#5 下手な報酬は組織の創造性を蝕む~ ダニエル・ピンク『モチベーション3.0』より~|学校づくりのスパイス
今回取り上げるのはダニエル・ピンク氏の『モチベーション3.0――持続する「やる気!」をいかに引き出すか』(大前研一訳、講談社、2010年)です。著者のダニエル・ピンク氏はクリントン政権下でゴア副大統領の主席スピーチライターを務め、現在はビジネス書の執筆をはじめ多方面で活躍している方です。今回はこの本をもとに、とくに教職員の動機づけのあり方について考えてみたいと思います。
人は何によって動くか
本書が主題としているのは、「人を何によって動かすべきか」という、学校を含む組織を考える際に最も基本的な問題です。この本ではコンピュータのOSになぞらえて、人を動かす動機づけを大きく三つに分類しています。一つ目は人間の生理的な欲求や衝動に基づいて人を動かす「モチベーション1.0」、二つ目は報酬と罰による動機づけによって人を動かす「モチベーション2.0」、そして三つ目はこれらに代わる持続的に作用する動機づけのかたち、「モチベーション3.0」です。
タイトルにもなっている「モチベーション3.0」の特徴は、次の三つの観点から捉えられています。第一に仕事に相当の裁量が与えられていて自己決定が可能な「自律性」(Autonomy)、第二に追求することによって価値ある仕事のスキルが上達していく「マスタリー」(Mastery)、そして第三にその仕事が人生の意味や社会の発展に貢献するという意味での「目的」(Goals)です。
有害な「アメとムチ」
「モチベーション3.0」の内容自体は本書だけにユニークなものではありませんが、筆者にとって本書から学ぶべき点が多かったのは、むしろ「モチベーション2.0」(いわゆる「アメとムチ」)の功罪について、非常に多角的に調べられていることです。なかでもとくに注目すべきは、「アメとムチ」が動機づけに「効かない」のみならず、多くの場合にそれが意欲や創造性を「低下させる」ことがしばしばあるという点です。
問題解決能力を測定するテストで報酬を用意すると視野が狭まってスコアが低下すること、保育園の子どもの引き取り時間についてルール違反の罰則を用意すると違反が増えること、献血に謝礼金を用意すると参加者が減ることなど、さまざまな根拠を提示しながら、賞罰による動機づけを与えることが、多くの場合かえって人のやる気や創造性を削ぐ結果になっていることを紹介しています。報酬をどのように出すかによって、人にとっての仕事の意味は変化するのです。
ダニエル・ピンク著、大前研一訳『モチベーション3.0――持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社
教員の仕事と動機づけ
さて、この視点から見ると教員の動機づけのあり方はちょっと奇妙です。というのも、この本で提唱されている「モチベーション3.0」のように、自律的で成長と社会貢献によって組織成員を動機づけることは日本の教員にとってはむしろ普通であり、逆に近年になって「勤務状況を踏まえた処遇」や「教師の意欲や努力が報われ評価される体制」が盛んに議論されはじめたからです。
学校の教員からはときどき「実際の労働時間からすると教員の給与は安すぎる」という不満を聞きます。確かに教員の時間当たりの単価は、定時に帰れる公務員に比べると低くなる可能性が大きいことは確かです。けれども、諸手当や能力給を導入したりすれば教員のモチベーションがアップして学校が改善されるかと言えば、ことはそれほど単純ではないことを本書は教えてくれます。
もちろん教員も人間ですから、給与も多いに越したことはありません。けれども、教員を突き動かしているのは経済的な報酬ではなく、もっと別の何かです。誤解を恐れずに言えば、制度的に見るとまぎれもなく給与は教員の労働の対価なのですが、気持ちのうえではほとんどの教員はそのようには考えていないはずです。
働き方改革で問われる動機づけのマネジメント
この本のおもしろさは、人にとっての仕事の「意味」を改めて考えてみるきっかけを与えている、というところにあります。教員に適切な処遇を用意することはもちろん大切です。が、処遇が労働の交換条件になり、かえって自発的な労働意欲が低下したら元も子もありません。仕事の成果と給与等の処遇とを直接関連づけないことにもそれなりの意義があるのです。
ただし、この視界を遮る努力もそろそろ限界に近づきつつあることもまた事実です。とくに「教員の働き方改革」の流れのなかで、教員のなかにもさまざまな労働のかたちが生まれ、さまざまな専門性をもつ人々が学校にかかわるようになれば、労働と報酬との関係を意識せずにはいられなくなってくるはずです。さらにボランティアや教員以外の専門スタッフについては、給与等の処遇面では教員同様の条件を整備することはむずかしいことが予想されます。
それだけにいっそうのこと、学校のリーダーたちは個々の教職員やその他のスタッフ、ボランティアの立場に寄り添い、それぞれの役割に固有の価値づけを行ったうえで、がんばって働くことで組織成員の一人ひとりが幸せになるように、あの手この手で工夫を加えていかなければならないはずです。また、個々の参加者の重要性を組織全体で共有できるように、リーダーは心を砕く必要も出てくるでしょう。
教育の仕事は多くの場合、労働と報酬の交換として見ると割に合いません。けれども、子どもを教え育むという営為は、人類が始まって以来の生きがいの源泉でもあるはずです。働き方改革は仕事の量的処理の問題だけではなく、労働の「意味」の改革でもあるということを学校のリーダーは常に意識したいものです。
【Tips】
▼ちなみに筆者のダニエル・ピンク氏はプレゼンイベントのTEDでも大人気です。
https://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation
(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)
【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし) 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)ほか多数。近刊に『地場教育』(静岡新聞社、2021年7月刊行予定)。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。