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愛しき日々は──団塊の世代 菅原千恵子

ロバートアンリ2

はじめに──私たちの時代


 頭に白いものが混じり、新聞を読むときは眼鏡を探し始めた私たちのことを世間では団塊の世代というらしい。しかしもっと現実的な言い方で呼ばれていたのを私たちは忘れているわけではない。こんな確立されたしゃれた言葉の前は、ベビーブームの落とし子と呼ばれ、小中学校時代は現代っ子と呼ばれたりした。私達の世代は何やらはみだしっ子のイメージがつきまとっていた。数年前、アメリカのクリントン大統領が颯爽と登場してきた時に、彼はベビーブーマーの一人であるということをマスコミが盛んに喧伝していた。それを聞いたときに、何やら彼にそこはかとない親近感を持ったものだった。クリントン大統領も、戦後のベビーラッシュに生を受けた一人だったということだ。

 同世代という横のつながりは、歴史を共有してくれるということだけで、強い連帯を感じさせてくれるものらしい。戦前派、戦中派、戦後派と、どの歴史の途上で生まれたかを識別する言葉が、それを物語っているように。

 私は自分を書きながら、いつか我らが世代を書いてみたいと思っていた。私達の育ってきた時代こそ、日本が大きく変化したときと重なっていて、今日の日本が抱えている良いところも悪いところも、実はそこにあるように思えてならないからだ。個人的な体験と感覚が、果たして普遍的な人間の問題として描けるがどうか、多少不安もあるけれど、好むと好まざるにかかわらず、絶対多数として時代に産み落とされた私達がどんな思いで時代を走ってきたかは、やはり書かなくてはならない。私達世代が特別だと言うつもりは毛頭ないが、日本人の年代別人口分布図を見れば、突出して大きく膨れ上がっている我らが世代をやはりある意味で特別なのだと思ってしまう。

 「ゆりかごから墓場まで」とはイギリスの社会保障のうたい文句であるが、私達はその言葉を、ゆりかごも墓場さえも、馬鹿高い競争率で手に入れるしかないものと思って育ってきた。そして適齢期といわれる頃には、男一人にダンプカー一杯だと責めたてられ、いつも戦々恐々としていた思いを味わっているのだ。しかしこれまでの人生のあらゆるところでライバルのように見えた我らが世代を、私は今こそは胸熱く抱きしめたい気持ちになっている。私ばかりでない。戦争を知らぬ私達が、なぜかお互いを戦友とでも呼びたいような強い連帯の感を持ちあっているというのは不思議なことだ。謎を探るためにも、私自身を、私の育ち生きた時代を振り返ってみたい。

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愛しき日々はかく過ぎにき                        はじめに                               一章  心騒ぐ日
二章  私のおじいちゃん
三章  火事
四章  映画
五章  ミルク飲み人形
六章  移動動物園
七章  引っ越し
八章  春
九章  秋
十一章 夏
十二章 新しい環境
十三章 先生と仲間たち
十四章 私は私
十五章 卒業
十六章 私の父と母
十七章 日々の暮らし
十八章 思い出から新しい出発にむけて

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