理想と願望とわたし
私はどこで塞がっている
私はどこに追い詰められている
私はどこかへ逃げ出したいと思っている
他人のことを考えると、
それがたとえば勝手に想いを募らせている人だとしたら
恋とは浅ましく愚かであるし、その時間は無意味なユートピアでしかない
こうなってほしい
こうなるはずなのに
と思うことって多分何一つ実にはならなくて
そういう小さな期待はずれの落胆が人をつまらなくしていくと思っている
激情に生きる
というのは、思う何倍も心が燃えるだろうし、薪を焚べて焚べて
絶やさない努力をし続けなければならない
でもそれっていつまで続けなくてはいけないのだろう
と、思うと歩いてきた道をまた戻ろうとしてしまう
でも心は不滅ではないから
もらえると思って開けておいた容量が埋まらないのなら
ぽっかり何かが空いたままこれまで通りに生きていくフリをしなくては。と思う
その努力が恐ろしくて、羨ましくて、結局のところできないでいるのだ
傷つくことが恐ろしいのかもしれないし、
何もできない自分だけど、聖なる天蓋の中で守られているのだ
プラスはないけど、マイナスもないのだから
私の好きな「ゼロ」状態なのだ
行動しなければ何も得られはしないと、どの主人公も言うのだけれど
「静」の強さがあってもいいじゃないか、と反抗したくなる
そんな自分が好きなんだろうと言われると、まあ実際はそうだと思う
けど、
「あなたは私を拒絶できても、この私は私と生きていかなきゃなのよ」
と、サウタージみたいなことは恐らく真理であるから気にしてはいない
わたしはわたしのものだ
私は私に苦しめられている
これが能動的ニヒリズムなのだろうか、先生