ささやかな幸せをつぶれるほど抱きしめて【ブラフマンの埋葬/ 小川洋子】
今まで読んだ小説の中で
好きな小説はたくさんあった。
もともとミステリーが好きなので、予想だにしない結末が待っている作品は記憶を消して何度も読み返したいと思うし、二転三転するストーリーには読んでいる最中、感情がジェットコースターのように振り回される。
では、今まで読んだ小説の中で
心に深く刻まれている小説はなんだろうか。
振り返ってみると、共通しているのは
ギャップのある世界観があるということ。
幸せに満ち溢れている瞬間も、心が張り裂けそうになるほど悲しい瞬間も、現実には地続きに存在していて、だからこそ、物語にもそんな相反する感情が存在していると、そのギャップが心に強く刻まれる。
最近、読んだ本の中でも、特に印象に残った作品。
いつまでも、心の奥底に留めておきたい物語。
それが、小川洋子さんの「ブラフマンの埋葬」という作品だった。
芸術家の創作活動を手助けするために作られた別荘で、彼らの世話をする「僕」のもとに、やってきた「ブラフマン」と名付けられた小さな生き物とのひと夏の交流を綴った物語。
「ブラフマンの埋葬」というタイトルが意味するものを、何となく読者は察しつつ、心に留めながら物語の一ページ目を開いていく。
とある出版社の社長の遺言によって、あらゆる芸術の創作活動のための作業場として提供されることになった「創作者の家」。
音楽家や小説家、碑文彫刻家まで、幅広い種類の創作家が訪れるこの場所で、芸術家たちの世話をする役目を授かっていた「僕」のもとに、ある日の朝、傷だらけで全身に怪我を負った生き物が現れる。
手当てをしたその小さな生き物に「僕」はサンスクリッド語で「謎」という意味がある「ブラフマン」という名前を授け、生活を共にすることになる。
尻尾が長くて、小さな水かきを持っていて
自由奔放なのに暗闇が苦手で、四六時中どこでも眠ってしまう。
猫でも犬でもない、不思議な生き物。
そんな「ブラフマン」の姿を
読者は想像でしか思い描くことはできない。
それでも、彼が「僕」と生活をする最中に見せる一挙手一投足、その全てが愛おしくて「ブラフマン」を躾けながらも滲み出る愛情を隠しきれない「僕」の心中には、深く共感の念を抱いてしまった。
特に好きだったのは「僕」がオリーブの実を喉に詰まらせて、碑文彫刻家が助けるために背中を強く叩いてあげていると、その行動を攻撃していると勘違いした「ブラフマン」が、碑文彫刻家のことを爪で引っ掻こうとしたシーン。
敵うはずもないのに、友達が心配で反抗した健気な「ブラフマン」も、「僕」に感謝されると満足げに佇む姿も可愛くて仕方がなかった。
そんから彼らが住まう村に漂う異国情緒と現実離れした世界観を創り上げているのは、物語に散らばった言葉と情景描写。
スズカケの葉、オリーブ林、ラベンダーの棺。
著者の小川洋子さんは南フランスへの旅の最中に、この物語の着想を得たとあとがきにあったように、異国に流れるのどかな空気感がひしひしと感じられる。
そして、自然と編み込まれた言葉が織りなす幻想的な世界を縦横無尽に駆け回る「ブラフマン」の姿と、それを見守る「僕」の関係は、いつまでも眺めていたいと思わせられるほど尊いものだった。
ときに、小川洋子さんが描く物語には、永遠に続いて欲しいと願う幸せや優しい世界が、何の前触れもなく唐突に途絶えてしまう儚さが存在している。
最初にも書いたように、それは現実でも同様で、だからこそ、そんな世界を愛してやまないし、いつまでも続いて欲しいと物語に願うのだ。
決してハッピーエンドを否定するわけではないけれど、一つの選択がその先の人生を別ち、どうにもならない事が世の中では度々起こる。その度に心は空っぽになって、また喜びや幸せを注いでいかなければいけない。
そんな現実を受け入れて、それでもなお、永遠に続いて欲しいと願うささやかな幸せを抱き締めながら、並々ならぬ愛情を誰かに捧げることは、矛盾する感情なのかもしれないけれど、同時にとても尊くて愛おしい感情なのかもしれない。
この「ブラフマンの埋葬」と言う作品は
そんな相反する、愛おしさと憂いを帯びた一冊だった。
いつまでも忘れたくない物語だった。