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【京都からだ研究室】小関勲さんのヒモトレ・バランス講座(2022/05/21)

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後藤サヤカさん昨年2021年から立ち上げた身体探究のコミュニティ、京都からだ研究室

小関勲さん(バランストレーナー、"ヒモトレ"創案者)をゲスト講師としてお招きして開かれた、2022年度前期第2回講座に参加してきました(2022年5月21日)。

ヒモトレ"烏帽子巻"ランチ講座

別のヒモトレ講座にご出講のために、既に研究室開催の前日に大阪まで来られていた小関先生のご厚意で、所定の開始時間よりも早めに京都までお越しいただき、参加者の皆さんとランチを共にしながら、ヒモトレの「烏帽子巻」を実践してみる特別ミニ講座を開いてくださいました。

烏帽子巻とは

下記にリンクした参考記事のサムネイル画像にもあるように、ヒモが顎関節にかかるようにして下顎から頭頂部にかけて巻く巻き方。

このように巻いた状態で食べたり飲んだりすると、飲んだ液体の喉越しがよく感じられたり、口に入れた固形物を咀嚼する際も、左右の顎に均等に力が入って噛むことができるというものです。
(※ご高齢の方や障害をお持ちの方が試みる場合は、ヒモが首に巻き付かないように、周りの方が気をつけてあげてください)

私の場合、強い痛みはないですが右顎を開け閉めする時「カクッ」として、少しだけ顎関節症ぎみ。そんな私の口でもこの烏帽子巻で、固く乾いたバゲットでも、左右の顎の力加減のバランス良さを感じながら食べられました。後日振り返ってみて、気づかぬうちに唾液もたくさん出ていたのでしょうか、バターやジャムなどを何もつけない素のままのバゲットでも、ほんのりした塩味をおいしく感じながら食べていたように思います。

他の参加者の方も、口や顎にトラブルがあって噛む力が弱くなっているという人は、烏帽子巻を試したところ"勝手に唾液が湧いてくる!"と、たいそう驚いたご様子でした。

介護・療育への応用

当日の講座の中でも、先ほど上でリンクした記事をお書きになられた整体師の浜島貫先生(浜島治療院院長)が実際に経験なさったケース(嚥下障害がある方や「胃ろう」の方などへのヒモトレ実践例)を、小関先生が詳しくご紹介くださいました。病気やけが、先天的な障害を持つ方たちへの介護の場面でも、ヒモトレが注目を集めていて、広く実践もされています。

主体性を奪わないヒモトレ

研究室にご参加の方にも、長年にわたって重度の障害を持つお子さんの療育・介護をなさってきたお母さんがいらっしゃって、熱心に学んでいらっしゃいました。
このお母さんご自身も、何年もの間「しゃがむ姿勢」ができないお悩みがあったそうです。しかしまさにこの講座当日に、ヒモトレやバランスボードを試している間に突然しゃがめるようになったのです。これには研究室一同大盛り上がり!私も自分のことのように嬉しく感じました。

しゃがみ込んでいる赤野さんを、ヒモを巻いた小関先生が起こす

ヒモトレは、それを試みる人の「主体性を奪わない」というのが特徴。 介護や療育の場面では「私が介護する人、あなたはされる人」という主客関係がなくなっていくのかもしれませんね。
介護する私も私らしく、されるあなたもあなたらしく。それで互いによい関係になって、気持ちよく介護したりされたりできるようになるのだと思います。
身体の痛みや動きにくさ・動かなさなどに長らく悩まされていた人たちにとっては、奇跡みたいな、福音みたいなヒモトレ。 でもすごいのはヒモがすごいのではなくて、あなたや私の身体のはたらきが本来すごいということですね。

バランスボード

元々は競技スポーツのトップアスリートのパフォーマンスの向上に役立つよう開発されたバランスボードに乗ってみました。

支柱の位置を変えたり、数を増やしたりできる

上の写真のように、真ん中に一点だけ支柱があるボードに乗ってバランスを試してみたくなります…けど、ちょっと待って。
いきなり真ん中に止まるのを試してみてもいいですが、まずは、前後左右に傾いたボードの上での感覚からきちんと味わってみるところから入ります。

両足にかかる体重のバランスが変わって、右に「パタン」左に「パタン」とボードが傾く時の身体の感じをよく観てみます。

右にパタン。左にパタン。歩く時の身体の動きはこうなっていますよ。


センターに一点だけ支柱があるボード上で、骨盤を上手に前傾・後傾させながらボードを旋回させる時の身体の感じを観察してみます。

腰を前後に思い切りよく出したり引いたり。ボード自体も旋回していきます


後ろに一点だけの支柱があり、前に傾斜しているボード上で「しゃがむ」。身体の重さが足の指先にまで流れて、しゃがみやすくなります。

しゃがむのが苦手な人はこのトレーニングよき。


バランスボードで体験する"中道"

