ぐわん

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  • 男友達と付き合った

最近の記事

「何のために付き合ってるのかわからない」

付き合って3ヶ月が過ぎた。彼は忙しく、ADHD的な特性もあって連絡不精で、必要なとき以外基本連絡はなく、返信も遅い。1,2週間に一度会っているが、デートは月1くらいでしかできない。彼はあまり好きとか可愛いとかいかにも甘い言葉を言わないし、照れ屋だから、話していても友達みたいな感じだ。だから付き合ってる意味あるのかなと思ったこともあった。付き合ってる意味とは何なのか。 友達に「恋愛に関しても、何においても高みを目指す意識がすごいというか、ストイックだよね」と言われた。確かに私

    • 心から幸せな日こそ、最期の日にふさわしい

      生きてきて、ほんの何度か、本当に生きていてよかったと、ほんの一瞬でも最高の気分で、心から楽しくて幸せな気分に浸っている日があった。 けれどこの時間は長くは続かないし、すぐにまた独りになって生き地獄みたいな毎日が繰り返されることを知っていた。実際、幸福は本当に一瞬で過ぎ去る。だから私は幸せの絶頂の最中で毎度思うのだ。今、最高に幸せなこの瞬間、命を絶ったほうがいいんじゃないかと。 事実そのあとの苦痛の日々が再来すると、「やっぱりあの日に死んでおけばよかった」と後悔するばかりだった

      • 健康ニートの極意

        わざわざ病まない 暇だからってわざわざ病まない。ニートって本当に楽で素晴らしいことだ。なのでニートをやると決めたらとことん楽しまなければニートに対して失礼だし、時間が勿体無い。ニート自体が辛い、早く脱したいという人はそもそもニートに向いていないのだろう。ニート生活とは、人間本来の姿に立ち返り、純粋な生の実感を追求するための究極形態だ。社会復帰を促す俗世からの圧力を完全無視できるようになってからがプロのニートである。そのためには、外部環境を整備する努力も必要になるだろう。ニート

        • どこか遠くに引っ越したい。持てるもの全て捨てて。 一人で生きていける証明をしたい。 一体誰に対してだろう?

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        • 男友達と付き合った
          7本

        記事

          ほんとは生きたいって思えるように、軽率に死にたいと思うことを許している

          他人には言わないようにしてるけど、日記とか自分のなかでは軽率に死にたいと書いたり自殺を考えることを許している。 理由① 実行可能性が低い まず、客観的に見て自分は(今のところ)実行しない見込みが高い。 ずっと長いこと死にたいと思っている割には、自傷行為や自殺未遂の履歴がなく、走行する電車や窓の下や柵を見つめることはあっても、その瞬間の痛みや後遺症や周りの反応などを想像するととてもではないが実行できなかった。 結局のところ、メリデメを天秤にかけた時にメリットが上回ったこと

          ほんとは生きたいって思えるように、軽率に死にたいと思うことを許している

          もう一人じゃないと生きられないのかもしれない

          彼氏の家に三日以上滞在したとき、ストレスでどうにかなりそうになった。この夏はお盆に祖父母の家で従姉妹たちと2泊3日過ごしただけで、とんでもなく疲弊した。19まで住んでいた実家でさえ、精神的負荷のせいで1週間以上滞在ができない。 みんないい人たちで私の生き方も認めてくれているし、何かにうるさく口出しされるわけでもない。何かを強制されるわけでもないし、互いにひどく気を遣っているわけでもないし、みな私のことを気にかけてくれている。 ただただ、他人の家で他人と一緒に過ごすことがまま

          もう一人じゃないと生きられないのかもしれない

          付き合って2ヶ月:勉強でメンヘラ回避

          彼と付き合って2ヶ月ほど経った。 実は1ヶ月経った頃にほんのちょっとだけ別れかけた。お互いに新たに人とちゃんと付き合うのが久しぶりすぎて、最初の1ヶ月は彼も私も少し無理をしてしまっていた。私がちょっとしたメンタルブレイクダウンを起こして、彼は自分が私の要求に足る人間ではないかもしれないと、自信をなくしてしまった。「自信がないから、○○の時間を無駄にしてしまうかもしれない」そう言われたときはショックで寝込んだが、寝込みつつも焦りは禁物であるとわかっていた。これは最初の試練とも

          付き合って2ヶ月:勉強でメンヘラ回避

          男の中で一番マシな男

          だから一緒にいるのかもしれない。 男って女からしたら基本的に加害性と支配性を孕むんで、女として関わるメリットって実はあまりない気がする。だいたいどの宗教でも色欲は捨てるべき煩悩だし、そもそも自分を守れるのは本質的に自分しかいないのだから自分自身が強くなった方が手っ取り早い。男に期待してはいけないのである。対等に接する男友達が多いからこそ、恋やセックスの相手として男と関わるとき、立場の違いがより際立って感じられる。それは身体的にも社会的にも、ある程度定義されているものだから仕方

