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雑感記録(363)

【あの日、あの時、あの***】


というタイトルで始まる、ドラえもんのお話があったように思う。人の記憶というのは曖昧なもので、もしかしたらポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』に引っ張られたのかもしれない。とは言うものの、ポール・ゴーギャンと『ドラえもん』が繋がる予感は全くしないし、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というタイトルと『ドラえもん』の要素など皆無である。

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?(1897~1898)

ネットで「あの日、あの時、あの***」という文字列を検索してみる。検索してみると面白いもので、すぐに結果は出てくる。便利だなと思う反面で、自分自身の記憶を面白おかしく辿る時間が無くなったと思うと、それはそれで寂しい気もする。僕はネットの恩恵をガッツリ受けて育った世代なので、さしてネットに対する嫌悪感など、「無い」と言えば嘘になる訳だが他の世代(僕よりも上の世代)と比べるとそこまで抵抗が無いと思う。

そう言えば、この間YouTubeを閲覧していた時に驚いたというか、「へえ、そうなんだ」と思ったことがあった。所謂「○○の世代」とある一定の時代区分を生きてきてしまった人々に与えられるレッテルが存在する。例えば1947年から1949年頃に生まれた世代は「団塊の世代」と呼ばれるし、1950年から1952年頃に生まれた世代は「ポスト団塊の世代」、「しらけ世代」「ノンポリ世代」(「しらけ世代」と同義)、バブル世代、そして昨今巷で話題の「Z世代」である。

昨今、わりとワイドショーでも「Z世代の生き方」とか「Z世代の○○」として騒がれている訳だが、僕はそれがどうも苦手で仕方が無かった。別にその世代に属していても、「そういう感じ方とか考え方しないよね」という生き方をしている人にとって、「Z世代」と一括りにされてしまう事への抵抗感があっても良いんじゃないかと僕は思う。ちなみにだが、僕が生まれた1996年と言うのはギリギリZ世代、つまりはZ世代のはじまりの年だそうだ。これには僕自身も驚いたものである。

『Oh!Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に』(1991年)

「あの日、あの時、あの場所で」という有名なフレーズと共に思い返されるものは何だろうか?小田和正が仰け反っている画像の様子か。あるいは織田裕二が演じる「カンチ」を想像するか、はたまた鈴木保奈美が演じる「リカ」を想像するか。いやいや、江口洋介も…。いやいや、台本が坂元裕二ってのも激アツでね…。とそれぞれに想像することが出来るだろう。いずれにしろ、検索して出てきたのは『ラブ・ストーリーは突然に』である。

今では小田和正が独り歩きしてしまっている訳だが、僕等の親世代から言わせると「いや、オフコースでしょ」と口を揃えて言う。僕の母親は小田和正が好きだが、それでもオフコースに戻ってくるのだという。僕にはその感覚が分からない。「昔が良かった」ということなのだろうか?それはノスタルジー?過去に戻りたいの?僕にはやはりよく分からない。でも、そういうノスタルジーに酔っている自分も中々粋なもので良いんじゃないかな。

最近、『ブラックペアン』のドラマが終りを迎えた。主題歌は2シリーズともに小田和正が歌っている。僕は最初のシーズンの『この道を』が好きである。小田和正の曲はどうも良くない。思わず涙がこぼれてしまうからだ。僕は勝手に小田和正に谷川俊太郎を重ねている。よくよく聞くと別に難しいことなんて1つも言っていないのだけれども、飾らないカッコよさみたいなものがそこにはある。これが女性版になると僕は竹内まりやを想像する。

そう言えば、僕の母親が竹内まりやが大好きで、僕もそれでハマってしまったんだよな。あの頃の(と言って良いのか分からないけれども)歌手が紡ぐ言葉にはどことなく泥臭さみたいなものがあって、今の歌手たちの様に表層を滑るような軽い言葉より粘着質を以て僕等にやって来る印象がある。それは恐らく音の関係も当然にある訳だが、どこかそういう雰囲気がこの頃の曲にはある。逃れられない何かみたいなものが耳元からニョキっと。

