「作品紹介note」の書き心地をよくする方法
昨日書いたnoteは書き心地がよかった。
その理由は、作品を見て「自分が感じたこと」をしっかり言語化できたからだと思う。
「100%成功か?」と聞かれると、そうとは言い切れない。
「岡田准一さん主演」ということになぞらえて、「『軍師官兵衛』でも関ヶ原の勝敗が決まったことを聞いた官兵衛は笑ってたよね」みたいなことを言いたかった。
言いたかったのだけど、昨日のnoteにそれを書くと散らかりすぎるので留めた。
「留めた」は少し理性的すぎるな。
「ノリに合わないから切り捨てた」くらいの野性味ある執筆だった。
今日は「昨日うまく書けたわ」と、自画自賛するnoteを書いていこう。
結論を言うと、「感想」を書くために必要なストーリーの話しかしていないから「うまく書けた」と思うのだと思う。
『永遠の0』は「主演・岡田准一」となっているけれど、主人公は三浦春馬さんが演じる健太郎の方である。
だけど僕、「宮部久蔵が何をしたか」しか語ってないでしょ。
健太郎が司法浪人してるとか、「特攻はテロでしょ」と語る友人に意見をして”やっかい右翼”みたいになってるとか、そういう話を一切していない。
話をしていないからといって「必要無い描写」とは思っていない。
司法試験に何回か落ちていて”生きる目標”を見失っている最中に、姉さんの手伝いという体で戦争について調べること。
そうやって健太郎が”人間味”を蘇らせていく「治療の物語」とも言えるのが本作である。
でもさ、正直言って「久蔵なぜ、最期にほくそ笑むのか」を語る時にこの話は必要無い。
だからバッサリ切った。
おもしろい作品を紹介して、いろんな人に見てもらいたいと思って「作品紹介note」を書く人はたくさんいると思う。
僕もこれまでいろいろ書いてきた。
そりゃあ昨日みたいに「うまく書けた」と思うnoteもあれば、「なんかモヤモヤするな」というnoteもある。
が、「うまく書けた」という時は、大抵作品のすべてを紹介していない。
「ネタバレ注意」と書きつつも、作品の一部しかバラさない。
そうやって書くと気持ちよく書ける。
なぜなら書きたいのは「自分の感想」だから。
物語の進行は見ればわかる。
だけど自分が抱いた感情は、自分で表現しないと伝わらない。
言い換えれば「自分にしか書けないもの」。
だから僕らは「書きたい」と思うのだ。
ただ、それを書くには作品のストーリーに触れざるをえない。
でも書きたいのは「自分の感想」だ。
ならば書くことは「自分の感想」に関わる周辺のストーリーのみに絞られる。
でもね、わかるのよ。
ストーリー全部語りたくなるよね。
「この話を語りたい。だけどこうなったのは前にこれがあったからで、これがあったのはその前にあれがあったから……。」
物語ってのは繋がっている。
繋がっているからこそ、そこを紐解いていくのが楽しい。
もちろんそういう回があってもいい。
だけどそのnoteは「自己満足」のnoteであり、最初にあった「人に紹介して見てもらって共有したい」という原点が達成される可能性はとても低くなる。
読者からすれば「結局何が言いたいの?」だからね。
だからこそ、多少繋がりがあやふやになったとしてもストーリー紹介は周辺に留めて、「自分の感想」を語ることに集中した方が結果的に「おもしろさ」がわかってもらいやすい。
ということを、投稿する前に語っている僕である。
先日も言ったが僕のnoteはストックがある。
今日の日付は2月25日。
しかし『永遠の0』を紹介した昨日のnoteが投稿されるのは28日の予定であり、未来の話である。
つまりよ、「昨日の『永遠の0』を紹介したnote、読みやすかったでしょ!何でかって言うとね・・・。」というこのnoteは完全に憶測の話であり、手応えはあれど実績はまだ無い。
要はこれこそ「自己満足」のnoteなのよね。
さぁ果たして、昨日のnoteは読まれ、スキをもらえるのか。
そういうことを考えるとこのnoteを消したくなるのだが、「手応えがある」のは事実である。
まぁスカったらスカったでおもしろいから、このまま行こう。
ぜひみなさん、昨日のnoteを読んでスキをポチッとしてくださいね。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