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雑感記録(325)

【夜、1本の街灯】


言葉は

 言葉は種子
 いにしえからの大地に眠る

 言葉は新芽
 赤ん坊の唇に生れる

 言葉は蕾
 恋人たちの心にひそみ

 言葉は花
 歌われて大気に開く

 言葉は枝
 風にのって空をくすぐり

 言葉は根っこ
 ほのかな魂の闇にひろがる

 言葉は葉っぱ
 枯れて新しい季節にのぞみ

 言葉は果実
 苦しみの夜に実り
 喜びの日々に熟して

 限りなく深まる意味で
 味わい尽くせぬ微妙な味で
 人々の心をむすぶ

谷川俊太郎「言葉は」『自選谷川俊太郎詩集』
(岩波文庫 2013年)P.325,326

先日、祖父の一周忌で実家に帰省した。暑い日差しの中、家族・親戚は喪服を着て汗だくになる。祖父が亡くなってから1年経つのかと思うとあっという間であるとも感じるし、「1年も経ったんだな」とその時間の経過に驚きもする。ちょうど転職活動が過渡期を迎えていた時に祖父は亡くなった。だから記憶に物凄く残っている。

その日は朝からせわしなかった。家族や親戚が一同に会すのだ。僕も流石に緊張するものである。久々に会う従兄弟や従弟の子供たち、自身の兄と義姉と姪っ子。何だか僕は身体がどこか浮遊する感覚で居た。僕の立ち位置というのはあやふやである。どこか宙吊りにされた立ち位置で、ある意味で僕はそこに快楽を覚えていたが、それと同時にほんのちょっぴり彷徨している自分が居たことも事実である。

僕は兄の車でお寺へ向かう。

僕は兄と特別に仲が良い訳でもなく、小さい頃からあまり話をしてこなかったように思う。兄はあまり自分から進んで話をするようなタイプではない。僕とは真逆であると言っても過言ではない。しかし、この年齢ともなるとこそばゆいが、込み入った話もお互いに出来るようにはなっていた。お寺までのほんの数分だったけど、色々と話が出来た気がする。でも、やっぱり、どこかで僕は今どこの立ち位置で話しているか、自分自身が分からず、ただ空虚な言葉だけが宙を舞っていたように思う。

兄は育休を取って2か月間仕事を休んでいるらしい。

兄曰く「自分の子どもの可愛いタイミングを逃したくない」とのことだった。何だかそれを聞いた時に僕は歯痒い思いをした。今まで自分と一緒の空間で育ってきた血を分けた存在から「育児」「子供」という言葉が出てきたことに一種の違和感を感じるのだ。そして何より、僕が放つ「育児」や「子供」という言葉がどこか頼りなく、空虚で、表層を滑るような感覚を持ってしまったのである。言葉に魂が宿るとは言われるが、その実、言葉には経験が宿るのではないだろうか。

人は否が応でも成長することを身を以て感じた瞬間だった。


お寺に着き、いよいよ従兄弟たちと対面する。

従弟の娘2人も居て賑やかだった訳だが、小学生というのは元気があってよろしい。小学校5年生と1年生で、その可愛らしさと得も言われぬ初々しさみたいな眩しさに眼が眩む。僕は「いいなあ」と思いながら彼女等を眺める。僕も小学生の時分はあんな感じだったのかなと思い返そうとするが辞めた。そこら辺りについてはこちらの記録を参照されたい。

何よりも嬉しかったのが、僕にゴジラを教えてくれた愛すべき従兄に十数年ぶりに再会できたのである。小さい頃、僕はそのお兄ちゃんの膝に入り、ゴジラについて色々教えて貰ったことを思い出す。僕とは一回り年齢が異なるから、今年40歳になるという。40歳!!??僕の記憶の中のお兄ちゃんが40歳という事実に驚くと同時に、僕はただその現実を受け入れることしか出来ないその時の流れに何だか心苦しくなる。

皆が席に座り、暑い中お坊さんがお経を読む。

僕は暑さの中でお経に耳を澄ます。お経というのはよくよく聞いてみると面白いもので、所々に普通の言葉が混ざっている。普通の言葉というと些か表現がおかしい訳だが、僕等でも分かるような言葉を喋っている時がある。こういう瞬間を僕は見つけるのに躍起になっていた。お経は面白いなと思いながら、額から流れる汗に神経をとがらせる。お坊さんは時々額の汗を拭う。それはそうだ。お坊さんが1番暑いに決まってる。僕なんかが「暑い~」と言っていられない。

お経が終り、今度はお墓へ向かう。

お墓はもっと暑かった。汗水たらしながら階段を何十段と昇り、お坊さんが来る前に墓周辺の掃除を済ませる。従弟の娘たちは元気に階段を駆け上がっている。僕は母方の祖父が亡くなったことを思い出す。その祖父についてはこちらの記録で書いている。所謂「中南海の祖父」である。

