見出し画像

檸檬読書日記 詩で悼み、本でフィンランドへ、猫のひげは長い。 1月27日-2月2日

1月27日(月)

谷川俊太郎『悼む詩』を読む。

谷川俊太郎が書いた詩の中で、追悼として書かれた詩を集めたもの。
その中で個人的に惹かれたものを幾つか。


僕もいつか
死んだら死んだで生きてゆきます

草野心平へ


ぼくは生きていて
君は死んで  いる

晴れ渡った眩い青空が言う
灰色の髪のオリーヴの木々が言う
君の愛した地中海からの穏やかな風が言う
君は死んで  いる
死んで  今ここにいる
君は決していなくならないと
それなのに何故
嘆かずにいられないのか

友竹辰へ

「いる」の効果が凄い。


あなたは行ってしまった
行ってしまったのに あなたはいる
私たちひとりひとりのからだに
思い出よりも生々しくたくましく
あなたはいる 今ここに

竹内敏晴へ


ぼくは今、肉体は洋服と同じように脱げると思っています。脱いだ後に魂が残って、魂がチョウチョみたいに宇宙に飛んでいく。だから、ぼくは死ぬのが楽しみ。どうなるんだろう、という好奇心があります。誰でも新しい経験はちょっと恐い。“ちょっと恐い”程度の怖さで、あとは楽しみです。

「信濃毎日新聞」より


やはり谷川俊太郎、好きだなあ。

中に出てくる人たち、全てを知っている訳ではないけれど、どの詩もその人に対しての想いが濃厚で、知らないけれど知っているいたような、知人だったような、そんな思い出があったような、一緒に悼んでは思い出す、なんとも不思議な感覚にさせられた。
嘆き悲しむというよりも、思い出しては刻んでいるような、お別れだけれど本当の別れではない、辛いけれどそれだけではないところに、とても惹かれた。

谷川俊太郎さんは、行ってしまった
それでも、きっといる
こうやって読まれて、生まれる
きっといる
チョウチョになっている 今ここに







1月28日(火)

昔に『BRUTUS』で紅茶特集があったようで、凄く見たい。



ただ2017年…大分前だなあ。流石に図書館にも置いてないよ、くぅ…。サラッと見たいだけだったんだけどなあ。地道に古書で探すか。



大岡信『新 折々のうた3』を読む。


鶯や餅に糞する縁の先

松尾芭蕉


松尾芭蕉がこんな句を詠んでいたとは。美しさを敢えて壊す捻れが面白い。






1月29日(水)

これが



こうなって



こう!ポップコーン!
(取った半分の量)


よつ葉のバター一欠片に、ろく助の塩をパラパラしたら、高級ポップコーンになった。美味しすぎる。罪深きなり。

映画『ビルマの竪琴』を観る。

2作目のカラーの方を観た。
小説を読んで好きになってから、ずっと観たいと思っていた。
読んでいたから、結末は分かっていたけれど、やはり切ない。水島の葛藤を思うと、胸が締め付けられた。

帰りたい、帰りたい、帰りたい。一緒に、行きたい!

そんな叫びが聞こえてきそう。

小説は、児童書テイストな感じがあってか、戦争といっても重すぎず、かといえ軽いという訳でもないのだけれど、楽しさもあってスラスラと読むことが出来た。
一方映画は、現実味を強く感じた。戦争の愚かさ、悲惨さ、苦しさが、小説ではあやふやになっていたものが突きつけられていた。夢のような甘さは一切ない。だからか、痛ましさ、水島の葛藤がより現れていて、戦争というものを一層考えさせられた。
とはいえ、小説・映画どちらが良かったとかはない。それぞれの良さがあって、むしろ両方体感することで、完成・完結するように思えた。
ただどちらかというと、小説を先に読むのが流れ的にはいいかもと思ったり。

内容とは関係ないけれど、映画の中で石坂浩二が出てきて驚いた。隊長という割とメインな役。最初は気づかなかったけれど、なんかこの独得な喋り方聞いた事あるなあと思って良く良く見たら、石坂浩二だった。びっくり。今自分がハマっているドラマ『ありがとう』の主役の相手役。でもきっと、『ありがとう』を観ていなかったら、気づかなかったというか、気にも止めていなかっただろうなあ。『相棒』にも出ているけれど、随分変わっているから。
『ビルマの竪琴』の石坂浩二は、『ありがとう』よりも少し歳をとっているけれど、面影は凄くある。少しダンディさが増していた。やはりカッコイイなあ。