例えば、お釈迦さまが菩提樹の下での打坐でお悟りを開かれた後の最初の説法で、ふたつの、あるいはあらゆる極端な認識を離れた「中道」を説いたといわれています。

ボードの上で「ここが真ん中に違いない!」と、"真ん中に止まろう"とすればするほど止まれない。止まろうとすると、それは「中道という極端」になってしまうから?と思ったりします。

坐禅やマインドフルネス瞑想も含む仏教的な瞑想行法では、過ぎ去った過去を憂えたり、未だ来ない未来を案じたりすることから離れた「いまここ」で起きていることへの気づきが強調されます。
しかし、「いまここ」というのは、針の先のようなピンポイントの一点ではないですよね。「いまここ」の「い」といった瞬間に、それはいまここではなくなってしまう…。いつも動的でフロー(Flow)な中道への自らの開けを、バランスボードが上手に私自身に問いを投げかけ、アシストしてくれるようでした。

ヒモトレについても、常時身につけて快適な身体運用で暮らすのももちろんOKなのですが、つけた時・外した時の身体の感じを味わって、その違いを「意識的に覚えておく」のもアリなのではないかと。
有為(なにかする)も、上手に使うと身体感覚が磨かれるのをaccelerateしてくれると思います。無為(ありのまま)と有為の二極、その「"どちらでもない"ではない」、二極を含み超えた中道への気づきがありました。

意図せずして立つ

小関先生もご指導していらっしゃる、中国発祥の武術「韓氏意拳」を私も学習しています。そのお稽古の場では「試みて、勘違いして、間違う」そのプロセスそのものを大事にします。

武術のお稽古では「ただ、立つ」を深く観ていくこともします。
私の場合は…それまでほとんど気づくことがなかったかもしれない「脚(足)の踏ん張り」でもって立っていたような気がします。
あえて下が不安定なバランスボードの上で立つことを試みる。そうすると、不安定な足元にばかり注意が向く。そこで、足元以外の上半身のどこか(背中とか)や、あるいは視線をもっと遠くにのばしてみると、下が揺れながらでも身体が上へスッと伸びて、立てていられたようでした。

「立とうと思って意図して立つ」のと、「ただ、立つ」のとでは、外から見た形は同じようでも、その中身の感覚が違うのです。

ココロのバランスボード

次に、「バランス」という要素そのものを極限まで削り落としていったシンプルなフォルムの「ココロのバランスボード」に乗ったり降りたりして体感の違いを味わうワークを実修しました。

わずかに湾曲している面に、胡坐でも半跏趺坐でもよいので瞑想の坐法で坐り、パートナーに両肩を下に鉛直に力がかかるように押し下げてもらいます。ボード上の坐りでは、押されても身体の中に芯が通って崩れない。ボードから降りて同じように坐り、押してもらうと、グシャッと崩れてしまう。

うっすらわずかにカーブしている面にただ立ってみる

情報量の"少なさ"、そしてヒモトレへ

ボードの上面のわずかな湾曲があるだけで、乗って立っていたり坐ったりすると確かに感じる違い。 身体に与える情報量の"少なさ"が及ぼす影響。この感覚からヒモトレが生まれたのだそうです。なので、ココロのバランスボードとヒモトレは"兄弟"みたいな関係といえるのです。

からだ探究は<じぶん>探究へ

小関先生がヒモトレ・バランスボードのプレゼン用に編集したPowerPointのスライドで見せて下さったこの画像。これは、小関先生が「ヒモトレとは何か?ヒモと私の関係性とは?」を説明するのによく用いられる図です。

情報が少なすぎても観えてこないし、多すぎるとうるさい

何もない空白のところどころに書かれたV字型のトゲトゲ。よく見てみる、しかし目を凝らさずに眺めていると、空白の中から正方形が浮かんでくるのが分かるでしょうか。

「ではそのV字型のマークが多ければ多いほど、正方形がクッキリしてくるか?」と思いたくなりますが、ところが必ずしもそうではない…というのが右側の画像。むしろ多すぎるトゲトゲの方にばかり注意が向いて、正方形が見えなくなってしまいます。

ここには、「自己とは何か?」を観ていく、探究していくのに重要なヒントがあると感じました。

感覚と言語

この研究室ではこれまで、様々な先生方からそれぞれに異なる世界観からのアプローチで「身体感覚を感じる感じ方」を学んできたわけですが、

身体の内々に目が向き過ぎると「身体感覚という言語」にしてしまうトラップもまた身体に仕込まれているのではないでしょうか。かといって、「私とは何か?」の根拠を私の外側にばかり追いかけていってしまうと、これまた私を見失ってしまいます。