          男の中で一番マシな男

          ヤるなら迷うな、迷うならヤるな

          が私のモットー。 セックスなんていう究極の他人との触れ合いイベントは、絶対に100%の心で楽しみたいし、何か少しでも楽しめない要素があるなら断るようにしている。 だって(ほとんどの一般的な善良な男の場合)相手だってこっちにも楽しんで欲しいだけなのに、自分が断れない、とか流されて、みたいな弱さのせいで自分が嫌な思いをして、相手にも嫌な思いをさせるのって、結局自分が「断る」という少しのストレスとリスクを取れないだけの自分本位な行為だと思うから。 断る選択肢があるのだから、自分が

          ヤるなら迷うな、迷うならヤるな

          好きだけど、依存はしてない件

          最近、自分の中でかなりの価値観のアップデートが行われている。今まで燃え上がるように恋に落ち毎日何も手につかなくなるほど相手のことを考え、次第に耐えられなくなって自ら恋の炎に冷水をぶっかけて終わらせるという行為を繰り返していた私が、「そういうの、もういいや。」と思い始めていた矢先に彼と出会い、付き合い始めた。 好きで付き合うというのは、ほぼ24時間常に彼のことを想い続けることだと思いこんでいたのがメンヘラたる過去の私である。彼氏というのは、病的なまでの執着心を肌身離さず抱くた

          好きだけど、依存はしてない件

          付き合って初めてのお泊まりを終えて

          当たり前といえば当たり前のなのだが、私から嫌われたくないというのをひしひしと感じた。 私は単純な興味で付き合う人の過去の恋愛についてよく聞くのだが、彼は私と付き合う前、なんと元カノと10年あまり交際していたらしい。 ちなみに彼は今28歳。高1から27歳くらいまで、10代20代の一番若くていい時期をずっとその一人の元カノと過ごしたということだ。私からしたら想像もつかないことだった。私といえば、今までの彼氏とは1年以上続いたことがない有様。誰かを好きになったらとことん尽くすけど

          付き合って初めてのお泊まりを終えて

          最近気になってた男友達に好きと言われた

          思ってた以上に彼は私のことが好きだったらしい。好きなんだろうなーとなんとなく思っていたけど、そこまでとは思ってなかった。だから私からご飯でも行こうと誘ったあの日に、そこまで関係が進むとは思ってなかった。 少し怖かった。このまま私はまた恋愛という魔境に迷い込むのかと。魔境の入り口に立たされ、彼に抱きしめられた私はぶるぶる震えていた。「過去の恋愛のトラウマで、不安が少しあるから、ゆっくりやっていきたい」と正直に言った。「でも、今日一緒にいて好きだなって思った」これも本心。だけど

          最近気になってた男友達に好きと言われた

          彼は美しかった

          ずっと見ていたかったくらいに。よく通ってハリのある声で、肌は白く健康的なつやがあった。太さもしなやかさもちょうどよい黒髪は彼をいっそう魅力的に見せていた。でも私が一番魅了されていたのは彼の魂の美しさだった。それは仏のように清浄な心という意味ではなく、どちらかといえば花火のように刹那的に眩しく輝いていた。静的な黄金比をたたえているわけでは決してなく、むしろいびつな形をしていて、激情を籠めたアシンメトリーの現代アートみたいな具合だ。でもそれが、鬱屈とした社会を恨んでいた私には、と

          彼は美しかった

          私を好きになる男はもしかしたらめちゃくちゃセンスがいいんじゃないか説

          自分の姿って、洗面台で顔を洗ったり化粧をしているときに、鏡を通してしかほとんど見ない。 たまに友だちが撮ってくれたみんなで喋っている時の動画とかを見ると、鏡の中の自分と、自然体で友達と話している時の自分の姿がかなりかけ離れてることに気付いたりする。 そういう自分の姿って本当に生の人間の感じで、変な癖があったり思ったより歯を見せて笑っていたり、普段目指しているカッコいい自分像とは全く違うのだ。 例えばいい感じになっている男と会う日の朝、鏡の中のバッチリ化粧をした自分をみると

          私を好きになる男はもしかしたらめちゃくちゃセンスがいいんじゃないか説

          嫌な恋バナ

          とある男友達が、「高身長好きな女性は、巨乳好きの男性と一緒だ」と言っていて、特に反論の余地もなかったのでそうなのだろうと思った。 その男友達には言えなかったのだが、思い返してみれば私は今まで180cm以上の男性としか正式にお付き合いしたことがないし、今気になっている相手も180cm以上である。普段は強く意識しないが、私もまごうことなき高身長好きなのだろう。男性で言ったら「俺今までDカップ以上の女としか付き合ったことないわー」みたいなことか。確かにキモい。キモくてもテンションは

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          自己肯定感と正義

          自己肯定感などというものは、存在しない。自己肯定感が高いか低いか、そんなものは、どうでもいい。そんな空想に身を投じて感情をコントロールされているだけ、無駄。ゴミみたいな思考をいったん一掃して、天井を見上げてみる。どんな質感でどんな色か。その色を口に出してみる。手を伸ばして好きな形に動かしてみる。この行為自体に、なんの意味があるの。それを説明しなければならない義務感に、猛烈に駆られる(人間は思考の奴隷だ、情けない)。でも、それにすら意味はない。だって理由を説明しなくたって、あな

          自己肯定感と正義