『個別最適な学びの足場を組む。』
タイトルを見て「どうせ流行り言葉(バズ・ワード)なんでしょ」「協働的な活動のほうが大事に決まってる」なんてご意見が聞こえてきそうです。
ましてや、帯に「みんな一緒、を手放す」なんて(編集者が)つけたもんだから「学校教育制度を否定する気か!」とお叱りを受けないかビクビクしながらも、やっぱり外せないキーワードだと考えてドカンと目に入るように大きく置いたわけです。
実は「どうせ流行り言葉(バズ・ワード)なんでしょ」に対する回答は、たしかに言葉としては新しいものですが、概念としては寺子屋や家庭教師以来の自然発生的で素朴な子育ての延長線上にあるものなんです。
「協働的な活動のほうが大事に決まってる」については、協働的な活動に力を入れている伝統校も「個」を非常に大切にしていたりします。
ここまではまあいいとして、なぜ「みんな一緒、を手放す」のか。やや説明が長くなりますが、おつき合いいただきたく。
日本の学校は、学習指導要領で定められた目標を達成するために必要な内容を、子どもたち全員に教えないといけません。それが子どもたちの社会を生き抜く力になると、限られた期間内に「教える」という使命を果たすには一斉画一的な(それも平均点周辺に合わせた)教育が効率がよいわけです。
一方で、学びの個性はみな違っていますから、本当に一人ひとりが生き抜く力を「身につける」ためには、それぞれの違いに合った「個別最適な学び」の視点がもっと必要になってきます。
多くの先生方は、その必要性をわかっていながらも、さまざまな制約があって極めてむずかしいと感じてるのではないでしょうか?
しかし歴史をたどれば、学校教育の限界に立ち向かっていく豊富な実践(「一人ひとりに合った教材・学習時間・方法などの柔軟な提供」と「自分の最適な学びを自力で計画・実行できる子どもの育成」)と、それを支える教育論がすでに存在してたことに気づきます。
本書は、そんな「個別最適な学びがむずかしい」と感じる先生方の疑問をとりあげ、著者が歴史的な理論や実践をもとに応えていくかたちで、読者が著者と対話しながら個別最適な学びに関する理解を深め、具体的な手立てにつなげられるような示唆を得ることのできる構成となっています。
いま、国が主導するGIGAスクール構想によって学校に1人1台端末が整備され、個別最適な学びを進める追い風が吹いてるのは周知の事実です。
また世界的には、多様性を受け入れる包摂的な社会が目指されており、画一性を過度に要求されることとは逆行しています。
行き過ぎた一斉画一的な教育は同調圧力をもたらし、子どもたちの生きづらさをも生み出しかねない……そんな同調圧力の負の側面を解消するためにも個別最適な学びの視点は必要ですし、一人ひとりの違いが育つことでこそ、多様な他社と交わったときに新たな知恵が生まれるのではないでしょうか。
つまり個別最適な学びは、けっして協働的な活動を否定するものではありません! 冒頭のお叱りがあるとすれば、この点への引っ掛かりがあるのではないかと推測します。
すべての子どもは有能な学び手であり、適切な環境さえあれば、自ら環境にかかわり学んでいくものだと、著者は言います。そして自ら学び進めるたくましさが育つと、協働的な活動もいっそう活性化するようになるんです。
求められているのは、一人ひとりの背中をそっと押すこと。そのために、偏った「みんな一緒」を思い切って手放してみること。
そんな教育の転換点にあることを、個別最適な学びを切り口に、みんなで語り合ってみませんか? という思いでできた、帯のコピーでした。
この本は日本の教育の未来を、子ども「たち」のための教育から子ども「一人ひとり」のための教育に解像度をあげていくことができると思います。
学校の先生向けですが、教育に関心のある方全員に手にとっていただければうれしいです(少々むずかしい内容もありますが、やさしい語り口で写真もたくさんあり、読みやすいですよ!)。
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