そういえば、映画『ビルマの竪琴』の監督の市川崑と、脚本の和田夏十、何処かで名前見たなあと思ったら、谷川俊太郎『悼む詩』に出てきた人たちだった。凄い偶然…。悼むを読んだ時は知らない人たちだったけれど、知って読むと、やはり少し印象が変わる。
こういう繋がりって、本当面白いよなあ。



大岡信『新 折々のうた3』を読む。


眠りゐる妻子の耳のきのこめく寂しさはひとり醒めて見てをり

杜沢光一郎


いつも見ている妻や子の耳が、きのこに見えてくる。近しい、愛すべき者が異質に見えてしまう、それは確かに寂しい。それでも見続けるのは、愛情故なのだろうか。



市川崑さん、なんとなく調べたら和田夏十さんと書いた本を発見。

『成城町271番地 ある映画作家のたわごと』

だがしかし、紙の本が売っていない…絶版。ただ電子書籍は売っているようで。長年入手困難だったけれど、最近電子化して復刊したのだとか。何故電子…。紙で復刊して欲しかった…。
図書館にも置いてないし、絶望的~。(ぺこぱのシュウペイ風に)






1月30日(木)

沖縄のテーマパーク…。土地の7割を基地に取られているのに、尚且つテーマパークですか…。ということは、住めるの2割くらいしかないのではないかえ。その上わざわざ自然を壊してまで作るとは…なんとまあ罪深き。結局金金金ということでございましょうか。人が集まるということは、ホテルが増えてまた木を斬って更地にして、人が増えるということはそれだけ踏み荒らされ…つらいぜよ。沖縄の人は何を思っているのだろう。なんでもなんくるないさーで片付けてしまうのだろうか。この先、それで片付けられるのかな。元に戻すのは大変だよ。



大岡信『新 折々のうた3』を読む。


骸骨のうへを粧(よそひ)て花見かな

上島鬼貫


肉の下は皆骸骨か、面白い。浮かれをピシャリですね。



島塚絵里『自分らしく生きる フィンランドが教えてくれた100の大切なこと』を読み始める。

昔からフィンランドに憧れていたけれど、最近よくフィンランドの考え方や生活の仕方を聞く機会があって、それがとても良くて、もっと知りたいなと思って読んでみた。


ないものばかりに目がいって、追い求めてしまいますが、あるものは案外見落としがち。あるものに感謝することは、気持ちよく日々を過ごす秘訣かもしれません。


これがない、あれがないと嘆くよりも、あるもので作ってしまったら案外悪くない。「ない」という余白のある状況は創造性を活かすチャンスなのかもしれません。

確かに確かに。






1月31日(金)

島塚絵里『自分らしく生きる フィンランドが教えてくれた100の大切なこと』を読み終わる。

個人的に良いなと思った大切なこと。


不便さを楽しむ

「ない」から生み出す

あらゆる感情を受け入れる

うらやむよりも憧れよう

怒りを引きずらない

仕事がすべてではない

大事なものをたくさん持つ

期待しない

人のせいにしない

古いものを大事にする


特に古いものを大事にするのは、大切だよなあと思った。少し高くても良いものは、長持ちする。それを家族や他の人が受け継いでいく、そういうのってなんだか素敵だし良い事だよなあと。
新しいものが良いものとは限らない。新しくて安いものは、最初はいいけれど、直ぐに飽きてまた新しいものに目がいってしまう。捨てては新しいものに変えていく。そういうのって、なんだか悲しい。何かを大切にする気持ちは大事だと思うし、そういうことからなのではないかなあと思ったり。

フィンランドは、国としても人としても自立した人が多く、尚且つ自分たちの国にあるものを大切にし、自然と共に生きていこうとしている姿勢が良いなと改めて思った。
日本以外の国で暮らすとしたら、やはりフィンランドがいいなあ。冬は寒いし太陽がなくて大変だろうけど…(そもそも暮らさないけど)。
それでも学ぶことは多い。もっと色々な本を見て、良い成分を取り入れたい。行けない分も、本で堪能したいな。(行った気分になって)




国木田独歩『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』を読む。
「竹の木戸」を読み終わる。

そこそこ裕福な家族と、その隣のボロ屋で暮らす夫婦。
夫婦に木戸を作るのを頼んだけれど、竹で出来たあまり良くない木戸で、泥棒が入るのも防げそうになく…。

んー、救いがない…。
意図が読み取れなくて、ただただ虚しいというのか、切なかった。






2月1日(土)