身体感覚の世界を言葉にすることには、ドグマティックに硬直化する危険性が常に背中合わせに存在しています。 かといって、一旦言葉に還元してみないと、感覚世界が身につく緒(いとぐち)を引くことができない… なかなか難しいところです。

全体性(totality)とは

全体性(totality):一個の事物あるいは事象が、一つのまとまりを持ち、さらに細かい部分に割ることによってその特質が失われてしまうようなとき、そこにみられる独自の構造や機能上の特性をいう。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
辞書的定義づけとしては非常によく練られている。さすがブリタニカ

ヒモトレやバランスボードで体験される身体の生き生きとしたはたらきに驚いて、ついついテンションが上がってしまいますが、ちょっと一息ついて思い返してみると、この前期のテーマは「"分けられない"身体を試みる」だったのでした。

上に引用したブリタニカによる「全体性」の辞書的定義を何度も何度も読んで吟味しています。
身体の部分にだけ注目するとうまくいかないようにできているバランスボード。身体にははたらきが元々全て備わっていることをうまく浮かび上がらせて見せてくれるヒモトレ。全体性を「感じて、理解する」のに、小関先生が示してくれる"道具立て"はとてもよく出来ているとあらためて感じました。

モノにヒモトレ?

重たい荷物と自分が一体に

上の写真では、重たいバックパックとそれを背負う人の両方にヒモをかけていますが、この後さらに小関先生が見せてくださったのは「重い荷物にだけヒモを巻く」。これでも、持ち上げてみると軽く感じられる。実はこれ、引っ越し屋さんのベテランさんなどは既に感覚として知っている「職業上の知恵」なのだそうです。

いのちある身体だけでなく「物体」へのヒモトレも有効?!ここまでいくと、

「私というのは一体どこからどこまでが私なのか?」

というのがどんどん分からなく(分けられなく)なっていきますね。

「こうすれば、こうなる」の向こう側へ

頭で(思考で)思い成して、そのヴァーチャルな思い成しを身体にトップダウンで押しつけて使う身体と、実際にそこで生きてはたらいているナマの身体とのズレを、バランスボードやココロのボードで体験できました。
愉しいワークでしたが、そこには今まで"当たり前"と感じて運用してきたことの見直しを否応なく迫られる、ある種の厳しさも感じられました。

ここまで紹介してきた、ヒモトレを使った様々な応用実践例、ヒモトレやバランスボードを使ってこの講座で私たち自身が体験した身体の動きやはたらきの違い。
「腕が上がるようになった」「痛みが取れた」「身体が軽くなった」「疲れにくくなった」…いろいろな現象が起きます。
こういった目覚ましい出来事を前にすると、「ヒモを巻くと、○○になる」というような「原因と結果」「こうすれば、こうなる(のではないか)」という思考パターンで理解したくなります。

でも、ちょっと待ってみてください。

楽器演奏家・声楽家へのヒモトレ実践で、音楽的表現がより深く精妙になった例を見ました。私の親しい友人にクラシックギターの演奏家がいますが、彼がヒモトレに出会ってからの「ビフォー・アフター」も、私自身の目と耳で確認しました。
だからといって「演奏のパフォーマンスが上がるから」と、手の指や肩にヒモを巻いてステージに立って聴衆の前に出られるか…というと、そういうものでもない。100m走の選手がヒモをお腹に巻いてレースに出場することは、おそらく競技規則上できないことでしょう。

もちろん、「歩けない」「立てない」「飲み込めない」「痛い」といった切実な困難がある身体に現れるヒモトレの"効果"を利用して生活することは、病気・障害がある方のQOLの向上に大いに資するものです。

ヒモトレやバランスボード、ココロのバランスボードが見せてくれる、身体と心に顕われる現象は、「こうすれば、こうなる」を超えたその先にある本来のいのちそれ自体のはたらき("いのち=はたらき"であれば言葉が重複してしまいますが)を指し示す指といえるのではないでしょうか。

子どものためのプレイルームに置いてある遊具のようにして、ヒモトレやボードをただ素朴に試してみて感じられる感覚を受け取ってみるのもいいと思います。
この講座で小関先生が提示してくださった「ヒモトレやバランスボードが指し示すもの」のヴィジョンを吟味・理解した上で、あとは試みるそれぞれ自身が主体となって試み、感じ、感じられたことを考えて深めてみる…。原因と結果、主と従に分けられない、その向こう側にある、まだ出会ったことのない<じぶん自身>が垣間見られる講座となりました。

研究室参加者専用のFBグループページにも、講座の前後にコメントを寄せていただいたり、第1回と第2回の間にZOOMで行われた感想シェア会の場にも気さくに参加してくださった小関先生、ほんとうにありがとうございました!
講座終了直後からグループページに感想のコメントを積極的にシェアしてくださった、素晴らしい参加者の皆さん、ほんとうにありがとうございました!

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