言葉。最近専ら詩を読むようになってから、どことなくだけれども言葉に対して向き合う機会が多くなった。そこにある言葉に沈殿している何か。はたまた、言葉が外骨格を形成して、詩の誌面を構成し校正しているかの動き。言葉は流動体かと思いきや、固定的にも成り得る。ダイタランシー現象にも似たような物質なのではないか。言葉は自然の模倣である。……途方もなく言葉に関してくだらぬことを考えてしまう。しかし、これはくだらないことなのか?……と考えてしまう事そのものがくだらぬことである。

(言葉にならないそれ)

 言葉にならないそれ
 それと名指せない
 それ
 それがある

 いつでもどこにでも
 なんにでも
 誰にでも

 癒しながら
 傷つけるそれ
 決して失くならないそれ

 名づけてはいけない
 それを
 惑わしてはいけない
 言葉で

谷川俊太郎「言葉にならないそれ」『虚空へ』
(新潮社 2021年)P.46,47

言葉で全てが片づけられる訳ではない。言葉について言葉で考えるというのは何だか円環の中で自分の尻尾を追い掛けているに過ぎないのではないだろうかと考えてしまうことがある。言葉で表現すると僕等は「それを掴んだ」と思うことがあるが、その実、手からするりと抜け落ちて、どこかに落してきてしまったということが往々にしてある。手応えの無い手応え。僕の手が言葉を掴んでいるのではなく、言葉で創り出した手が言葉を掴んで、ただそこに混ざり合うだけに過ぎない。掴むことは永遠になく、ただ言葉と共に溶け合うのみではないか。

名付けてはいけない。名を与えるとそれに所属してしまうのだ。僕は今日それを痛感した。ここ数日、咳が止まらずそして鼻水も、体調は絶不調も良い所である。咳のお陰で毎日不眠に悩まされている。「病は気から」というように、気にしすぎると返って体調が悪化するのではないかと思い、病院を受診せずに気合いで治癒することにした。しかし、日に日に体調は悪化しいよいよ今日限界を迎え、会社の先輩方に半ば怒られながら病院へ行った。

病院へ着き診察を受ける。どうやら僕は「気管支炎」を患ってしまったとのことらしい。僕はその名前を聞いた時、どこか安心すると同時に重圧みたいなものに突如として身体機能が奪われる事態が発生した。名前を聞き、余計に具合が悪くなる。人間、「知らなくて良かったことの1つや2つある」とよく言われる訳だが、確かに1つや2つ、いや、それ以上にあるのかもしれない。知識に貪欲であるというのは時にして毒である。知らないことの方が幸せのことが世の中にはわりとそこここに転がっている気がしている。

だが、幸か不幸か、インターネット社会に生きる僕等はどうしても「知らないこと」から潔癖になれるような環境が傍にある。何か分からないことがあれば「Googleに聞いてみよう」という世の中である。知の様相も多分変化しつつあって、データの集積から共通点を引っ張り出して創出される物事がきっと知として存在するのかなと思ってみたりする。『動物化するポストモダン』が思い出される。あるいは『物語消費論』か。大きな物語から小さな物語への移行なのかな。

調べればすぐに出てくるGoogle。僕は「あの日 あの時 あの ドラえもん」と検索バーに入力。知の集合体、小さな物語の集積。なるほど、答えはすぐに見つかった。

『あの日 あの時 あのダルマ』

これは中々の感動回である。話の内容は覚えているのにも関わらず、タイトルが出てこない。こういう事がわりと僕にはある。誰々と誰々が出ていて、作中ではこういうやり取りをしてこういう様になった。というのは覚えているのだけれども、タイトルが出てこないということがここ最近では起きるようになった気がしている。まあ、これを老いのせいにするのか、はたまた自分自身の記憶力の無さを哀しむべきかは置いておくことにしよう。

さて、これで僕の今日の記録のタイトルが完成する訳だ。

今日も今日とて何を書きたかったのかよく分からない。

よしなに。


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