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実朝と公暁

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実朝と公暁。歴史小説。
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#愛しき日々はかく過ぎにき

テレビが我が家にも登場してきた    菅原千恵子

 家族の中で、私だけが父の仕事につきあっていたせいか、暑い夏や、寒い冬の日など、父の仕事…

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山百合の中で眠ると死ぬぞと父は言った菅原千恵子

愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  父の仕事が、酪農協同組合に変わってからという…

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奇妙奇天烈の味だった  菅原千恵子

愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  それでもホットケーキ作りは進んでいった。先生…

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ケーキづくりの大騒動   菅原千恵子

愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子  授業のカリキュラムに組み込まれていたのかど…

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人生相談     菅原千恵子

 愛しき日々はかく過ぎにき    菅原千恵子  人生相談  母が、いつも聞いていたラジ…

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先生はお弁当をもってこなかった    菅原千恵子

 愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  私が自転車に乗ることを覚えたのは三年生の夏…

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私たち全員、廊下に正座させられた  菅原千恵子

愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子   私たちの学年をはさんで、その前後の人数が、多分歴史始まって以来の最も多いといわれた世代である。五十年後の人口分布図というのを社会の教科書に載っているのを見たときの、私たちの驚きは並みではなかった。まるできのこの傘のように膨らんでいる上のほうが、私たちで、その後の世代はきのこのが細くなっている枝の部分である。しかし、驚きながらもまだ十一歳の私たちが、五十年後を想像することなどできるわけがない。先生はしみじみといった。 「君た

ある日、突然、私は無視された    菅原千恵子

  愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  三年生の時の先生はお産のために学校をやめ…

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ゴンタの交通事故  菅原千恵子

 愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  春休みは、ゆっくりやってきた。二人の姉たち…

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お寿司屋さんと紅白歌合戦 菅原千恵子

  愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  年の暮れはすぐそこまでやってきていた。父…

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我が家に泥棒が入った   菅原千恵子

  愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子  父は、一年前から仕事のことで悩んでいた。…

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仔犬を拾ってきたよ  菅原千恵子

 愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子  その年のクリスマスイブの夜も、冷たい木枯…

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宿題   菅原知恵子

愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子   八月十三日頃になると、日中の暑さはまだま…

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愛しき日々は──団塊の世代 菅原千恵子

はじめに──私たちの時代  頭に白いものが混じり、新聞を読むときは眼鏡を探し始めた私たちのことを世間では団塊の世代というらしい。しかしもっと現実的な言い方で呼ばれていたのを私たちは忘れているわけではない。こんな確立されたしゃれた言葉の前は、ベビーブームの落とし子と呼ばれ、小中学校時代は現代っ子と呼ばれたりした。私達の世代は何やらはみだしっ子のイメージがつきまとっていた。数年前、アメリカのクリントン大統領が颯爽と登場してきた時に、彼はベビーブーマーの一人であるということを