付き合って2ヶ月:勉強でメンヘラ回避
彼と付き合って2ヶ月ほど経った。
実は1ヶ月経った頃にほんのちょっとだけ別れかけた。お互いに新たに人とちゃんと付き合うのが久しぶりすぎて、最初の1ヶ月は彼も私も少し無理をしてしまっていた。私がちょっとしたメンタルブレイクダウンを起こして、彼は自分が私の要求に足る人間ではないかもしれないと、自信をなくしてしまった。「自信がないから、○○の時間を無駄にしてしまうかもしれない」そう言われたときはショックで寝込んだが、寝込みつつも焦りは禁物であるとわかっていた。これは最初の試練とも捉えていた冷静な自分も併存していた。お互い無理せず、まずは気楽に付き合っていけるように距離感を正した。それから毎日LINEをしなくなり、今は3〜5日に一度ほど電話するだけになったし、彼の休みだからといって無理に会う予定を入れなくてもよくなった。それでちょうどよくなった感じがする。
しかし、付き合えば付き合うほどになんて素晴らしい人間なんだろうと思えるくらいにとにかく彼の人間性は良い。普段は明るくポジティブで、問題が発生しても怒らないし過度にディフェンシブにもならない、適度に自ら弱さを晒せる、人の気持ちのわかる人間なのだ。生きた年数が四半世紀を超えてくると、こういう人間がどれだけ素晴らしく貴重なのかがわかってくるものだ。優しさという名の強さを持っている人だ。彼は言っていた、「のび太のおばあちゃんみたいになりたい」と。優しさの塊みたいな概念になるのが目標らしい。言語化できているのも面白いし、本当に私も見習いたいと思った。私はあまり他人に対して心からの尊敬をすることがないのだが、彼のヒューマニズムは心底尊敬している。ある種人生のテーマだから、絵上手いなーとかとは次元の違う尊敬感情だ。結局自分を幸せにするものは利他主義でしかないという結論に私も至っているから。
私が今まで出会ってきた中で一番、人としてできているやつだと言っても過言ではないかもしれない。強くて美しい。昔好きだった男は花火のように美しかった、なんて言った気がするが、彼は大樹のようだ。慈愛に満ちて、抱きつくと心が安らぐ。本当に彼が私を選んでくれたことに感謝しかない。
彼を手放したくないから、1ヶ月目の危機の際にやはり自分の心の問題点にきちんと目を向けた。
もともとメンタルヘルスに問題を抱えまくってきた自分はこういうときいつも、自分の状態を医学的・心理学的な見地から分析するために勉強し、対処法を実践し、とにかく論理的にタックルする。これが最も効率よく自身の「苦しさ」を言語化でき、それに科学的裏付けもついているとなれば、それだけで精神が安定に向かうのだ。だから私は感情を論理で説明するのが大好きだし、「感情的≠非論理的」だと思っている。人の脳や身体は論理回路のようにきわめて合理的に構成されている物質であるのだから、感情とは一瞬にしてもたらされる究極の合理性であるとすら思う。だから、自分の感情にしっかりと向き合うべきなのだ。感情をinvalidate(=無効化)するのではなく、validate(=有効化)してあげる。存在を赦してあげる。そこからすべては始まる。
かくして、私は一冊の本を購入した。「Secure Love」という英語で書かれた本である。
Attachment style(愛着スタイル)という概念についての本で、人それぞれが持つ愛着スタイルを大きく四つに分け、おのおのが陥りやすいパターンやその原因、対処法などが詳しく記されている。
この愛着スタイルについては日本語のリソースがまだ少なく、圧倒的に英語圏で浸透している概念なので、英語が読める人は英語で情報収集することをおすすめする。
自分はこの本やYouTubeの解説などを観て、「こんなに恐ろしいほどに自分のことを言い当てている、私の知らない概念がまだあったなんて」と心底感嘆した。やはり自分が苦しんでいることは絶対にどこかでもうすでに誰かが経験し、解決法を提示してくれているのだから、諦めずに様々な方法で情報収集するのが大事だ。
上に書いたValidationの概念もこの本から得た考え方だし、正直この本を読んだだけで精神状態が改善してしまったので、Attachment styleについてはまた別でじっくり書こうかと思う。この情報はもっと日本語圏にも浸透していかなければ勿体無い。
私は自分のことをとにかく感情的な人間だと思っているが、人からはよく「理屈っぽい」「論理人間」といわれる。
しかし結局、激情に対処するための生存戦略のために論理を使っているにすぎない。人間が根本的な部分で感情に打ち勝つなど無理に決まっている。感情こそが本質なのだから。
だから論理を用いて感情を矮小化する人間は、ただの怖がりなやつだ。論理を用いて感情を認め合えばいいのに。