言葉を知ったからこその苦悩
たまにのむヨーグルトを飲むと劇的にうまい、くるねです。
近年ストレスが原因で精神的に弱くなっているだとか昔と違ってだとかそんな話をよく目にする。
うつはこころの風邪だとかいう表現もきくが、わたしにとってなんともピンとこなかった。
適応障害で仕事をやめたり、いまでも調子がぐるんと変化するような状態で息しているわけだが、風邪と言えるほどすっきりよくなるようなものでもないんじゃないかと、適応障害になってからは感じる。
現代における生きづらさを少しずつかみくだくことで自分の生き方を見つけようと思う。
こころは感情であり言語である
もし、人間が言葉を使わなくなったらどうなるでしょう。
自分のアタマの中では考えることも言語化できず感情だけが残り、それを表現するすべは限られるはずだ。
しかもその感情に名前などなく、相手に伝えることが難しくなるだろう。表現する器を持たぬ感情は自分の中でしか生きられなくなる。
もしそのような社会で人々が生きる場合、自己で完結された感情になにか価値などあるのだろうか?
想像が及ばないところはあるけれど、言語とは便利である反面毒にもなりえるのだろう。
自己を他者とつなぐことですくわれることも、はたまたま滅ばせることもできる。
言葉とは希望でもあり絶望でもある。
だから、もうすこし別の表現を磨いてもいいのかもしれない。
もし言葉を知らなければ、感じたものをそのまま感じ続ければいい。言葉を使うからこそ、表現できないことが増え苦悩を呼ぶこともある。
人生まだまだ、勉強せないかんらしい。
では、またね
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