自分の中で、空前の寒天ブームが来ている。
砂糖少々に茘枝酒を少々入れて、缶詰ではない、生の蜜柑(大きめ蜜柑の薄皮を剥いて使う)を入れた、シンプルな寒天。(尚且つ固め)
生の蜜柑だから、甘すぎなくて、思わずパクパク食べてしまう。無限に食べてしまいそうになる。かなり危険。茘枝酒を入れることで、少し杏仁のような風味になるのも良い。(水ではなくて牛乳を使うと、まさに杏仁になる)

もう何度作っているやら…。1ヶ月で、6~7回は作ったような…もしかしたらそれ以上かも。ハマるとそればかり食べてしまう悪い癖。
その前はもずくにハマって、そればかり食べてたなあ。味なしのもずくを、味噌汁に入れたり蕎麦やうどんに入れたりするのが最高。(夏は素麺に混ぜても良き)
酢もずくはそこまでだったから、遠ざけていたけれど、味なしは本当にほぼ何の味もしないから色々使えるし、独得な食感が堪らぬ。
結構たくさん入って売っているけれど、冷凍すると長く持つから、長く楽しめる。身体にも良いしね、優秀だもずく。



大岡信『新 折々のうた3』を読む。


逢ひにゆく雲抱くやうに花だいて

長谷川双魚


「雲抱くやうに」にやられた。そっとね。柔らかな愛情に微笑ましくなる。






2月2日(日)

恵方巻きの本来の意味を知ってからというものの、恥ずかしくてこの時期が来るとそわっとする。遊郭が発祥だとか…。それを嘘と言う人もいるけれど…まあイベントがなくなると困る界隈は多いもんね。

でも海苔巻きは大好物だから、別の日に食す。というか結構頻繁にやって気がする。レタス、キュウリ、ツナマヨ、カニカマ、沢庵、甘い卵焼き、のシンプル海苔巻き。沢庵は無添加のあまり甘みのないやつだけれど、その分卵焼きが甘いから、甘みと独得な塩っぱみが絶妙で堪らぬ。

ちなみに沢庵は「マルシマ」の玄米黒酢たくあん、これがまた美味しい。多少の酸っぱさの中に多少の甘みがあるというか、癖になる味。普通の甘い沢庵に慣れていると、最初は甘くないのが衝撃で違和感を覚えるけれど、二三口食べて慣れるとこれが堪らなく美味しく感じる。もう止まらないやめられない。ご飯とも相性抜群。食感もポリポリと歯ごたえがあって、最高。尚且つ常温で長持ちするから、保存食にも良い。



北澤平佑『ひげが ながすぎる ねこ』を読む。絵本。

ひげが長すぎて毎日大変な猫の話。
踏まれたり、子どもに遊ばれたり、ひげが長いと嫌なことばかり。それでも短くなってしまうと、何だか物足りない気がして…。

ひねくれ猫が、可愛すぎないところに愛嬌があって、微笑ましくなった。
北澤さんの描く猫、なんだか好きだなあ。




『対談 日本の文学 わが文学の道程』を読む。
「宇野千代・川端康成・丸谷才一」編を読み終わる。

萩原朔太郎の話が興味深かった。


川端  宇野さんは、萩原朔太郎さんはどうなんですか。詩というより、芸術家としての人柄でしょうか、影響というと。
宇野  多少はあると思います。でも住んでいる世界が違うんですね。私と一緒に散歩することがあっても、話というのが、いつでも天体のこと。(略)家庭でもその延長でしょう、あの方は。
川端  萩原さんというのは、いい人だけれども、亭主としてはまったく困りものでしょうからね。
宇野  本当にいい人だけれど、浮世のことに全然無関心なんですね。
川端  萩原さんの家にみんな集まって、ダンスをしましたね。不思議な話ですよね。萩原さん自身踊っていましたよ。僕も一ぺんだけ教わったんですが。
宇野  毎日のように行って、二階でダンスをしあうんでしたね。萩原さんて踊りがとてもお好きなの。


ダンス好きなのは驚いたし、川端康成が教わったことがあったことも驚き。それにしても「住んでいる世界が違う」後に「住んでいる世界がこの世ではない」と出てきたけれど、言い得て妙だなあ。確かに。
そしてやはり家庭的ではなかったのか。






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様に良い巡り合わせがありますよう、祈っております。
ではでは。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集