高階秀爾『名画を見る眼』岩波新書

高階秀爾氏の訃報に接して。

十月二十四日、美術史家の高階秀爾氏の訃報がありました。
自分が美術に興味を持ったのは、物心ついた時、高階氏監修の美術全集が自宅にあったからです。
これからも美術を愛し続けることを誓い、感謝と尊敬の証に代えさせていただきます。

と言いつつ、本も数えるほどしか読んでいないし、もちろん会った事もないので、どんな人だったかはよく分からない。読んだ本を振り返って、今一度、自分が氏からどんな影響を受けたのか、確かめてみる事にします。

もちろん最初に紹介する書籍はコレ。


日本での西洋美術の基本書籍。

「レオナルド・ダ・ヴィンチはこんなひと」
「ルノアールの作風はこんなかんじ」
美術書に限らず、メディアで著名な名画や芸術家に言及されるとき、だいたい同じ事が書いてある。何故でしょう?
それは、高階秀爾氏の著作が元ネタだからです。特にこの二冊が基本。

初版が1969年。自分の読んだのは1987年の第28刷。岩波新書青版。去年、カラー図版入りの岩波新書赤版が出ました。半世紀以上、読み続けられるマスターピース。
高階氏はこの本の執筆当時、国立西洋美術館主任研究官で、後にその館長、また大原美術館の館長などを歴任された方。この本をはじめ著作も多く、日本での西洋美術に対する認識は、ほぼこの方の影響下にある。それ故、賛否の分かれる部分があるのは確かです。しかし、西洋美術について日本語で書かれたモノを読むとき、そこには必ず高階氏の影響があるので、避けて通る事はできません。

まあコレ読んどけばいいかな。というか、他のいろんな本を読んでからコレを読むと、
「あれ、さっき読んだ本のアレ、この本に載ってるじゃん」
なんてコトがチョクチョクあって、損をした気になるので、先に読んどきましょう、という位置づけです。

実際に読んでみると、肩透かし喰らうかも。
「この本に書いてあること、高校の美術の教科書(または西洋史の教科書・副読本など)と同じじゃん!」
当然だ、その元ネタこれだから!

しかし基本であるということは、ここから発展させるものだということ。ある程度色々と見てきたあとで読み返すと、
「どうしてこういう記述になったんだろう?」
という点も多々ある。この一文では、内容の紹介ではなく、読み返して、自分が考えた事について書こうと思います。

この本を読んだ人がそれぞれに、自分なりの解釈や発展をさせる参考としていただければ幸いです。

「名画」とは何だろう?

最初に取り上げられるのは、ヤン・ファン・アイクの『アルノルフィニ夫妻の肖像』なんだけど、今となってはここから考え込んでしまう。確かに名画なんだけど、これ以前にも、名画と呼べる作品はあったんじゃないか?
エジプトやギリシャの壁画や壺絵は、どんなに上手くとも「名画」のカテゴリじゃないのは、なんとなく分かるけど。ファン・アイクと同じ初期ゴシックで、彼の百年以上前に、チマブーエもいればジョットもいる。
彼らの作品を名画と呼んでも、誰も異を唱えないはずだ。それなのに、高階氏がこの一連の著作を、ファン・アイクから始めたのはなぜだろう?

高橋氏はファン・アイクの章でくり返し語っている。
「彼は自分の名前を絵の中に書き込んだ」
実際、画面奥の鏡には、中にそれらしき人影、上にはファン・アイクここにありとの文字がある。
また、見る者もこの絵の中に……むしろ、この描かれた部屋に、アイクと共に訪れるように、執拗に写実的な描写を行った。写実的な描写は、夫妻の幸福を願うアレゴリーを込めた様々なアイテムにも及んでいる……

ここに示されているのは、強烈な自己主張だ。作品内に、画家自身の存在を主張し、個人的なメッセージを盛り込み、見る者にもそれを共有することを求める。
今では当たり前の事だろう。
作者は自分の存在のために作品を創る。そのワザマエで、見る者の首根っこを掴んで、己のメッセージを突き付ける。
しかし、そんな自己主張は、チマブーエにもジョットにもなかった。彼らは作品を、祭壇画として壁画として、その技量については自己顕示欲を燃やしていただろうけれど、私的な主張やメッセージを盛り込む事や、見る者を自分の世界に引き込む事など、思いつきもしなかった。

作品に自己主張を盛り込まない者を職人と呼び、自己主張のために作品を創る者を芸術家と呼ぶのならば、ファン・エイクは最初の芸術家だ。
芸術家の誕生と共に、名画という概念も生まれたのだろう。

ミケランジェロはどこにいる?

