「亡くなった兄の分まで幸せに。家族の笑顔が私の喜び」ある英語講師の願い
インタビュー開始後2分、私は一瞬、自分の耳を疑いました。彼女が「My brother was killed.」と言ったからです。
私は毎朝オンライン英会話を受けています。その中で知り合った21歳の女性についてインタビューすることに。私は、インタビューする際にいくつかのテーマを設けています。その中から彼女に好きなものを選んでもらい、話してもらいました。彼女が選んだのはファミリー。彼女の家族は、どんな人たちなのでしょうか。彼女の家族に対する思いとは?
「なぜ兄は帰ってこないの?」
彼女は、現在フィリピンのセブ島に家族と一緒に住んでいます。彼女は7人兄弟の3番目。でも一番上のお兄さんは亡くなり、一番下の妹は血がつながっていないといいます。
「兄弟は本当は7人なんだけど、今いるのは6人。一番上の兄が21歳の時に亡くなったの」
「21歳ってまだ若いよね。なぜお兄さんは亡くなったの?」。彼女に尋ねてみました。
「兄は、殺されたの。その日、兄は友達と一緒に大きなイベントに参加していたの。そこで兄の友達が不良グループに絡まれ、兄の友達とケンカになって。それで彼らに目をつけられていて。兄は友達と似ていたから、友達と間違えられて殺されてしまった」
彼女や彼女の家族が兄の死を知ったのは、亡くなった2日後。2011年のことだったといいます。当時彼女は11歳。
「なぜ兄は帰ってこないの?とみんな疑問に思っていたの。警察から連絡があって兄の死を知ったときは、本当に悲しかった。悲しいことはそれだけじゃなかった。兄は働いて家族のためにお金を家にいれてくれていたけど、その兄が亡くなってしまったから家族みんなが生活していくのに困ってしまって」
彼女のお兄さんは、マクドナルドのクルーの仕事をしながら、セブマクタン空港の公共交通事業の仕事をしていたといいます。そのあと、2番目のお兄さんと一緒にLTFRB(陸上交通許認可規制委員会)で働いていました。とても優秀な人だったんじゃないかと思います。
彼女のお兄さんが亡くなった時、彼はまだ21歳。これからやりたかったこともたくさんあったんじゃないかと思います。長男として家族の生活を支えるため、自分の夢を叶えるために仕事をして、たくさん収入を得て生きていくはずだったのに。とても無念だったでしょう。
兄の死で家族の生活は一変
彼女のお父さんは、マニラに出稼ぎに行っていたものの体半分にまひが出てしまい、働けなくなってしまったといいます。彼女のお母さんは、ベビーシッターやマッサージなどをして収入はあったものの、お兄さんからの収入が途絶えたために、仕事を増やすことに。
「母は、トラックで砂を川に運ぶ仕事を始めたの。トラックで1回砂を運ぶごとに700ペソ(日本円で約1400円)。日中はとても暑いし、力仕事だから大変だったと思う。私は私たちを育ててくれた母にとても感謝してる」
数学が得意だった兄。でも進学は難しかった
彼女の2番目のお兄さんは、とても賢くて成績もよかったそう。
「兄は数学が得意だったの。とくに数学がよくできた。でも、小学校を卒業する時、母が兄の進学にかかる費用を出せないという話になったの。それで兄は司祭と修道女の主催するカトリックに進学したんだけど、私たち家族は兄に1年に1回しか会えなくなってしまった。
兄はそこでITについて学び、大学に進学することに。母は兄が進学するために、ベビーシッターの仕事をして、2年間の大学に通わせた。でも、そこは大学というほどのものではなく、とても小さな学校だった。今、兄は公共事業をやっている会社とフランチャイズでタクシーの仕事をしながら働いているよ」
返済不要の奨学金制度がスタート。進学への道が見えてきた
彼女が高校生の頃、セブ市では奨学金制度がスタートしました。ここで少しフィリピンの教育制度についてお話します。日本では、義務教育は小学校6年、中学3年の合計9年ですが、フィリピンでは義務教育は幼稚園が1年、小学校が6年。中学4年、高校が2年の計13年間です。でもこれは2013年に改正された制度。それまでは、幼稚園(5歳スタート)が1年、小学校6年、中学がなくて高校4年の合計11年間でした。
2014年、セブ市で返済不要の奨学金制度がスタートしました。彼女はこれを聞いてとても喜びました。
「奨学金を受けられる制度ができて、私はすごく嬉しかった! だって進学できるから。私は勉強するのが好きだったし、いい仕事についてたくさん給料をもらうためには進学する必要があったの」
彼女は学校での成績がよかったため、無事に奨学金を受けることができ、セブ市内の大学に進学することができたそう。
「学校に通えたのは嬉しかったんだけど、うちは裕福じゃなかったから。友達はいつもおいしそうなランチをしていたけど、私はいつも同じものばかり。時々お金持ちの隣人が皿洗いの仕事を頼んでくれて、1回で40ペソくれたの。家庭教師のアルバイトもしたよ。そうやって生活費を稼いでいたの」
義務教育制度があっても学校に通えない子どもたち
