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奇妙奇天烈の味だった  菅原千恵子

あいこの10

愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子

 それでもホットケーキ作りは進んでいった。先生が作り方を説明してくれたのだが、ほとんどがそれぞれの班の独自性に任されていたといってもよい。つまりは勝手に作っていたのだ。料理の得意な女子が、たいてい班に一人二人はいるので、その子を指導者として仰いでいればなんとか形はつく。料理が得意といってもたいていそんな子は、家で必要に迫られてやっているからであり、何事も手早く、きちんとしていた。

 卵の割り方ですら、大人のように素早く片手で割ってみせるのだ。私はこの頃はまだ卵を割るのに、ちょっとした決心をしなければ卵の殼がわずかに入ってしまったり、殼の破片にぶつけて黄身を崩してしまうことが多かったように思う。そんなとき、目にも鮮やかに手早くやってのけるN子や、H子を見てどんなに驚いたことだろう。いつもやっているというのはこれほどまで技が磨かれるものなのだと、心から感心したものだ。

「膨らし粉というのは、増えるから膨らし粉っていうんだべ。そしたらうんと増やせばいいんでねが。あるだけ入れっぺ」
 食いしん坊のOがそんなことをいっている。一瞬、私もそうだと思った。ベーキングパウダーで増えるのなら皆たらふく食べられるのだからいい考えのような気がしたのだ。
「それもそうだね、少し多く入れてみようか?」

 私がそういうかいわないうちに。Oは小麦粉と卵を交ぜ合わせた中に、全部ベーキングパウダーをおもいっきりよく入れてしまっていた。
「あああ、知らないよ。こんなに入れたらどうなるのか、私本当に知らないから」
 私はギョッとしてなすすべもない。
「まっ、いいからとにかく焼いてみっべ。卵だろ、粉だろ、バターだろ、皆食べられるものばっかりだもの、どうであっても、食べ物は食べ物だっちゃ。んだがら食べられるって、まさか死ぬことはないど思うよ」

 Oはちゃっかりとした顔でいってのける。それもそうかと私も思った。N子が慣れた手つきでボールのなかにおたまを入れ、フライパンに丸く流し込んだ。ジュッといういい音がした。OやRや男の子達は舌なめずりしているのが、伝わってくる。おいしいものが焼ける匂いは、私たちを一時幸せな気持ちにしてくれた。
「もうひっくり返してもいいんでねえが。なっ、もういいべ」
「まだだってば。あんだだちうるさいがら、他の班がどうなってるか見てきたらいいんでないの。そうしてるうちに焼けっから」

 何かとせっかちでうるさい男の子は邪魔にこそなっても、決して役に立たないとばかり、N子は、うまいこと追い払ってくれた。
「まるで、家のちゃっこい(小さい)弟みたいなんだから。食べたくなると私さ絡まってきて、邪魔するもんだから、何作るんでもよけい遅ぐなんだよわ」
 そんなことを話しているうちに、早くも男の子達は戻ってきた。

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「この班が一番うまくいってだ。どこもこんなに膨れでねんだよ。ああ、楽しみだなや。おれ、ホットケーキなんて生まれで初めて食べんだでば」
 Oは生唾をごくごくいわせていっている。
「ねえOさん、なんだか唾が飛んでくるような気がするからもう少し離れて見ててよ。そんなにくっつかないで。」
 
Oが興奮すると、首筋に青い血管が浮き立つのを私は知っていた。しゃべるときも、唾が激しく飛ぶ。陽のあたる場所でそれを見たとき、あまりの唾の飛ぶ量の多さに、私は驚いて退いたことさえあったのだ。私がそういったにもかかわらず、Oはますますフライパンに近づいてきて、
「大丈夫だあ、とって食うわけでねえがら」
 とまるで、とんちんかんなことをいっている。