ファン・アイクの後、章はボッティチェルリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエルロと続く。時はまさにイタリア・ルネサンス。芸術家の時代が来たのだ。
しかしその次の章は、北方ルネサンスのアルブレヒト・デューラーである。
……ミケランジェロはなんでハブにされてんの? まあ、彼はバロックだとか、画家じゃなくて彫刻家だとか、理屈は色々つくんだけど。

ボッティチェルリの章では『春』を題材として、寓意的な絵画の読み取り方のレクチャーが行われる。ファン・アイクの章でもやっていたんだけど、ここではそれをさらに深掘りする感じ。コレは何の象徴、こう描かれているのはこういう意味付けをしているから、と、まさに手取り足取り。
「〇〇は××の象徴」という寓意、アレゴリーを色々と覚えて、この公式に当てはめれば、誰でもいっぱしの「絵画を読む人」になれるレベル。

レオナルド・ダ・ヴィンチの章では、あえて『モナ・リザ』ではなく『聖アンナと聖母子』を選んでいる。人物描写の妙について語りつつ、信仰と芸術の微妙な関係を示唆する。ボッティチェルリの章では、神話や物語を作品にする事について語られていたのだけれど、それがさらに深掘りされて、画面の上の事物を、聖なる存在として描くか、人間的な存在として描くか、という問題にまで迫ってゆく。

ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』は、成人女性のマリアが前期高齢者のアンナの膝に乗ってるという、不自然な構図だった。ダ・ヴィンチですら解消できなかった不自然さを、ラファエルロが『小椅子の聖母』では見事に解決しているという切り口から、ラファエルロの章では、画面構成について語られる。
ここまでの章では、人物や背景など、個々のオブジェクトがどのように描かれているかを問題にしていたが、この章ではさらに踏み込んで、それらが画面全体にどう構成されているか、という考察が行われる。聖母マリアの衣装の色の宗教的な意味から、画面上の色彩構成の妙へと話を持っていく、高階氏の文章の巧みな事!

『名画を見る眼』について学ぶ事がこの本の趣旨であって、画面内に存在する概念については、ここで一通り解説が終わっている。うん、ミケランジェロの出番が無いのも、仕方がない。ミケランジェロは構成要素が多すぎる。画家である以上に彫刻家であるし、建築家でもあるし、服飾デザイナーもやってたし、政治活動も盛んだし、ケンカばっかりしてたし。そのくせ有名な絵画は、システィナ礼拝堂くらいだったり……まあ、ドナテッロと一緒にピザでも食っててください。

内向きにこもる者・出世する者・リア充・懐古主義。

さて、めでたく芸術家という者がこの世界に誕生したわけですが、こいつらはいったいどこに行くのか?

内省的になる者の代表がデューラー。
『メランコリア』の人物は、周辺が様々な「〇〇の象徴」「××の寓意」の類のアイテムだらけで、もう何が何だか分からなくなって、もう考えるのを止めたいのに、でも止められなくって、どうすればいいか分からず、呆然としている。
出世する代表がベラスケス。
『宮廷の侍女たち』は、ベラスケス自身が、お姫様をモデルに絵を描いてる途中。部屋に入ってきた王様にドヤ顔している。それでも無礼者と怒られない。というか、俺はこんなに偉くなったんだぞ、って絵を描かせてもらえる時点で、メッチャ優遇されてる。
リア充代表がレンブラント。
『フローラ』は、俺こんなに美人の嫁さんもらっちゃった、という自慢である。まあ良い事ばかりではなく、悪い方でも充実していたわけですが。そんな、人生そのものがドラマで作品であるような芸術家も登場してくるのだ。
懐古主義に走るのがプーサン。
『サビニの女たちの略奪』は、ローマの建国神話から取材するという、歴史画と神話画のいいとこ取り。キリスト教美術がブイブイ言わせる前の古代にかえりたい。そういう志向はルネサンスでもあった……というか、そういう指向があったから、ルネサンスの芸術家は偉かったんだ、それを見習おう的な。だから題材は古代だけど、画風はミケランジェロ以降のバロックである。

