#312 あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな
梅雨の季節です。梅雨といえば紫陽花、というわけで、紫陽花の和歌について、メモ。
1、八代集には「紫陽花」の歌は1つもない!?
梅雨といえば紫陽花、というぐらい季節感の強い花ですが、意外や、古今和歌集から新古今和歌集までの八代集に、紫陽花を詠んだ歌は1つもない、と最近知りました。
そんな数少ない紫陽花が詠われたものが、平安後期の源俊頼「散木奇歌集」にあります。
あぢさゐの花のよひらにもる月を
影もさながら折る身ともがな
夜の紫陽花を詠んだものです。
もっといえば、紫陽花そのものではなく、月明かりに照らされた紫陽花の、4つの花びらからもれ、水面に揺らぐ影(あるいは月明かり)を詠んでいるのです。
野暮ですが、私がしっくりした解説を引用します。
ひとむらの紫陽花に月の光がさしている。
その、ひとつひとつの花の花弁の隙間から月の光が漏れていく。
そのさきの水面に「よひら」が映しだされている。
小さくゆれる水面。
ゆれる「よひら」の影。
水面の花は、手折りたくても、手折ることができない。
2、まとめ(所感)
いかがでしょう?
「よひら」すてきな音感で印象的な語です。
もちろん、紫陽花の花(実際はガクなのですが)が四片からなることをあらわしたものです。
和歌なのでそれぞれに味わっていただければいいのですが、私が印象に残ったのは、紫陽花なのに、夜、ということでした。
紫陽花というのはその色、もっといえば、花ごとに微妙に異なる色と、ひとつの花びらにある色の濃淡が、雨に濡れる様を味わうもの、と思っていました。
ところが、それらの要素がひとつもない、夜、なのです。
戸惑いましたが、何度か読むうちに大好きになりました。
最も大事だと思っていた色をなくすことで、水面に映る繊細に重なりあう「よひら」の影、いや、色、が見えてくる、そんなふうに思えます。
ときには、最も大事なものをあえて隠してみることで、もっと大事なものが見えてくることがある、と気付かされた気がします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
梅雨の夜の楽しみが増えれば嬉しいです。