事故から1年、薬とリハビリを卒業しました
複業ライターのラヴィです🐰実は昨年の秋、交通事故に遭いまして……それからずっと通院中でした。体の方は半年ほどリハビリを続けてだいぶ回復しましたが、心の回復に1年ほど時間がかかってしまい。本日、晴れて心療内科を卒業できて嬉しい💕ので、本日は事故から回復までの軌跡をnoteでご報告させていただきます。
交通事故、当日のこと
「ドアが開かない!」車で通勤中、私は運転席で焦っていました。
会社の代表として働いていた私は、通い慣れた事業所まであと5分で到着…というところで車をぶつけられました。
相手は年配のおじいさま、よそ見運転をして私の車に気がつかなかったそうです。
事故直後は自分でも不思議なくらい、冷静だったと思います。
警察を呼んで事故現場の写真も撮り、保険会社に連絡をして…自分で整備工場まで車を修理に持っていくことができたほど。
翌日からあんなに体調を崩すなんて、その時は思ってもみませんでした。
事故翌日からのこと
「車は加入保険でも直せるから安心〜」と思っていた翌日、お布団の中で目覚めた私は体の異変に気がつきます。
首から肩にかけて激しい痛みと熱っぽさがあり、右側を向くことができません。
「寝違えたかな?」と思いましたが、家族が「事故の影響かも!」というので、念のため仕事を休んで整形外科を受診しました。
整形外科の受付で前日に事故に遭ったことを伝えると、交通事故は健康保険が使えないと車の保険会社へ連絡するよう促されました。
レントゲンを撮ると、首の一部の骨に異変が見られ炎症もあったので「頚椎捻挫(けいついねんざ)」の診断。いわゆるムチウチですね。
首肩の痛みの他、右手に力が入りにくかったので、炎症がおさまったら運動リハビリを行うことになりました。整形の先生にしばらく安静にするようにと言われ、その日は湿布をもらって帰り、自宅で静かに休みました。
安静とは?
安静の度合いを聞きそびれ、受診日の1日だけお休みして、翌日から通常通り仕事へ。私は帝王切開手術の翌日でも、痛み止めなしで歩いてトイレに行く人だったので、痛みに強い(にぶい?)ほうだと思います。
なので、先生のおっしゃる安静と、私の考える安静に差があり、先生は「1週間後の受診まで仕事をお休みしてね」の意味で言ったようですが、私は激しい運動をせずに内勤ならOKだと考えて、翌日から出勤していました。
次の受診の際にお互いの安静の違いが発覚して「そうか…仕事してたのか…ハハッ…」力のない先生の笑いを見て、これからは指示内容をしっかり確認しようと反省しました。
運動リハビリ
事故後2週間が経ち、首周りの炎症も落ち着いたので、2日に1度の運動リハビリが始まりました。体を温めたり電気治療をした後、担当のPTの先生がついて体をほぐしたり痛みを感じないような体の動かし方を教わったり。
家でもできるストレッチや、首に負担のかからない姿勢など、PTの先生に教わったことは今でも活用しています。
また、待合室で人生の先輩方のお話を伺って、自分だけが大変じゃないってたくさんの勇気をいただきました。
車がこわい
運転席のドアが開かなくなるほどぶつけられたので、修理に出した車が戻ってくるまでは、往復タクシー通勤。でもなぜか車に乗るとドキドキして手汗をかくようになりました。その時は「車の暖房のせいかも?」とあまり気にしてませんでした。
そして修理から戻ってきた車で、娘①に職場まで送迎してもらっても「またぶつけられるのでは?」とこわさを感じてしまい、同乗中は目的地に着くまでギュッと目を閉じて乗っていました。
そのうち車だけでなく、車が行き交う大きな道もこわくて歩けなくなり……自分の意思とは関係なく、涙がポロポロ出るようになりました。
心療内科を受診
その頃、会社で運営していたメイン事業は福祉施設。そこに通う子ども達の前でも、ふいに涙が出ることが増え、自分でもこれはおかしいと感じ始めました。
リハビリに通っている整形外科の先生に相談したところ、心療内科の受診を勧められ、紹介状をいただき受診予約を取りました。
心療内科では初診の際、いろんな心理テストを受けました。その時のテスト結果を後でお聞きしましたが、自殺を考える人のレベルくらい悪かったそう。
