一般意思 20.0 -メタバース-
1 ネットで溶解する『時間』 ーメタバースー
ヒトは、有史より情報をやりとりすることによりコミュニケートしてきたが、そこでは例えば、個人AからB、BからCへ、と情報が流れていた(口承等)。地球上のAからBへの情報の流れは地理的事情等から大変時間を費やすものであり、それゆえ空間的な隔たりがあたかも「時間的」隔たりと錯覚され得る要素が生じていた。
東京から、九州へ行くのに「4時間かかる。」といった表現がある。「情報」に特化して言えば東京と九州では共時に存在するにもかかわらず、空間的隔たりにより九州に行くことによって得られる情報が、あたかも時間をかけなければ得られないという意味が暗に含まれています。もちろん時間をかければ情報のクォリティが上がるというわけではない。現時点では確かに実際に出掛けていかなければ得られない情報があるだろう。
しかし、あつかえる情報量が飛躍的に増大すれば、結果的に情報伝達の時間的ラグ(lag)が、上記の例で言えばA「から」B「へ」情報の流れる障壁が、ますます低くなり実際に九州へ出掛けて行って得られる情報と東京で得られる情報の差異は殆ど無くなっていく、と言ってもメディアの発達史からみてその方向性は否定出来ないであろう。
微分積分的に言えば現在のメディアによる障壁は限りなくゼロに近付くーゼロという状態になるー事は決して不自然なことではない。
思えば、人類の歴史はヒトとヒトとのメディア障壁を克服する歴史であったとも言える。「天才は死後あらわれる」という言葉も、死んだゆえに天才になるのではなく彼(又は彼女以下同じ)が生前においてはメディア障壁により適正に評価されなかった。言い換えれば、ヒトからヒトへの情報伝達において天才が生きている間に伝わる情報量では、彼が適正に評価されるにいたらない。即ち過去のメディアがいかに、共時的事象を時間的隔たりに、或いは空間的隔たりに誤読せしめる性質を持っていたかということがわかる。
前項に戻りAB間の情報伝達が口述による段階があったとする。この段階に比べるとそれが、文字の発明によってラグが小さくなったーより少ない情報の誤読ーといえる。
やがてグーテンベルグによる活版印刷の発明により、AからB、BからC、というのではなく直接AからB、C・・へと伝播する率が高くなったのである。この情報伝播に対するラグを低くする方向性は、新たなメディアでも同じ事がいえ、電話、映写機、各種録音再生機器、そしてネットによる情報の世界化からもうかがえる。
ここで注目していただきたいのは、様々なメディアが存在する中で共通の性質が見えてくるということである。それは、「メディアのいずれもがAからBへのラグを減少させるベクトルを有している。」ということである。
逆に、今後よりラグを高くするメディアの方向性を考え得るであろうか。言い換えるとAからBへの情報伝播においてより障壁が生じるメディアが発展していくだろうか。答えは否であろう。つまりメディアの方向性としていえばAからBへのラグは限りなくゼロに近ずく、繰り返しになるが今までのメディアが共時的事象を時間的隔たり、或いは空間的隔たりに誤読させてきたことが分かる。
さて、今まで私は「情報障壁」、「ラグ」という言葉を用いてきたが、考えればこれらは正に私たちが「時間」と称してきたものではないだろうか。インターネットは「時間(=障壁)」を消失させる、溶解させていくかもしれない。この時間(=障壁)が消失する過程をヒトの意識に限定すると、その状態はその帰結としてヒトの個としての時間が消失することになるまいか。
時間が消失するというのは、いささか突飛に聞こえるかもしれないが、制度としての時間が消失するということであり、パラドキシカルな言い方だが、人類の歴史で存在しなかったわけではない。いわゆる原始共同体がそれであろう。そこには単純な変化があっても制度としての時間は存在しない。
つまり、ごく限られたヒトが単一の生活を営む限り生活に必要な情報伝播は、ほぼラグなしに行なわれていたのである。いうなれば、いわば個が全体であり全体が個であるというべき状態なのであり、分業、専業化さあれた「現在」がマルチメディアを通じて一体化する情報障壁瓦解の帰結状態としての理想形ー究極のインターネットーを既に持っていたのかもしれない。
インターネット革命とは究極には、この「現代」意識原始共同体が地球的規模で再構築される方向にすすむであろう。
2 ネットで溶解する『自己』 ー双方向性の帰結状態ー
情報スーパーハイウェイという言葉を聞くと、どうしてもハイウェイのようにある地点から、ある地点へ情報が流れるイメージが浮かぶが実際には、妙な言い方だが距離のない広場のようなもの(状態)である。なぜなら光ファイバーを用いたケーブル内においてはAという人間が表現した情報は光の速さ、(ヒトの認識能力に限定すると「瞬時に」Bに伝わるからである。そしてBはまた受信すると同時に「瞬時に」Aに送信するのである。