 そうこうしているうちに、N子が最初に出来上がったのを皿に載せた。皆の顔が皿に接近して、その匂いをみんな胸いっぱい吸い込んだ。
「早ぐ食べたいな、まだ駄目なんだべが。もう蜂蜜をかけるよわ。それくらいはいいんだべっちゃな。また先生にお怒られだりしてわ」
「あんだも落ち着かない人だねえ少し待ちなさいよ」

 N子は半分あきれ顔だったが、手だけは確実に仕事をこなしている。とうとう最後の一枚も焼き上がって。私たちは、先生に試食として提出する分を残して席に着いた。RもOも、坊主頭を手拭いできりりと縛り上げていたが、それもはずし、まえかけも取り、ドキドキする気持ちを沈めながらという感じで、目の前の自分の皿に目が釘づけ状態だった。

 皿や、ナイフ、フォークなどはそれぞれ各自で持ってくることにしていたので、様々なものが並んでいた。ナイフが果物ナイフで代用する人もあればフォークが爪楊枝の人もあったが、目の前にある香しいものを見た後ではそんなことがどれほどの意味をもなさないことをみな知っていた。

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 それぞれのホットケーキに私は蜂蜜をかけて回った。上にバター‘も載せた。いよいよ食べることになってナイフできり、気取ってフォー『クを口に運んだ。誰よりも先に食べた○が奇妙に歪んだ顔をしたのを、私は見逃さなかった。
「どうしたの?何かおかしいの、まずいの?」

 そう思わず聞きながら私も、皆もすぐに口に入れてみた。こんな味はいまだかつて食べたことがない味だった。渋いような酸っぱいような苦いような、奇妙奇天烈な味だったのである。
「なんだあ、この味は。こんなまずいものなんて初めて食ったっちゃ。ああ、ひどいひどい。何が悪かったんだべ。」
「Oさんね、だからいわないことじゃないのよ。やっぱり膨らし粉の入れすぎなんだわ。これじゃ、もう全部何もかも食べられないじゃない。ああどうしよう。先生にやるのも皆駄目になってるもの」

 せっかく皆で計画し、材料まで取り揃えたのに、これほどまずくなってしまうとは。Oが全部入れたとき、とにかくおたまでそんぐり取りのぞいてしまうべきだったという後悔が私の頭をいっぱいにした。
 「んでもさ、んでもだよ、蜂蜜をたっぷりかければなんとか食べられるように思うんだげっと。先生の分さも、もっと蜂蜜ばかけてやっぺ。ごまかしは効くよ」
 
 Oのことばにすがるような気持ちで、私は皆に蜂蜜をあるだけかけてみた。N子がたっぷり蜂蜜をかけたことで、前よりは食べられるといったので私も食べてみると、味に変わりはないのだけれど、甘さで口のなかがだまされるのだ。仕方がないから、先生の試食する分にも蜂蜜をたっぷりかけたが、先生からとてもおいしいという感想が聞けるとはとうてい思えなかった。

 こんなにまずいものを、あたかもおいしいというように笑って食べなければならないというのも、辛いものがある。私たち以外の班の人たちは、皆笑いながらおいしそうに食べているのだ。こんな失敗をしたなんて、他の班の人たちには断じて悟られたくなかった。

OやRでさえそう思っていた。自分たちのグループに対する愛情だったのか。単なる負けじ魂だったのか、あるいは、食べられるものであればまずいとかおいしいとかは問題外だったのか今にしてもそれはよく分からない。ただ、誰も残すことなく、あれほどまずいホットケーキを私たちはなんとか食べ終えたのだ。

「焦げているわけではないが、なんだか苦みを感じる、不思議なホットケーキだな」と 先生は、首を傾げてこんな感想をいったが、私たちにすれば、膨らし粉を全部入れたことがばれずに済んでかえってほっとした。「あわてる乞食は苦いものを食べる」という妙な格言が、私たちのグループの間で流行したことは、案外知られていない。

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