新たなスタートか、それとも現実逃避か?
邪気発生源を更新しました。
邪気発生源は自己受容と逆行するインチキ自己肯定であり、波動の体感ができなくなってしまいます。
追加した項目は現実逃避ですが、単純な話です。
これは結局自己受容することから逃げてインチキ自己肯定しているからです。
印象に入っている悪神にも影響しますので、バージョンアップした「過去に遡ったインナーチャイルドセラピー」を購入されている方は悪神浄化ワークをお願い致します。
・現実逃避に対する印象
・現実と向き合うことに対する印象
・現実を受け入れることに対する印象
よくネットやSNSで活動されている方でニックネームを改名される方がいますね。
その改名なんですけど、注意が必要です。
私は、名前を変える相談があった時は必ず注意します。
確実に前の名前に悪いイメージを持っていて、変えたい名前に良いイメージを持っているからです。
これは二元論になるのでアウトです。
以前相談のあった方から、名前を変えてやり直したいと言われたことがありました。
それで、名前を買えるのならインチキ自己肯定のために変えるのではなく、まずはそれまでの名前の時の嫌な思い出を全部受け入れた上で気持ちを一新してやり直すならいいですよと言いました。
この作業には感情解放と自己受容が必要です。
こうした場合の改名は、前向きな改名であり、自己受容が前提としてありますので、前の名前だった頃の出来事も遠い昔の過去のように自虐思考せず普通に語ることもできるようになります。
そういう前提が作られて、「よし!自分は変わるぞ!」そういう意気込みがある人は大いに改名していただいて結構です。
また、自己受容してからの改名はもう一つの意味があります。
それはゴール設定です。
コーチングにおいてゴールは欠かせません。
ゴール設定した上でその過程上改名が必要だった場合、これは前向きな解明になります。
私自身も改名を行なっています。以前はただの「Kyoko」でしたが、「能力開発士Kyoko」に変えました。自分のゴール(能力開発士になることがゴールではなく、それ以上のゴール設定をしています)を更新したことで、自分の名前も変える必要性が出て変えたのですが、前の名前も別に嫌とか思ってないです。
そうしたなかで名前を変えた効果もあったか、実際に能力開発の商品も販売しています。
さて、ダメな改名のパターンです。
それは前の名前の時の嫌だったこと恥ずかしかったことといったネガティブな思い出が嫌で思い出しただけでもつらくて受け入れられないから、そこから逃げてしまうために改名するパターンです。
これは邪気発生源の現実逃避です。
こういう場合、前の名前に対して恐れや不安が出てくる、つまり扁桃体が大暴れているのです。
お目当ては何でしょう?
ドーパミンです!!
ドーパミン欲しさにこんなことをしているのです。
だからインチキ自己肯定のために名前を変えてしまうと波動がさらに悪くなってしまうんですよね。
私のブログ読者で改名して波動が悪化した人がいました。
以前に私は記事に書いて注意したことがあったのですが、その人はそれに気づいたようでした。
指導者による指摘やアドバイスは、抽象度が上がったり成長するチャンスでもあるのです。指導者は承認欲求を切り捨てているので、言いにくいことも普通に言います。こっちは最短最速の解決策を言ってるんですよ。
それを聞いて素直に「ご指導ありがとうございます。改めます。」と受け取ることができればいいのですが、もし「ヤバいバレた」と思ったり、「うるせーぞ!鬼コーチ!」と逆ギレしたり、「ひどい!傷つきました。」と悲劇のヒロインになるのなら扁桃体が暴走しているので自己受容ないし感情解放が必要です。
その人は自分の失態が明るみになったことで「ヤバい!恥ずかしい!穴があったら入りたい」と思ったのか、名前を変えて逃げ、たまにこっそり来ては執着しているジャンルであるお金関係の記事が投稿されれば読みに来ている、そんな感じです。
本人はバレたくない思いで名前を変えたのでしょうけど、名前を変えても波動はごまかせないのでバレてます。残念ながら。
逃げるのが癖になっているようなので、これをやるとまた同じことを繰り返すこともわかっています。
合わせる顔がない、気まずいとでも思うのでしょうけどこれはプライドなんです。インチキ自己肯定してしまうとプライドも高くなってしまうので、余計に自己受容するが難しくなってしまうのです。
だから、また同じようなことが起きた時、その人はまた名前を変えて逃避行動を繰り返してしまいます。
まるで借金取りに負われているかの如くずーっと逃げ続けることになってしまいます。
なんでまた自分で自分の首を絞めることをするのかなって思いますけど。
ああ、そうか。苦しむことに対する印象好印象だからか。
恥ずかしいと思って自分がやった行為=自爆行為で余計に恥をかくことを自分でやっているんですよ。これを指導者に指摘されて、「ヤバい!恥ずかしい!穴があったら入りたい」反応になるのはイコール、
おい!それじゃあドーパミン出ねぇよ!
ドーパミンが出ないのは解決策でもなんでもない!
であり、本人はこんなことになっています。
そうして逃げるとまた何が起きるかというと、ドーパミンが出ます。
もはや私たち指導者は麻薬中毒者を相手にしているようなものです。
インチキ自己肯定する人は皆麻薬中毒です。
傷が浅いうちに潔く認めちゃって方向転換した方が楽なのはいう間でもありません。ドーパミンを求めることはずっと苦しんでいたいことであり成功することはできません。
苫米地さんもドーパンミン信者になってしまったせいで、抽象度が頭打ちになりドリームキラーになってしまいました。
もし皆さんが改名したくなった場合、前提が何なのかを考えてください。
簡単なワークを紹介します。
「以前の名前○○○○を受け入れます。」と宣言してみて、体に力が入ってこわばったり、キュッと締め付けられるような感覚があったりした場合は、その名前の印象が最悪になっています。
これでは自己受容していることにはならないので、その違和感がどういうものなのか口で説明したり、紙に書き出して意識に上げてみてください。
感情も何を感じたのかを見てください。
怖いと思ったのなら「私は怖いんだな」です。
それで、
「以前の名前○○○○を受け入れます。」
「新しい名前△△△△を受け入れます。」と宣言してみて、何の違和感もない、反応もないのであれば、
前の自分の名前に対する印象 ← フラット
新しい名前に対する印象 ← フラット
こうあるので変えても大丈夫です。
前の自分の名前に対する印象が悪いうちは、名前は変えるべきではないです。前の名前の悪い思い出を昇華することが先決です。
臭いものに蓋をしている限りはその臭いものは決してなくならないので、その臭いものを見ることからはじめましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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