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#74 大切な「かもしれない」|学校づくりのスパイス(武井敦史)
【今月のスパイスの素】
ヨシタケシンスケ
『欲が出ました』
今回はヨシタケシンスケ氏の『欲が出ました』(新潮社、2020年)を手がかりに、「観察」という知の働きについて考えてみようと思います。
絵本作家として日本の学校関係者ならまず知らない人はいないであろう氏ですが、この本はいわゆる絵本ではなく、スケッチと解説つきのエッセイになっていて、氏の発想の背景にも楽しく迫っていけるところが持ち味です。
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学校と欲望のビミョーな関係
本書の冒頭にまず登場するのが、「納得欲」という衝動です。
「『考える』とは納得欲の強い人が自らを慰めるために行う活動なのです。欲望のひとつであるからこそそのゴールには『快楽』があり、快楽の一種であるからこそ他人と共有、共感ができるのです。(中略)理屈も理性も感情も『どの欲望に由来するか』という意味では同じものなのかもしれません」(7~8頁)。
本書には、この納得欲のほかにも、プチ欲が出たときの顔つきや、平らなところを求める「水平欲」など、人のさまざまな欲の観察結果が、(脱線しながらも)綴られています。
本書のテーマである「欲」という観点から考えてみると「学校」はちょっと特殊なところです。物欲、金欲、性欲、自己顕示欲といったものはかなり厳しく制御の対象とされる一方で、向上欲、知識欲といったものは教員の側からも盛んに刺激されてきました。
もちろんこれは、学校という機関が歴史的に果たしてきた機能に由来するものであり偶然ではありません。そしてだからこそ、学校が「特定の欲望を刺激している」ということに無自覚な場合が多いのではないでしょうか。
けれども欲は欲です。氏は「理屈を求める納得欲の対極にあるのが、『あるがままを受け入れる』という状態」(6頁)だと述べていますが、完全にあるがままを受け入れてしまったら、そこに勉強という「強いて勉める」行為が生まれる余地はありません。
では、社会……とくに今後の社会ではどうかというと、どの欲はダメでどの欲ならいいか、といった紋切り型の対処法ではうまくいかないことは明らかです。自己顕示欲は人前や知らない世界に踏み出す勇気を与えてくれるだろうし、物欲は新たなモノのデザインを生みだす原動力となるかもしれません。一方で、社会のなかで暮らしている以上は、欲望が無条件に許容されるはずもありません。
とすると、自分の「欲とどのようにつき合うか」という課題は、自分や児童・生徒のウェルビーイングを考えるうえでは不可欠なテーマとなるはずです。そしてこの種の課題を考えるときに重要になるのが、この本でも開陳されている「観察」という知のはたらきです。
「観察」とは何か
「観察」とは、ともすると「対象のありのままの姿を写しとること」と考えられがちです。けれども、つたない人の五感でありのままを写しとれるほど、物事というのは単純ではありません。人は(動物も)自身の感覚や経験のフィルターを通してしか、物事を認識することはできません。たとえば紙幣は人やヤギにとっては欲望の対象でも、猫にとっては木の葉と同じ単なる破片であるはずです。
観察とはむしろ、「対象の特徴を自分の文脈で解釈し直すこと」です。本書の表紙に描かれたヨシタケシンスケ氏自身のイラストは、メディアで目にする写真とそれほど似てはいませんが、氏のどこか飄々とした人柄はこのイラストからも感じとることができます。
氏は「僕は最近は引力の強すぎるものには近づかないようにしています」と述べ、その理由を次のように説明しています。「何か強すぎるものにひかれて、そこから戻ってこない楽しみももちろんあるんだけれども、僕の場合、結局自分が自分でなくなることの恐怖っていうもののほうが、勝るんですよね。で、そうまでして守るべき自分って何だ?って聞かれると、大したことないからこまっちゃうんですが」(36頁)。
このようにして、矛盾も含めて成立している自身や周りの世界を観察し、その人なりの対応術をあみ出していくことは、多様な価値が交錯するであろうこれからの時代には、ますます大切になってくるはずです。
本書に限らずヨシタケシンスケ氏の作品に頻繁に出てくるのが「かもしれない」というワードです。本誌2月号の記事で紹介しましたが、一つの現象から多様な仮説を導くことができるのが、(今のところは)AIには真似のできない「アブダクション」というヒトの知の特徴です。
仮説が豊かである、ということは物事を解釈する文脈が多様であるということであり、そのような人は、同じものを目にしても、よりユニークな観察ができるはずです。
筆者は過日、旅先で「ヨシタケシンスケ展」が開かれているのをたまたま目にして立ち寄ってみました。この手の展示会には珍しく撮影も許可されていて、中では写真のように氏が日常の気づきや空想をイラストとともに記した何千というカードが展示されていました。これらの無数のイラストメモを目にすると、氏のユニークな観察眼は、その素質や才能によるだけでなく、数えきれない思考実験に支えられたものであったということをうかがい知ることができます。
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まもなく夏期休暇です。学校の日常とアタマの中の仕事を片づけて、普段とはちょっと違った目で自分と世界を観察できたなら、人生航路の新たな光景に出合うことができるかもしれません。
【Tips】
▼ヨシタケシンスケ展はいろいろなところで開催されているようです。
(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)
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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし) 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。