日本の義務教育は9年。それに対してフィリピンでは13年間。4年間の差は大きい。しかしフィリピンでは、義務教育であってもすべての子どもが学校に通えるわけではありません。学校に通うためには文房具や昼食代、課外活動費、PTA会費などいろいろお金はかかります。
日本でも、公立の学校に通っていても毎月の引き落とし金額はそこそこかかってきます。学年が上がれば金額も増えるし、子どもが複数いたらかかる合計金額も当然高くなります。
そのため貧困世帯を中心に、途中で学校に行かなくなることもいます。また、昼間は学校に行っても、自宅に戻ったら家の手伝いをするため、宿題など勉強をする余裕がなく、ついていけなくなる子もいます。こういった状況をなんとかしようとして作られたのが、スカラーシップという給付型奨学金なのです。
日本でも、今多くの大学生が進学のために奨学金を受けていますが、基本的には返済型です。そのため大学を卒業して何年も返済に追われる学生が多いのが現状です。話を元に戻しましょう。
弟は勉強よりも仕事が好き。でも彼には進学してほしい
「私のすぐ下の弟、4番目の兄弟の話をするね。彼は今16歳で学生。勉強よりも仕事が好きなの。私は彼に‟大学に進学したら私みたいに語学学校に就職できるし、そしたら十分な給料をもらえる。おいしいものだって食べられる。あなたも勉強を続けるべきよ”と弟に話したの。彼は1年間働き、そのあと進学することを約束してくれた」
5番目は女の子。
「彼女は今15歳。私は妹にとても感謝しているの。妹は学校から帰ってくると、ひとりで家のことを全部やってくれる。部屋を掃除したり、洗濯をしたり、部屋を整えたり。私の制服も妹が洗って干してくれているの。だから私は妹にとても感謝している」。
6番目、彼女の血のつながっている兄弟の一番末っ子は男の子。
「弟は13歳なんだけど、彼はとても小さい。小学校低学年くらいに見えるかもしれない。でも、彼はとってもかわいくて、私は弟のことが大好き。弟はお金持ちの隣人のところで仕事を手伝っているの。夕方から夜まで働いてる。仕事は音響機器を扱うこと。弟は給料として1日300ペソもらうんだけど、音響についてたくさんの知識を得ていて、仕事のやり方も覚えている。彼はとても賢いと思う。ときどき多いなステージの設定なんかもやっていて、そんな弟を私は誇りに思ってる」
夜遅くまで働いて大丈夫かなと思うけれど、彼は仕事に夢中なのかもしれない。
血のつながりはないけど、妹は大切な家族の一員
7番目は女の子。彼女はもうすぐ10歳になります。
「一番下の妹とは、血がつながっていないの。彼女は私のお母さんがベビーシッターをしていたうちの子ども。私たち家族は、妹が生まれた1週間後くらいにはもう彼女のことを気にかけてて。妹の本当のお父さんもお母さんもとても忙しい人で、妹が起きているときにはほどんど家に帰ってこなかった。妹には血のつながった姉が1人いるけど、彼女は21歳だから仕事をしていて家にいない。妹は家にひとりぼっちになるから、それでよく私の家にきていたの」
「母は、妹を自分の家に帰りなさいといって連れていこうとするんだけど、妹は‟こっちが本当の家だから帰りたくない。私のママとパパはここにいる”というの。妹は、私の両親のことをパパ、ママと呼んでいて、私たちのことも本当の兄弟のように思っていたから」
妹さんの本当の両親はどう思っているんだろう? 私は彼女に尋ねた。
「妹がうちの家族を自分の本当の家族のように思ってしまったことに対しては残念に思っていると思う。それで母にお金を渡して妹の世話を引き続きしてもらうようになったの。妹は普段は私の家にいて、時々自分の家に帰るよ。自分の家に帰れば豪華な食事が食べられるのに、我が家がいいって戻ってくるの」
妹は、他の兄弟ともとても仲がいい。ずっと一緒にいて、本当の兄弟のように育ってきたから当然かもしれない。
父や家族がいることに感謝し、兄弟たちに必要な教育を受けさせたい
私は彼女に尋ねた。「あなたの望む未来は?」
「私は、これからいっぱい稼いでリッチになって家族を助けたい。生活費にお父さんの薬代にと、お金はいっぱいかかるけど、私たち家族は助け合ってやっていけるから大丈夫」
「一番上の兄が亡くなってとても悲しかったし、寂しかった。だけど、それをモチベーションにしてなんとかここまでやってこれた。私は弟たちに私のような経験をしてほしくない」
「家族に快適で穏やかな暮らしを過ごさせてあげたい。そして兄弟全員が希望する学習課程を修了させたい。その夢を実現させたいし、そうできるように願っている」
「家族の思い出には悲しいこともあれば、嬉しいこともたくさんある。父の60歳の誕生日に近所の人を招待してみんなで一緒に祝ったり、61歳の誕生日には一緒にシラマ(※)の教会に行き、神に祈ったの。あの聖地にいる神様、とくに私の父の人生に授けられたすべての祝福を一緒に祈ったり、感謝したりしたことは、とても印象的だった」
自分が将来どうなりたいかよりも、家族全員の幸せを願うところが彼女らしい。兄を亡くした彼女の家族への深い愛情なのでしょう。
今回、彼女が選んだテーマは「家族」でしたが、また別の機会に違う話も聞いてみたいと思います。
※セブ島にあるキリスト教系の教会。「涙を流す聖母マリア像」が発見されたことから「奇跡を呼ぶ」教会と言われる。