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#67 心の避難所が必要だ~松本俊彦『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』より~|学校づくりのスパイス

 寛容に見えて、一度法を犯したり、大きな過ちをしてしまったりした人々には徹底的に冷たいのが現代の日本社会であると筆者は考えています。
 
 けれども本当はそうした「すねに傷を持つ人々」こそ、助けを必要としているはずです。今回は「心の居場所」の問題について、薬物依存(アディクション)臨床を専門とする精神科医の松本俊彦氏の手によるエッセイ『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』(みすず書房、2021年)をヒントに考えてみたいと思います。

松本俊彦『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』みすず書房

薬物依存のリアリティ・ギャップ

 おもしろ半分で薬物に手を出したが最後、薬物使用から抜けられなくなり人生が破滅する。これがこれまでに筆者が聞いてきた薬物依存のストーリーです。ところが松本氏は「最初の一回、『ダメ。ゼッタイ。』といった話が定番化しているが、その真偽はかなりあやしい」(20頁)と述べます。薬物に手を出した多くの若者にとって、はじめの一回は拍子抜けで終わることが多く、それが大人への不信感につながっていると語ります(137頁)。
 
 そう語る松本氏自身当初は次のように考えていたようです。「おめでたいことに私は、『患者が薬物を手放さないのは薬物の害に関する知識がないからだ』と考え、薬物による健康被害のリアルを知れば、患者はビビり、彼らの行動は変わると確信したわけだ」(25頁)。
 
 もちろん説教によって薬物使用から抜け出せるわけでもなく、患者自身の言うこともそのつど変わるので、いたちごっこのくり返しであったと本書では語られています。
 
 ところが薬物依存症者の自助グループに参加したことから、治療の突破口が開けたと語ります。当初はこうした自助グループに怪しさを感じていたそうですが、冷やかし半分で実際に参加してみてそのイメージが一変したことを語っています。
 
 「自助グループとは、自分の過去と未来に出会い、仲間たちと自虐的なユーモアをシェアしながら、薬物のない今日一日を確認し合う場所なのか。そしてその場所は、病院でもお手上げで、『出入禁止令』を出さざるを得なかった依存症者まで受け入れ、彼の薬物使用を止める力を持っている……。驚きだった」(37〜38頁)。
 
 氏によれば、薬物依存症者の多くはトラウマを抱えているそうです。順調に依存症プログラムを終え、社会復帰したかに見えたにもかかわらず、その後ふたたび薬物を使用し、拘置所の中で自殺してしまった患者のことも語られています。そうした苦悩を分かち合う仲間がいてお互いに支え合う環境のひとつが自助グループであるのでしょう。
 
 こうした経験を重ね、氏は次の認識へと至ります。
 「薬物依存症患者は、薬物が引き起こす、それこそめくるめく『快感』が忘れられないがゆえに薬物を手放せない(=正の強化)のではない。その薬物が、これまでずっと自分を苛んできた『苦痛』を一時的に消してくれるがゆえ、薬物を手放せないのだ(=負の強化)」(55頁)。
 
 実際、薬物使用が止まっても過食・嘔吐や自傷行為へと、「モグラ叩き」のように嗜癖行動が変化する患者もいるといいます。そうした臨床経験から氏は次のように喝破します「『ダメ。ゼッタイ。』では、絶対ダメだ」(151頁)。

「ネガティブ・キャリア教育」を考えよう!

 薬物依存にまでは至らずとも、心の平穏を保つことのできる場所を持たないケースは現代社会では老若男女を問わず存在します。
 
 家庭がその場所になれば理想なのかもしれませんが、必ずしもそうではないことは教員であれば大抵は知っています。友だち、仲間はどうでしょうか? ここでもやはり、友人とも距離をとる若者が増え、何でも話せる親友を運よく見つけられるとはかぎりません。
 
 では、最後の砦であるはずの自分自身はどうでしょうか? それで心の安らぎを得られればよいのでしょうが、空間的に一人になったからといって社会関係や自身の過去から隔離されるわけではないことは松本氏も指摘するところです。
 
 しかしそれでも人には心の避難所が必要です。ある人にとってはそれが薬物や自助グループであったのかもしれませんが、人の性格や好みによってさまざまなパターンがあるはずです。それはスポーツであったり、グルメやアルコールであったり、自然であったり、ギャンブルであったり、アニメであったり、サウナや温泉であったりするかもしれません。
 
 精神科医の松本氏自身「依存症専門病院での診療が終わると、毎日のように繁華街の一角にあるうらぶれたゲームセンターに日参するようになっていた」(44頁)ことや、外車改造にハマった経験も本書には記されています。
 
 こうした心の避難所を見つけることは、もしかしたらやりがいをもって取り組むことのできる何かを見つけるのと同じくらい……またはそれ以上に大切なことなのかもしれません。やりがいをもたずとも生きていくことは一応できますが、心が逃げ場を失ってしまうと生きていくこと自体がむずかしくなり、時にそれを断念してしまうこともあるからです。
 
 とするならば、今後の不安定な時代を人が幸せに生きていくためにも「ネガティブ・キャリア教育」なるものを構想する必要があるのではないでしょうか。
 
 以前にこの連載で「解決できない状況に持ちこたえていく力」としての「ネガティブ・ケイパビリティ」を紹介したことがありました。生きがいをもって自分を発揮できる場所を見つけるのがポジティブ・キャリア教育の課題であるとすれば、困難な状況に直面しても安心できる心の避難所を見つけるのが「ネガティブ・キャリア教育」の課題です。
 
 ちなみに薬物使用防止の標語として使われる「ダメ。ゼッタイ。」の由来は国連の提唱した「Yes To Life, No To Drugs」だそうです(150頁)。上で述べられてきた薬物使用の背後にある人生の遍歴を思えば、大切なのはむしろ、翻訳の際に切り捨てられてしまった「人生にイエスと言う」の方だったのかもしれません。 

【Tips】
▼著者の松本氏が依存症について興味深い対談をしています。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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