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「こういうnoteは”書かない”」って決めるの大事

こんばんはのようなこんにちは、くろだです。

今日もnote、読んでいってくださいね。


ということで、只今”葛藤中”

何に葛藤しているかというと「このネタでnoteを書くか」ということ。

先ほどまでは書く気でいたんだけど、いざ書こうとしたら「あれ?過去noteにそれと矛盾したこと書かなかったけ?」と思い出してしまった。

んで検索してみたら、そのnoteあったんだよね。

「うわーどうしよ。これ書いていいかな」

そんな感じで葛藤している。


ただまぁ前提としてはね

僕は基本的に、過去noteで書いたことと今書くことが矛盾していたり、違ったりしてもいいと思っている。

そりゃあ生きていれば、意見が変わることなんてたくさんあるだろ。

過去の自分はそれを知らずに意見を書いていたのだ。

それを知った今の自分は「今の自分」として新たに書けばいいのである。

「新しい方が採用される」っていう、遺言書と同じ考え方をしているのが基本的な僕である。


「だがしかし」、いや「だからこそ」

基本的に「最新が正義」というシステムを導入しているからこそ、「変えてはいけない部分」というものがある。

それを言い表すのはとても難しい。

「軸」と言えばいいのか「信念」と言えばいいのか。

かっこつけて言うなら「自分てめぇとの約束」かな。

そういうのがあるから「やらないこと」がハッキリ見えて、「やること」を絞ることができる。

それがあるから「くろだはこういうことしない」という信用が生まれる。

言うことやることがコロコロ変わる僕だからこそ、そういうところで真っ直ぐなところを見せるべきだと思うのだ。


白状しよう

何をネタにしようとしていたのかは言わないが、どのnoteが僕のネタを一つ潰したのかは言おう。

要は誰かのことを批判しようとしていたのだ。

言っておくがあなたではない。

僕と過去に関わった人であり、今は縁が切れている人である。

だから最近何かされたわけじゃないのに、思い出して「こういうやつウザくね?」とネタにしようとしていたのだ。

なんかこうやって文字にしてみると、僕のやろうとしていたことってクソダサいな。

ただ「やろうとした」というところで止まれてよかった。

否定の感情(こういうやつウザいよね)は、肯定の感情(こういうの好き)よりも共感される可能性が高い。

それは社会(群れ)を形成する「ヒト」という動物だから。

いい情報よりも悪い情報を入手して排除されないように、また排除を遂行して群れでの有用性をアピールするために、ヒトはそういう情報を欲する。

だけどね、そういう疑心暗鬼な集団を僕は作りたくないのだ。

だってめんどくさいんだもん。

人と関わることがただでさえ疲れるのに、人を動かそうなんてもっと疲れる。

そんなことをするくらいなら、一人でゲームをしていたい。

でもやっぱり人とは関わりたいのだ。

ならば僕が心地いい集団を僕が作ればいいじゃないか!

そこにドロドロした人間関係はいらない。


だからまぁ、結果的に書かなくてよかったのだ。

過去に「批判感情は書かない」と宣言した僕ナイス👍


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋


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