芸術家という、個が確立した結果、それぞれが自分の道を探しはじめる。ちょうど、文化の中心がイタリアから離れ、各国が、その風土や政治経済の状況に合わせて、独自の芸術を創造しはじめる時代でもあった。
デューラーはドイツ、ベラスケスはスペイン、レンブラントはオランダ、プーサンは百エーカーの森、じゃなくてフランス。
ドイツ人は宗教改革でアイデンティティを模索しているし、スペインは黄金時代が終わり、かなりヤバいので、王様たちは、何とかカリスマ取り戻そうと悪あがきしている時期。オランダは逆に、貿易でウハウハ、儲かって仕方がなくて、金の使い道に困っちゃってるレベル。チューリップの球根でも買おうか、なんて考えてる。フランスは周囲の国々の混乱なんてどこ吹く風、国内だけで色々と満足。満たされているので、変化なんかほしくない。このまま贅沢な生活を続けよう、いやまさか革命なんて起きないよね、という時代。

芸術家が、意図するとしないとにかかわらず、時代を映す鏡になってゆく。作品にそれが顕れる。

オタ恋?・パーリーピーポー!・昼ドラドロドロ愛憎劇。

フェルメールには、風景画もチョットあるけど、誰も期待してないよね。みんな見たがるのはインドアの絵。特に美少女。レースを編む子とか。そんな萌え絵の制作風景がこの『画家のアトリエ』です。フェルメール程の神絵師になれば、こんな風に可愛いモデルさんと仲良くできるんですね。うらやましい。今時で言えば、コミケの壁サーの作家さんとかこんな感じの生活しているのかな。モデルさんが持っている楽器・書物・被っている月桂冠は、音楽・文学・その栄光でしょうか。ファン・アイクやデューラーの作品でさんざん見てきた、象徴、寓意のアイテム。以前は思わせぶりに画面内に配置されていたのが、今やあからさまに「象徴やらせてもらってます」という扱い。しかもその演出で絵を描いてます、っていうネタバレシーン。寓意で作品を読む時代は遠くなりました。その代わりに、壁に地図がかかっているから貿易商人かな、などと、現実に即して絵画が解釈される時代になったのです。

そんなインドアでまったりするカップルもいれば、団体で島を借り切って恋活イベントなんて、陽キャの極みのパーリーピーポーもいるわけです。それがワトー『愛の島の巡礼』。ゲームのイベントのでっかい一枚絵みたいですね。『サビニの女たちの略奪』みたいな群像ですが、画面全体がのっぺりと同じ調子で、全体を統一するダイナミックなシーンがあるわけではなく、チマチマしたカップルの群れの一つ一つが、小さいイベントシーンのように演技をしています。低予算の萌えゲーで、部分を拡大してカット割りしてMV作るアレだ。

一方で画家と貴族の奥さんの不倫とか、昼ドラ真っ青のドロドロ愛憎劇なんてウワサが、まことしやかに語られるのがゴヤの『裸のマハ』。実際はそんな事なかったという事ですが、スキャンダル好きな連中には、事実なんてどうでもいいんですよね。物語を描く側の芸術家が、物語の登場人物として扱われる時代になったわけですね。

社会が爛熟すると、画家のパトロンは王や教会ではなく、裕福な商人や貴族や貴婦人といった個人になる。作品もドンドン個人の性癖に沿うものになって、ウソだか本当だか分からない物語が作られていく。

後の時代の者である自分たちが、その時代の名画に求めるのも、その当時の国や信仰のありようではなく、市井の人々の暮らしぶり、一人一人の心のありよう……ともすれば生々しすぎるほどの苦悩や欲望まで、時間と空間を超えて共有する手段となったのでした。

海外レポート・災害スクープ・サークル結成。

戦乱が収まり、貴族の時代が終わり、富裕な市民階級が社会の運営にかかわるようになった。そんな富裕層に世界旅行が流行すると、富裕層をパトロンとする芸術家も、色々な世界の風景を描くことになる。
ドラクロワ『アルジェの女たち』もそんな一枚。画家がヨーロッパを出た時に起こる事は、描かれるモノや風景が変わるだけじゃない。アラビアや地中海南岸の、強烈な日差しに照らされた色彩、乾燥した熱風に揺らぐ輪郭や遠近感。それはアルルの比ではなく、芸術家たちの世界観も、筆や絵具を取る手も、変えてしまった。

