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ある人間の逃避行

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ある人間の逃避行

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今日は2月18日だった

今日は2月18日だった ふとスマホの日付をみて、なぜか安心した なぜかはわからなかったけど、辛いと覚悟していた2月がもう18日も過ぎようとしていることに、時の過ぎる時間の速さを憶えて嬉しかったのだ 仲の悪い祖母が入院をした 高血糖なのに薬の全部捨てていたらしい 少し認知症を患ったともきいた それでも私は電話に出なかった 尚もかけることをしなかった そんな自分が情けなくもあり、同時に精神との戦いだと意気込んでいた ただの意固地になっているだけに決まっていた 泣けばいいのだ

    • 今更『After sun/アフターサン』の感想を書く

      あらすじは各自で読んでおくように。 最近私の中で話題のポールメスカル。そろそろNormal Peopleも見ないといけない使命感で現在生きています。 表題ですが、実際に鑑賞したのは公開されて半年後、で今日から一ヶ月前くらいにサブスクで観ました。 正直何かすごいものを見せられたぞ…!!ってわけではないし 涙を流したわけではないのに、まだこの映画のことを考えている、というのが私の中で言葉のいらない素敵映画として認識したのだと思うので、拙論ですが悪しからず・・ 何が良かったの

      • 理想と願望とわたし

        私はどこで塞がっている 私はどこに追い詰められている 私はどこかへ逃げ出したいと思っている 他人のことを考えると、 それがたとえば勝手に想いを募らせている人だとしたら 恋とは浅ましく愚かであるし、その時間は無意味なユートピアでしかない こうなってほしい こうなるはずなのに と思うことって多分何一つ実にはならなくて そういう小さな期待はずれの落胆が人をつまらなくしていくと思っている 激情に生きる というのは、思う何倍も心が燃えるだろうし、薪を焚べて焚べて 絶やさない努力

        • いいじゃないか

          あしたここにひとつの全てを包む爆弾が落ちてしまえば すべてはなくなる この前入った保険も 積み重ねている退職金も 努力も美も恐怖も ぜんぶ何も残らない 生きた人間だけが残る 生き残った事実が残る その虚しさが残る 全ては最初から虚だったはずだ 生み出すことは消えていくこと 失うことだ 得たものは壊れるし、奪われるし、崩れて、消えていくのだ いいじゃないか 死にたいと思った人が今にも死にそうな顔をしていなくたって 逆に楽しくてたまらないという顔をしている人が 明日死んでも

          ノータイトル

          死にたいと思ったわけではないけど 映る鏡に死にたい顔は見当たらなかった 自分が何をしたいのかも すべては酔狂のように思えて 生きてることがひどくつまらなくて なおもそれを辞めてみる勇気もなく すべては離せず壊してしまうのかもと 何も持っていないくせに 他人のものほど羨ましく映るのは何故なのか わたしはわたしでいなくてはならない でもそれすら重くて苦しい わたしだけの、生のかたちであったはずなのに 何もなれないのなら 何もいらないのに でもそんなこともできない 理想

          ノータイトル

          生は担うに重い、だが諦めるにはあまりにも美しい

          まだ私は若くて未熟で、それでもって理想と現実の隙間に希望を捨てきれない若者である。あるときは子供であることを恨み、あるときは大人になることを拒む。子供のままでいることもできず、かといって大人にもなれない、哀れで醜い愛しい私。世界に私を救えるか?(byモロ) 生きるために、背負わなければならないもののなんと多く、重いことか。貰えもしない年金なのに、なぜ厚生年金はあんなにも引かれるのだろうか?リアルに。大真面目に。識字率も高い、教育格差はあれど教育を受けられる国のくせして若者は

          生は担うに重い、だが諦めるにはあまりにも美しい

          グレタ・ガーウィグにありがとうを伝えたい

          映画『Barbie』を観た。 観た後に誰かと話したくなる映画ってあると思うんだけど、この映画は自分ひとりで抱えたいタイプの映画だった。みんなに観て欲しくてたまらないのに、どう感じたのかは私だけのものにしときたい映画だ。 観ていていろんなネタが出てくる。皮肉もあるだろうし、映画のコメディー要素も考えているんだろう。でも実にふざけていて、真面目なとこもあってこのバランスとテンポで、女性の抑圧と、そして男性性とも向き合っていこうとしているのか、スゲエなと思った。 これは決して完

          グレタ・ガーウィグにありがとうを伝えたい

          戒めとして

          社会に出て四ヶ月が経とうとしている。 予想していたように、私はおそらく仕事ができるタイプではないらしい。 メモを残すことを忘れたり、人が喋っている環境は意識が集中できないし、そもそもの自信のなさを自分の存在理由の無さに紐づけたりして、毎朝袖を通しながら今日を生きる言い訳を考えている。 予想していた通りになった、と冒頭で答えたが、実際はそうではない。 私はきっとそうなるように生きている。自分の意識は自分の思う以上に呪われている。「新しい自分」として朝を迎えても、昨日の夜の覚悟

          戒めとして