つまり、従来型の送信対受信という構図はたやすく崩壊しているのであり、AもBも送信者であると同時に受信者であるという新しい概念に吸収されてしまうのである。もちろん現在のコンピュータの処理能力では、送信対受信という構造は当面覆せないであろうし、ヒトが自分の思考をキーボードを通じて入力するかぎりいくらスーパー情報ハイウェイ内で瞬時に情報が駆け巡っても相変わらず、送受の関係は続くであろう。
しかし、ハード面の問題は、いずれ克服されるのではないだろうか。前述したことと関連するが、コンピュータが今後、情報処理能力を低下させる方向に発展するなどという事はまずありえないし、またキーボードを通さない入力も、当初は、ハンディキャップを持つ人々に開発されるかもしれないが、それが優れた入力方式である限りハンディキャップを持たない人々にもたやすく普及するであろう。
ここまでは便宜上A、Bという個人を想定してきたが、あくまでもこの想定は便宜上のものであるからAが集団、総体であっても全く差し支えないのである。Bもまた同じくである。
なぜなら、AB間の情報のやりとりが限りなく、互いが目の前にいるように(観念的にはそれ以上に密接な関係であることも可能である。)なされた場合、今までのように、情報がAから流れそしてBが理解するという構図は崩れ、AからB、BからAという双方向的関係(インタラクティブ)ではなく、むしろAとBの相互作用という「状態」というべき事態になる。「AーB」という状態を「C」という状態と呼ぶならば時間的隔たりのない情報スーパーハイウェイ内においては、その状態「C」と「Cダッシュ」の作用はすぐ様送受信される。すなわち「集団」と「集団」のとの作用となり「個」と「個」の場合と同じく、相互作用状態なのである。
この状態においても、原始共同体との相似がうかがえるような気がするのである。
思えば、先史において「自己」は存在していたのであろうか。他者の認知を待たない自己、自己の認知を待たない他者はその関係における自己との関係において存在しえないのではないだろうか。なぜなら主体と対象が自他の区別を意識するに至っていないから。
3 ネットによる『治者と被治者の溶解』 ーより直接的な民主政に向けてー
葛藤とその和解はインターネットの顕著現象でもある。存在する情報は即座に評価され消費される。ヒトを個人とするミクロ的な立場からすると、それはマクロ的な総体、集団に対してもそのアナロジーとして同様のことがいえそうである。
個人レベルにおいてもやはり葛藤と和解(評価と消費)の連続が存在するのであるのだが、その状態が国レベルとしたならば個々人の決定されつつある意志(cf.一般意志)が次ぎなる状態形成(変化)としての国が生じ得る可能性がある(ネット国家) 現在の例えば日本における間接民主政下では個々人の意志が選挙、代表者というメディアを通じて一種のラグを形成してしまっていることが問題にあげられる
今日電子メールを通じて現業従業員から経営幹部へ直接意志伝達が行なわれている組織があるが、これらが一般化していけば国の選挙制度だけを旧態依然としたままで運営することはやがて不可能になるであろう。
奇しくも、超高齢化社会を迎えるにあたり在宅投票も実用化に向けて検討されるべきである。このような事はセキュリティの問題もあるが、これまでのメディアの発達の方向性から考えるといずれいずれ改善されていくであろう。
個々人の決定判断が瞬時に行なわれ、代表者ー或いは代表とされる判断ーを通じこれもまた瞬時に市民にフィードバックされるのである。この治者と被治者の自同性の確保がその極限的状態に至ったら次に行ない得る統治形態はどのようになるのであろうか。
2章と関連して考察すると、この状態には主体と客体(治者と被治者)という関係が気薄になっているといえる。そしてこの状態から、今後考えられるのは「主体ー客体」、構図は道具、手段としての表現形式として存置していくだろうが、同時にこの構図があくまでも相対的なものであるという「モデルとしてのモノ」という了解が成立し得るのではないだろうか。
それと同時に情報としての歴史はAからBへとながれるのではなくA状態からAダッシュ状態という同一点への変化にすぎない、その状態の観測者である我々は本来の意味でのA状態からAダッシュ状態への変化は認識されず(なぜなら「我々」自身も変化しているから。)仮想として自らをAダッシュという状態に留めることにより、その対象としてのAを設定する。
このような状態が一般認識化すればネットにおいては世界規模の新しい歴史観、地理観が確立し得るのではないだろうか。
Copyright(c) kuyukyuyku 1988-2022 All Right Reserved
May the Force be with you.