パトロンが社会に参加すれば、芸術家も振り回される。大きな出来事があれば、関わらざるを得ない。もちろん、ゴヤのスペイン独立戦争に関する諸作品からメデュース号の遭難まで、同時代の事件事故に取材した作品は少なくない。しかし、どこか物語のようになってしまっていたように感じる。ゴヤの『1808年5月3日、マドリード』が描かれたのは1814年。作品として消化するために、六年の月日が必要だった。『メデュース号の筏』は二年ほどで描き上げられたが、ジェリコーは舞台装置のようにアトリエに筏を作り、生存者の話や、悪天候の海を何度も取材するなどして……こういう言い方が適切か分からないけれど……納得いくまで、演出を練り込んで……作品として、完成させた。
ターナーの『国会議事堂の火災』は、1835年に描き上げられた、1834年10月の国会議事堂の火災を描いた作品。スピード感が違う。制作にかかった時間だけでなく、作品そのものも絵具も筆も炎の風に煽られたかの如く、まるで煙火をカンバスに移しとったかのような有様。演出や、絵画作品としての完成度を捨てたような画面だ。百年後、キャパがノルマンディー上陸作戦で兵士を撮った写真の、激しいブレを思い起こすような、ライブ感。折しも、数年後には写真が実用化されようという頃。画家も、目にした光景を即、絵にする事に、魅力を感じ始めたのかな。この頃、イギリスは産業革命の真っ盛り。都市の風景は目まぐるしく変わる。ゆっくり絵を描いていては間に合わない。画家は……カメラになるしかない?
そんな状況の集大成と言っていいのか、ターナーはこの十年後『雨、蒸気、速度ーグレートウェスタン鉄道』を描くことになる。

クールベの『アトリエ』は、芸術家が自分をとりまく人々を描いた作品。あるいは、自分が心にかけている社会の人々。ある種、クールベの脳内サークルとでも言うか。目まぐるしく変化する社会、芸術家が自分を守ろうと思ったら、自分の周りに小さい社会を作るしかなかったのかもしれない。
芸術家を取り巻く小さな社会は、ルネサンス以前から工房や、貴族お抱えの文化人サロンなんかもあったけど、それとは全く違うよね……この時点では、まだ影も形もないけれど、洗濯船や蜂の巣といった、芸術家を中心とするグループに繋がっていくのかな?

芸術家、ケンカを売る。

マネ『オランピア』は、生々しい裸体で社会にケンカを売った作品。何がすごいと言って、立体感を押さえた描写で、他の芸術家にもケンカを売っていること。
何がどうケンカを売っているかは、高階氏の解説を読んでもらうのが一番なんだが、何がビックリと言ってこのヌード、自分にはどこがどう変なのか、さっぱり分からない。
というのはつまり、コレ、自分たちが二十一世紀に見慣れているヌードそのものなんだ。

作品の中で「自分はここにいる」と言う、ただそれだけで生まれた、芸術家という存在が、ついに社会を相手に戦うまでになった。この後、社会にケンカを売る事が芸術家の条件、みたいな流れになっていったりもするんだけれど、それは『続 名画を見る眼』で書かれる時代のお話。

芸術と社会の関係が変わる時「名画」が現れる。

芸術家という存在が生まれた後、社会が変化するたびに、その立場は、目まぐるしく変わり続けた。芸術家の作品を追っていくと、その変化の瞬間に、それを示す作品が顕れる。
それを名画と呼ぶのであれば……
「名画を見る眼」は、ただその「名画」だけではなく、
その瞬間の、芸術家の生き様を見る眼でもあり、
その瞬間の、社会を見る眼でもあり、それを突き詰めれば、
その瞬間の、人々の生き様を見る眼にもなるのだろう。

だとすると……現代の名画を見れば、
現代の社会が見えるのだろうか?
現代に生きる自分たちの生き様を見る事ができるのか?

『続 名画を見る眼』では、それが紐解かれていくのだけれど、それについてはまた日を改めて書こうと思います。

書いたらまたX(旧Twitter)で報告します。

十月二十七日追記:『続 名画を見る眼』についての記事、書きました。


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