戒めとして
社会に出て四ヶ月が経とうとしている。
予想していたように、私はおそらく仕事ができるタイプではないらしい。
メモを残すことを忘れたり、人が喋っている環境は意識が集中できないし、そもそもの自信のなさを自分の存在理由の無さに紐づけたりして、毎朝袖を通しながら今日を生きる言い訳を考えている。
予想していた通りになった、と冒頭で答えたが、実際はそうではない。
私はきっとそうなるように生きている。自分の意識は自分の思う以上に呪われている。「新しい自分」として朝を迎えても、昨日の夜の覚悟は虚しく、結局は同じ場所を永久に彷徨っているのだ。
さて、ここで考えを整理しよう。五ヶ月ぶりに文章を書くわけだが、私はやはり書くことが好きだ。エクセルが苦手なのもきっと自分にとって無意味に近いからだ。あんなものは作業だ。人間の私がやらなくても良い。というかこの世に在る仕事は、おそらく誰でもいいのだ。本当に必要なものなんて、芸術だけなのだから。だからこそ、私じゃなくていいなら、苦手なことなんてやりたくない。だから私はいつまで経っても、表計算ツール、データ管理ツール、なんていう作業の、作業による、作業のための代物が一向に好きになれない。
という鬱憤を書いた上で、私は文章を書くことが好きだ。やはりエッセイストか、ウェブライターにでもなっておけばよかった。答えのないものがいい、デザインとか。だけど、それも周りに回ってここに辿り着くだろう。仕事なんてクソほどつまらんと。アナキストの先生が言っていたことはおそらく本当だったんだ。いかにも私のしていることは"Bullshit jobs"だ。みんな生真面目に働いているけど、笑ってしまうほど意味はない。繰り返しの作業なのだ。私にとっては、「何もない机の上に何時間も手を置いてみてください」、と言われているのと同じくらい形式的な作業なのだ。思考の存在しない、いやむしろ思考を求められない労働だ。だから、木の上で眠るのと同じくらい、無意味に耐える練習をしているのだと今は思うことにしている。そして、話を戻して私は自分の考えを残したい。この世界は言語化できるものばかりでなくとも、私は文字を通してそれに触れたい。
それらを踏まえて、私はこの人生をより良く(マシなものに)するためにはどうすればいいか、にこだわる。これが難しい。いや、この答えのない問いが私なのだ。この混沌と葛藤なければ、この私さえ私でなくても良くなってしまう。
これは執着だ。醜くも愛しい私の形である。
そして、戒めとしてここに残そう。
現実と理想を混同するな。
それは卑しく生きるための知恵としてではない。
理想を守るために、現実をこちらの世界に入れてはならない。
夢に見てもダメだ。考えるのももってのほかだ。
会社を出て、社員証を外し、カバンの中にしまったのなら、次の朝まで触っちゃダメだ。
社会は個人を管理しようとする。思考まで、規律の中に閉じ込めようとする。そんなとき、私はどう向き合おうか。私は理想の世界から来たスパイだ。だから、現実の時間だけはうまくやろう。私の一部だけ貸しておこう。
誰にも取られるな。私は私だけのものだ。