現代語で読んでみた森鴎外の『舞姫』
一度は読んだけれど、また読みたいなと思う小説がある。しかも、今度は別の筆者で。
そんな思いの中で出合った一冊。
森鴎外の『舞姫』だ。
この小説は、私が高校3年生のとき、現代文の授業で習った。古風で、雅文体と呼ばれる格調高い文章スタイルの『舞姫』。美しい文章で、私の心を優しくなでるような感覚になったけれど、当時はまだ18歳の小娘。内容を完全に理解しているのかと言われれば、絶対にノーだった。
こういう原作に対して失礼千万な状態が、ウン十年続いていたところに、突然終止符が打たれた。
『舞姫』現代語訳を読んだからである。今の言葉で書かれているから、内容はすぐに理解できる。なるほど、この時の主人公の気持ちはこんなだったのか。ここの情景描写には、こんな深い理由があったのか。
・・・という具合に初めて知ることが多くあり、『舞姫』の違った一面に改めて触れられた。
鴎外が書いた雅文体の『舞姫』と、現代語訳の『舞姫』。
どちらも同じ『舞姫』に変わりはない。でも現代語訳を読んで、この小説の奥行きと内容に細かい襞が現れ出たのが、実感できたのだ。高校生の私と、今の私とでは読後の感じ方はもちろん違うけれど、より鮮やかに、一つの場面がコマ送りされているような印象すら受ける。
当時の鴎外も、まさか現代語訳となって読まれることになろうとは、夢にも思っていなかっただろう。
現代語訳から原文へ。原文から現代語訳へ。
そのどちらであっても『舞姫』に触れる読者がより多くなることに、森鴎外も嬉しいのではないだろうか。少なくとも私は、現代語訳に触れて、また原文の『舞姫』も読みたくなった。
これも新しい読書の仕方かもしれない・・・などと、一人で納得している。
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