カウンセラーと少し体調について話した後、先生の診察室へ。
いろいろ質問に答えて、ついた診断名は「交通事故による適応障害」
仕事はドクターストップがかかり、3ヶ月ほど休職することになりました。
心療内科を受診する前は、夜も眠れずお酒を飲んで寝ていたので、睡眠薬と安定剤を処方され、定期的に心療内科を受診することになりました。
自分の体なのに自分の意思通りに動かない。会社でやることもたくさんあるのに出勤できない。そんな状況に焦りを覚えましたが、本当に何もできず。
休職期間は行政への報告や職員の給与支給など最小限の事務だけをスタッフの手をかりてなんとか行い、家事も家族に任せて、通院する以外は横になり天井だけを見て過ごしていました。
休職期間中、首が痛くて寝返りもできず、ずっと仰向けで寝ていたので、おしりに褥瘡(じょくそう・床ずれのこと)ができたほど。寝たきりの方の体位変換の大切さを実感しました。
元気な末娘に救われた私
上の子ども達は自分のことは自分でできるようにしてきたので、私が動けない間も家事全般は大丈夫。(ヤングケアラーさせちゃいました💦)
大変だったのは、元気いっぱいの末娘の相手。
週末やコロナなどで保育園がお休みの時、末娘は1日中寝ている私のそばにきて、絵本を読んでくれたり、外で見たお花や蝶のお話をしてくれました。
「かあさま、いつまで寝てるの?」と聞かれて涙ぐむ私に、ティッシュや飲み物をを持ってきてくれたり。「元気になったらお散歩いこうね」とお庭で摘んできたお花を枕元に置いてくれたり。
家事をサポートしてくれた家族と、見守ってくれた職場のスタッフ、そして元気な末娘のおかげで少しずつ起き上がれるようになり、事故から3ヶ月目で近くの公園までお散歩できるようになりました。
そして事故から5ヶ月後、小学校に入学した末娘と通学路を毎日歩いている間に、自然と車がこわくなくなり。頚椎捻挫も軽快して右側も振り向けるようになったので、心療内科の先生と相談し薬の量を少しづつ減薬。
広い空き地や誰もいない駐車場などで、車の運転を練習しました🚗
会社を廃業
心身が回復するまでに想定以上に時間がかかったので、事業の一部はスタッフに譲り、会社を廃業することにしました。廃業にかかる手続きが自分では難しい状態だったため、費用を捻出して社労士や弁護士に事後処理を依頼。
事業所の利用者さんや保護者の方、スタッフの皆さんには大変申し訳ないと思いましたが……事業をしていた頃の毎月数百万の支払いがなくなり、利用者さんやスタッフさんも各自新しい居場所が決まった時、代表としての肩の荷がおりフッと楽になりました。
今のところ、もう自分で会社をつくることは考えていませんが、社長としての貴重な経験ができたことに感謝しています🙏
事故から1年経った今
会社のことも落ち着き、体のリハビリも終了。メンタルも回復した今では自分で運転して子ども達とお出かけできるようになりました。
痛めた右手の握力は10kg以下で、ペットボトルを開けることはできませんが、PCのキーボードは打てるようになったのでライターの仕事を再開。
また、制作会社の知人より紹介されるイベント関係のお仕事にも時々入り、子ども達と生活する分はなんとか稼げています。
体調もほぼ回復した2022年8月には、Twitterとnoteを始めました。
Twitterは現在フォロワーさんが888名💕
noteは1500スキもいただけて感謝の気持ちでいっぱいです❤️
これからやりたいこと
まずは健康第一で過ごしたいと思います。
事故前ほどあれこれハードに動けませんが……
自分にできること、周りが幸せであること、そして子ども達が笑顔で過ごせることに注力して動いていきたいと思います🐰
ライターの仕事の他、憧れの文学賞に応募できるよう、小説の執筆もがんばります💻✨
いつも見ていただける方、初めての方も、複業ライターラヴィのこれからを応援いただけると嬉しいです〜
これからもどうぞよろしくお願いします😊
最後までお読みいただき、ありがとうございました🍀
スキやフォロー、コメントは励みになります✨
お返しに伺いますので、どうぞよろしくお願いします🐰