小学校2年生の時、つまりは従弟の娘たちとほぼ同じぐらいの時に僕も祖父を亡くしている。その時、僕等兄弟はどうやって過ごしていたのだろうかと思いを馳せる。確かにお墓に行っても僕等の出番なんて殆どなくて、周りの大人たちが一所懸命に動き続ける。僕等は蚊帳の外である。しかし、今この年齢になって思えば、そういう所で気を遣わせないようにしてくれた周囲の大人たちの優しさだったのではあるまいかと、従弟の娘たちが駆け回る様子を見て思う。

線香に火を灯す。

暑い中、火を線香を持つのは余計な暑さが発生する。順々にお墓に線香を供えていく。煙はゆっくりと上へ上へと昇って行く。線香の独特な香りが鼻孔を突く。僕は線香の匂いが嫌いではない。それは1つの記憶装置だからである。線香を供えることなど日常的に行なえるものではない。だからこそ、線香の香りで故人を偲ぶ装置として存在するのではないかと僕には思われて仕方がない。僕は線香を供える度に故人の記憶が蘇る。

お坊さんのお経が終ると同時に、僕等の線香のお供えも終る。その後、それぞれ自宅に戻り、家族・親戚一同で食事会をすることとなっていた為、準備をする。


会場に着き、家族・親戚がこれまた一堂に会する。

この際に僕は姪っ子と約4か月ぶりに対面することとなる。実際会って感じたのは「子どもの成長とは早いものだな」ということだった。僕が会ったころはまだ首も据わっていなくて、抱っこすることが憚られたが、今ではもう首も据わり、抱っこすることが出来た。義姉にお願いして抱っこさせてもらった訳だが、これがまた不思議な感覚だった。

何と言うか、言い方は些か変な感じになる訳だが、「ただそこに在ることの尊さ」みたいなものが今僕のここに在るという実感があった。僕は常々「人間は生きているだけで立派だ」と考えている人間だが、こうして純粋な尊さというものは初めて感じた所である。生命の美しさ、それは生物学的な事ではなく、手放しに美しいと思えるものが在ったということである。兄が車の中で言っていたことが、今ここでやっと肌感を持ってやってきた。やはり、親の存在は偉大である。

僕はこの食事会で昼間からお酒を飲んだ。

それは自分の弱さ故である。こういう場というのは例え家族であっても緊張するものである。先にも書いたが謂わば「宙吊りの状態」であるのだ。以前、僕は「何者かでありたいという弱さ」みたいなことを偉そうにのべつ幕なしに書いてしまった訳だが、実際僕も耐えられない人間だったんだなと思い知らされることとなる。

僕はベロベロに酔いながら、何とか場を盛り上げる為に必死だった。方々に話を振ってはツッコんでみたり、ボケてみたりと。それなりに場は盛り上がったことは事実である。実際、僕も色々と積もりに積もった話があった訳だ。とりわけ十数年ぶりに会う従兄に話したいことが沢山あった。ゴジラについて熱く語り合いたかった。でも、大勢居ると中々難しいものである。機会を伺うのだけれども、小学生の子たちや姪っ子で話題は持ちきりである。それもそれで愉しいひと時な訳だが、話したい人が今そこに居るのにしっかりと話せないというのは些か辛いものがある。

僕は居たたまれなくなって、叔父さんと一緒にタバコを吸いに行く。

この集まりの中でタバコを吸うのは僕と叔父さんだけである。実はこの時間が結構好きである。叔父さんは本当に気さくな人で、色々と話をしてくれる。既に定年退職しているから仕事からは一線を退いている訳だが、やはり人生の大先輩から聞く話は興味深い。2人でタバコを蒸かしながらそれぞれに話をしていく。正直僕はベロベロに酔っていたのであまり話の内容は覚えていない。唯一覚えているのは「タバコはいつか辞めなきゃな」という話ぐらいである。

それから僕は小学生たちと交流を図る。

それにしても最近の給食事情は凄いなと感心したり、最近の小学校では何が流行っているのかという話題を聞いて行った。怪しいオジサン感が半端なかったが、恐らく彼女たちも気を遣ってくれたのだろう。色々と教えてくれた。途中、お皿に敷いてあった紙で紙飛行機を作り出して飛ばして遊んでいたので、僕もそれに対抗しようとして紙飛行機を作って飛ばした。そしたら1年生の子から「今飛ばした紙飛行機ください」と言われた。何だかその表情が可愛くて可愛くて仕方が無かった。

