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ズレは芸術⁉︎

皆無の中で生きていきたい。全てがゼロの中でも生きていきたい。
もう周りを見たくない、なんの価値も基準も欲しくない、なくなればいいのにと思う時がある。

例え「普通」というのが幻想だとしても、わたしは本当に普通に生きる方法が分からないのだ。
ある程度「普通」とされる感覚や基準って社会にはあると思うし、「ズレている人」という風に判断されれば周りは仲良くはしてくれない。

でも、
「小声なら愚痴、叫べばロック」みたいな言葉を聞いたことがある。
その【ズレ】をどう表現するかによっては、それは芸術にもなるんだと思う。私も日々ズレを感じる身としては、日常生活への支障や心身への負荷はすごいある。

そして私がズレについて表現したら、その負荷がみんなにも掛かってしまうんじゃないかと心配になる。
だって自分のズレに苦しんでイライラした末に、人に当たったり言い過ぎて傷つけたことが沢山あったから。

それでも、noteに投稿することは続けてこれて救われることも度々あった。
不器用ながらもスキやコメントで繋がる人々とのやりとりも楽しかったし、「人が苦手」と思ってるはずのわたしも人との繋がりを楽しめるんだなって少しうれしかったり切なかったり。(リアルではどうして上手くできないの!?という思いもあったから)

ズレも違いも、表現次第ではモノになるって信じてる。驚くことに、共感してくれたり興味を持ってくれたり刺さってくれたりする人もいる。
違うことは悪いことじゃない。
無理にトガらなくてもいいから、ありのままのあなたでいよう。わたしでいよう。


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