を始めてから決まるまでの間、本当にジェットコースターに乗っていた気分だった。
転職が決まって2回目の東京。
職場は神保町である。今では毎日古本屋に浸り、「ああ今日も良い本があったな」と毎日が幸せである。家に帰ればゆっくりじっくり本を読み、映画を見たり…好きなことに存分に時間を使える。フルコミット出来る。しかし、そうは言っても人間限界はあるもので、本が読めなくなることもある。そして都会の窮屈さに辟易としてしまうことが多々ある。
そんな疲弊している中で、noteで偶然にも山梨の記事や甲府の記事が目に入って来た。多分過去に僕がそのワードで検索した時の名残があったのだろう。僕はそれを眼にして、正直これもまた得も言われぬ複雑な感情になった。どれもこれも称揚しているような記事で、「〇〇紹介」みたいな様相を呈している。個人的に何か違うなと思いながら見ている。
それでこんな訳の分からない記録を書き出したのだけれども、結局これは地元についての話ではなく、僕の話である。
地元の良さについて、皆何故か「在る」ということに拘り過ぎている感覚がある気がしている。だから地元のnoteの記事を読んでも面白くない。僕は地元の良さはその逆だと思っていて、「無い」からこそ見えてくる何かがあるのだと思っている。それが例え酸いも甘いもであってもだ。僕は「無い」ことの先にあるものを考えた時に、やはり地元は良いなと思う瞬間が多い。
例えば、地元に戻って高いビル群が「無い」ことに僕は安心感を得られるし、便利さが「無い」からこそ季節をしっかり味わえる。そういう「無い」故の強みみたいなものがあると思う。しかし、皆がモノの「在る」「無し」でしか語っていないという現状があるように思う。
と書いてここまでにしよう。
大した話ではない。
よしなに。