食事会はその後つつがなく終了し、駐車場でそれぞれに別れを告げる。小学生たちは元気に走り回る。僕もお酒に酔っていたので一緒に走り回る。「キャー」とか言われると本当に自分が不審者みたいになるから辞めて欲しいな…とは思ったが、逆に安心もした。世の中、変な人が居る訳で、しかも彼女等は東京で生活しているのだ。自己防衛おじさんではないが、自己防衛することは大切である。

僕も東京に住んでいるので、彼女たちに「ねえ、今度おじさん、遊びに行くから、一緒に遊んでくれない?」と聞いてみたら、恥ずかしそうに「いいよ」と言ってくれたのは個人的に嬉しかった。僕は彼女等よりも脳内お花畑だったことは間違いのない事実である。その後、従弟に「今度、本当に遊びに行くからよろしくね」と伝えた。今度しっかり連絡を取って遊びに行こうと心に誓った。


自宅に戻り、今度は姪っ子と戯れる。

先日、1人でサンリオピューロランドに行った際に買ったお土産を渡した。ポムポムプリンのお人形である。その際の記録は以下である。実物の写真は雑感記録(311)に載せてある。

ポムポムプリンは一瞬にして涎だらけになった。でも、それで遊んでくれたことが僕にとっては何より嬉しかった。姪っ子と戯れながら幸せな時間を過ごす。僕の家族はこれまで男性ばかりだったので、やはり女の子だと可愛くて仕方がないんだなと思われる。特に僕の父親は舞い上がっていて面白い。傍からその様子を眺めるのは面白い。だが、何かしてあげたくなる気持ちは僕としても分からなくはないなと思う。

やはり、自分自身が大切にしたい人には自然と「何かしてあげたい」と思うものである。それは理屈や論理とかとはまた別の所で何かが働くいているのではないだろうかと思う。そういう何かを抜きにして、この人の為なら何かしてあげたいと自然に思えることに出会えた僕は幸運なのかもしれない。僕にはそういう人たちが居る。僕は幸せな人間だなと姪っ子と遊ぶ中でつくづく思い知らされる。

姪っ子は僕の顔を見ながら「ばぁばぁ」と言葉ではない言葉を発してくる。実際何を言っているのか本当に分からない訳だが、それだけで僕は何だか幸せな気分である。赤ちゃんというのはそれだけでエクリチュールなのかもしれない。存在と言葉が「渾然として一」の状態であるとそんな気がした。言葉にならない何かで必死に伝えようとして、それが上手く伝わらない。そこを受け手側である親が汲み取る。ある意味で、コミュニケーションに於ける原初的且つ重要さがここにはあるのではないかと考えてしまった。

僕はお酒にベロベロに酔ってしまったので、姪っ子が自宅に戻った後、自室に行き爆睡してしまった。


目覚めると夜だった。

僕は外に出てタバコを蒸かした。周りにはただ住宅街が広がる。側には1本の街灯がある。その下で煙を燻らせる。街灯に黒い影が見え、近づくとコクワガタが止まっていた。そうか、もうそんな季節なんだよなと感慨深くなるが、同時に恨めしくもなる。このけだるげな暑さ。

街灯は道を照らす。しかし、照らし出されるのはその真下だけである。そして街灯は等間隔に並び、暗闇を駆ける1本の線となり、奥のさらに奥まで続いているのが見える。だが照らし出されるのはやはり真下だけである。それでもこうして「1本の線」として繋がっているということは事実である。何だか僕は親近感を覚えた。

「暗闇を照らす光になりたい」と僕は思わない。ただ、連綿と小さな光を繋げて、1歩1歩ゆっくり進んで行きたい。きっと何かあった時、僕等は振り返ることが出来る。戻ればいい。僕は誰かの光る点ではなく誰かの光る線になりたい。そんなしょうもないことを起った出来事とともに感じてしまった。耳元のイヤホンからはこの曲が流れる。

願い

 いっしょにふるえて下さい
 私が熱でふるえているとき
 私の熱を数字に変えたりしないで
 私の汗びっしょりの肌に
 あなたのひんやりと乾いた肌を下さい

 分かろうとしないで下さい
 私がうわごとを言いつづけるとき
 意味なんか探さないで
 夜っぴて私のそばにいて下さい
 たとえ私があなたを突きとばしても

 私の痛みは私だけのもの
 あなたにわけてあげることはできません
 全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
 せめて目をつむり耐えて下さい
 あなたも私の敵であるということに

 あなたをまるごと私に下さい
 頭だけではいやです心だけでも
 あなたの背中に私を負って
 手さぐりでさまよってほしいのです
 よみのくにの泉のほとりを

谷川俊太郎「願い」『自選谷川俊太郎詩集』
(岩波文庫 2013年)P.329~331

よしなに。

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