見出し画像

#35「終わり」の生かし方~きくちゆうき『100日後に死ぬワニ』より~|学校づくりのスパイス

 2020年から始まったコロナ禍では、学校のそれまで続いていた日常が突然途切れるという経験をしました。感染症自体には徐々に慣れつつありますが、元に戻れば万事OKというわけではありません。現在はむしろ、これまで惰性化してきた学校の諸活動のあり方を見直す、またとない好機であると筆者は考えています。

 今回はイラストレーターのきくちゆうき氏の『100日後に死ぬワニ』(小学館サービス、2020年)から学校活動見直しの手がかりを探りたいと思います。この本は氏が2019年の12月から一日に一話ずつツイッター上で公開した4コマ漫画を書籍化したもので曲、絵本、映画が話題になりました。

「終わり」は日常をドラマにする

 コラボ企画については何かと話題になった同書ですが、それは一連の企画が巧みに練られていたからと言うよりは、その背景にある演出の戦略が非常にシンプルであったからなのではないかと筆者は考えます。

 1日目から99日目までのたいていのワニの日常はテレビを見たり、ラーメンを食べたり、バスケやゲームをしたりといった、ごく平凡な毎日の連続です。ストーリー性のある展開といっても、バイト先の先輩に思いを寄せ始めたものの嫌われていると勘違いしてバイトをやめ、ひょんなことから気をとり直して先輩に告白し恋愛が成就したことや、ゲームが好きでプロゲーマーになりたいと思い、友だちのネズミに勧められて思い切って大会に出たものの、中1の子どもに惨敗したことくらいです。

 そして最後の100日目には桜が満開のなか、お花見に向かう途中にひよこを助けようとして事故に遭って死にます。

 しかし、本書の頁をめくっていくと、こうした何気ない日常も退屈ではありません。ページの上に「○日目」、ページの下に「死ぬまであと○日」と書かれているためです。この演出によって作中のワニの日常には特有のリアリティが与えられています。

 たとえば、死の7日前のトピックは、朝早く目覚めてしまったのでなじみの喫茶店に出かける……それだけです。しかし喫茶店で飲む同じ一杯のコーヒーでも、退屈しのぎに飲む一杯と、死の一週間前に飲む最後の一杯とでは味が違うはずです。読者はワニの日常を、これまでのように何気なく続いている日々の延長という視点と、あと一週間しか残っていない人生(ワニ生)の一日という視点の、二重の眼差しで見つめることができます。

 ちなみにこの二つの眼差しを、それぞれ「フォー・キャスティング」「バック・キャスティング」と呼ぶことがあります。私たちの置かれている状況やこれからとる行動を、過去から現在に至る線の延長として考えるのが「フォー・キャスティング」、未来のある時点から逆算して考えるのが「バック・キャスティング」です。

きくちゆうき『100日後に死ぬワニ』小学館サービス

やめられない学校

 学校という組織は概して「バック・キャスティング」が苦手です。物事を未来から逆算して考える習慣がないので、このままでは続かないことが内心分かっていても、前年踏襲をやめられず、やめられないから新たな取り組みをスタートすることもできなくなってしまっています。少し踏み込んで説明してみましょう。

 現在の学校に、全く意味のない活動というものはあまりありません。継続して取り組まれてきた活動には積み上げてきた効果や実績があり、そのことは学校評価でも確認され、活動を思い出してみれば、かかわった教員の苦労や子どもの笑顔が思い浮かぶことも多いでしょう。また、一生懸命推進してきた自分の同僚の心情に配慮すれば、それをあえてやめようと声をあげることを躊躇しても不思議ではありません。

 これに対して、未来のことはあくまでも推測でしかありません。それでも、これが企業であれば未来への洞察力が組織の命運を決めるので、必死になって未来を探ろうとしますが、学校は事情が違います。実績と愛着のある過去と推測でしかない未来とを比べると、未来の方はどうしても分が悪くなります。

 そこで年度末等の活動の評価を行う時期にぜひ提案したいのは、学校の活動に見直しの期限を設定しておくことです。今まで続いてきた活動でも、ずっと続けるのがむずかしいと見込まれるものについては、1年なり2年なりの期限を区切って「この活動を現在のかたちで続けるのはいつまで」というように終わりを設定しておくことです。

 終わりがあらかじめ決まっていれば、同僚の心情を心配する必要もなくなります。

 そしてもし、それが本当に児童・生徒にとって欠かせない活動であると皆が考えるならば、また新たなかたちで始めればよいのです。とくに問題なく進んでいる活動であっても、その気になって考えれば、もっとよいやり方は案外たやすく見つかるものです。

 メリットはそれだけではありません。終わりを決めておけば、そこには「100日後に死ぬワニ」効果を期待することができます。残された時間が限られていると知れば、人はそこで起こる経験や学びの意味を確かめ、これを別のかたちで活かしていくにはどうしたらよいかを真剣に考えるようになります。「最後の○○」が盛り上がるのはこのためです。

 経営学者のピーター・センゲが好んで使うたとえ話に「ゆでガエルの寓話」というものがあります。生きたカエルを熱湯の中に放り込むと慌てて飛びだそうとするそうです。

 けれども、カエルを水の中に入れて徐々に温度を上げていくと身動きすることなくゆであげられてしまう、というものです。

 実験してみたことがないので本当にそうなのかは知りませんが、変化が徐々に起こってくると、このままではまずいと知りつつも行動につながらないということは、学校の世界にもままあるはずです。

 コロナ禍で議論に火がついたオンラインの活用や個に応じた指導、校務の見直しなどはこれまでも再三話題になってきたことです。にもかかわらず、多くの学校や教育委員会では対応が後手に回ってきました。コロナ禍とは、いわばゆでられつつあった学校に熱湯が浴びせられたような経験です。これを機に思い切って鍋から飛び出してみてはいかがでしょうか?

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?